76 馬車のこだわりと日常業務
今朝、出仕に出る前。屋敷の前にはいろいろな馬車が並んで、ちょっと見ものだった。
豪華なアンブローズ辺境侯の6頭立ての馬車、我が家で非公式な訪問またはプライベートで使う瀟洒な感じの2頭立ての馬車、そして私が宮殿への出仕の行き帰りに使う実用本位の2頭立ての馬車だ。
「おや、ダルトン殿。公爵家の馬車としては少々地味では?」
「普段の公務の行き帰りに使うだけですから、実用本位で良いのですよ。」
アンブローズ辺境候の乗ってきた馬車は高位貴族の公式な外出用の馬車だ。見栄を張った華麗な作りのものだが、西の辺境は王都周辺より道が悪いせいか頑丈な旅行用の馬車をベースにしたものであるようだ。だからこそ、これに乗って西の辺境から来れたのだろう。
「あなた。王都では高位貴族でも、これ見よがしに豪華な馬車は普段使いにはしませんのよ。」
アンブローズ辺境侯夫人のテレーズ殿もたしなめる。
「そこら辺は好みだと思いますが、テレーズ夫人のおっしゃる傾向は確かにありますね。」
「そうであったか。こうした感覚は都に来んと分らぬものだなぁ。」
アンブローズ辺境候ユリアン殿は、豪放磊落な武人らしく、見てわかりやすい豪快な華やかさを好む傾向があった。それは趣味の良し悪しではなく、自然豊かなで素朴ではあっても地味めのものが多い辺境にあっては、華やかなものが目新しく映るのだろう。
妻のマリアと母のソフィアが乗る馬車は、よそ行き用ではあるが格式張った公式な訪問では無いので、豪華さよりも瀟洒という表現が似つかわしいデザインの馬車だ。華やかさはそれほどでも無いが、上品な雰囲気を持っている。
なお、私が普段の通勤に使っているのは2頭立ての軽量の馬車だ。使われている素材は上質で造りも丁寧だが、扉に描かれたアーディアス家の家紋を除けば、富裕な市民の使うそれと大差は無い。振動をなるべく少なくなるように工夫してもらい、軽量にして移動速度を上げている。少しでも通勤時間を短くしたいからだ。
「それに祝福式の時に使ったあの儀礼用の馬車、あんまり長時間乗り回すように作られていませんしね。」
「なんと。それはある意味、贅沢の極みですな!」
祝福式の時のあの華麗な馬車はアーディアス家の持ち物だが、装飾が派手なだけに脆いのである。普段は車庫にしまって、覆いをかけて保管されている。
あの馬車に乗るのは高位貴族のお祝い事に呼ばれた時、陛下に公式な謁見がある時など、公爵家としての存在を見せつける必要がある時に限られる。年に1〜2回ぐらいしか使わない。
この世界では、馬車はまだ現役の乗り物だし、現代地球で自動車がそうであるように、馬車が社会的なステータスシンボルとして果たす役割は大きい。貴族が馬車で見栄を張るのも、それなりに理由があるのである。馬車は貴族が貴族社会を生き抜くための戦車である、と言ってもある意味では過言では無いかもしれない。
アンブローズ辺境侯夫妻は今日は国王陛下を表敬訪問して謁見、その後、テレーズ夫人の実家であるバーナード公爵家へ移動。それに妻と母も合流する。それまでは久しぶりに王都で買い物などするようだ。
「私は宮殿で宮廷魔術師長としての仕事などがございますので、先に行かせていただきます。」
私は一礼して馬車に乗り込んだ。
「全員で合流するのは夕方ね。」
「たぶんそうなる。母上も無理をしないでくださいね。」
「平気よダルトン。久しぶりに町に行くから楽しみでしょうがないの。」
手を振る母にこちらも返して、扉を閉めた。
宮殿に着いたら、最初にシェーン・フィグレー軍務尚書を訪ねる。特使としての護衛に手勢の者を10人ほど連れてゆく、人選は早めにお伝えする、と話した。
「では顔合わせと合同訓練の日程を組みます。現在、カステル上級将軍の命令で、アーディアス卿の護衛につける人員の選別が進行中です。明日までに確定しますので、そちらの人員を明日中にお知らせ願えますか?」
「わかりました。では明日、お知らせに上がります。」
「あまり日程に余裕が無いので、顔合わせは、明日の午後か、明後日の午前中におこないたいと思います。貴公もそれでよろしいですか?」
「そうですね。彼らは領地の警備を任せていますので、明日すぐは難しいでしょう。顔合わせと合同訓練開始は明後日で。」
フィグレー卿はスパスパと決めていくので、こちらもついそのペースに乗せられてしまう。人選を今日中に決めなくてはいけなくなってしまった。
でも早い方が良いのは事実だし、近衛騎士団の精鋭との合同訓練など、なかなかする機会は無いだろうから彼らにも良い刺激になるだろう。
私は執務室に着くと、すぐに“護衛の人選を今日中に決めろ。明後日に先方と顔合わせ、合同訓練開始だ”と書いた書簡を宮殿の使い走りに渡して屋敷まで走らせた。
ついでにアーノルドの居場所も訊いたら、今日は新型兵装の試験の立会いで城に居ない、とフィグレー卿は答えたので、礼は明日にすることにした。
それから、ケイトが無事に出国できた件についてゴルデス卿に礼状を書いて送る。息のかかった者が付いているから彼の元には逐次連絡が入っているだろうが、礼儀というやつである。
それに関連して、産業大臣のガロベット卿宛に質問状を書く。内容はアル・ハイアイン王国にトロナかナトロンのどちらかが産出するかどうかの問い合わせだ。
これらを使い走りに持たせて、それぞれの大臣に渡してもらう。
入れ替わりに、リーモックス領に走らせた宮殿付きの伝令がやってきた。
持っているのは五重属性の子供の公式の推薦状の返事だ。思ったよりも早かったので少し不安がよぎったが、大丈夫だった。向こうの孤児院の院長も了解し、例の子供自身も条件を受け入れて、銀竜騎士団に住み込むのに同意したとのこと。
私は伝令を労うと、公式の紙と封筒を使って“すぐに支度を調えて宮殿に来るように”と書いて、路銀と一緒にそれを伝令に託した。そして、その子の才能に惚れ込んでいた銀竜騎士団団長のニームス卿にうまくいった旨をメモに書いて、使い走りに届けてもらう。
ファインス局長から、さっそく教育実験の綱領の草案が届いた。恐ろしく仕事が早い。一読して大丈夫なようなので秘書官にも読んでもらい、彼の意見を聞いてから、私の意見書を付けて返送する。
このあたりでだいたい昼になったので、食堂から秘書官になんか買ってきてもらおうと思ったところで、ニームス卿が飛び込んできた。
「アーディアス卿!ありがとうございます!ありがとうございます!今日は、なんと良い日なのでしょうか!お礼に昼食などご一緒にいかがですか!さあ、さっそく参りましょう!」
喜色満面の彼の姿は、私の手をとってグルグルと回った。彼はいやしくも近衞三軍の将軍のひとり、銀龍騎士団の団長、王国で一二を争う腕前の剣士。その力は私を振り回すのに十分だった。
そして宮殿近くのちょっと良いレストランに秘書官とラブリット二等書記官ともども連れて行かれ、なかなか豪華な昼食をご馳走になってしまったのだった。
後で“こんな事って多いんですか?”と、ラブリット二等書記官から尋ねられたが、さすがに初めてだよと答えておいた。