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73 特使派遣の準備

 デボラ・ラブリット二等書記官は大臣付きだけあって、たいへん優秀な人物だった。仕事にソツが無い。準備に人手が足らないと見るや、4人抜いて参りましたと、翌日には外務省から部下を連れてきていた。

 今、その4人は宮廷魔術師長執務室の隣の事務官たちが詰めている部屋を少し譲ってもらって、そこで仕事に当たっている。ラブリット二等書記官自身は宮廷魔術師長執務室の一画に陣取った。

 宮殿の部屋は基本的に広めに作られているので、こういう時に助かる。

 私は金角の黒竜王グレンジャルスヴァールへの特使として、大急ぎで基本的な外交儀礼のイロハを彼女から日々(ひび)叩き込まれた。

 今回は交渉相手が人間ではなく(ドラゴン)、それも竜王クラスの古代(エンシェントド)(ラゴン)なので細かな礼儀作法を気にしない。

 しかし無礼は見抜く。敬意を欠いていると見るや…どうなるかは語るまでも無いだろう。さすがにそれは分かりきっているので、そんな自殺行為を働く者はいないようだが。

 そして昔の(よしみ)を思い出してもらうだけ、とは言え手土産も無しに行くというわけにはいかない。

「贈答品としてスーラウアの枝を100束、肥えた牛を50頭用意しました。」

「大金だなぁ。スーラウアの枝と牛の運搬はどうするの?」

「エングルムに集めておき、儀礼品として持ってゆく一部を除きスーラウアの枝は交易所で保管、牛は先方に指定された場所へと放すのが通例でございます。(ドラゴン)の狩場内には道がありませんから運べませんので。」

 スーラウアの枝というのは(ドラゴン)が嗜好品として好む木の枝で、人間には分からないが(ドラゴン)の好む香りがするのだとか。猫にとってのマタタビのような存在らしい。ただし、(ドラゴン)向けなのでちょっとした丸太ぐらいの大きさがある。

 これは南方の獣人種の領域にある森だけに生えている樹木なので、用途は(ドラゴン)の嗜好品以外に無いのだが全部輸入品である。かなり高額だ。

「エングルムから先は?」

「恐れながら閣下に馬車を降りていただき、騎乗していただきます。ガンゲス公爵家の血族の者が先導を務めます。」

 エングルムは東街道にある町で、回廊地帯の入り口にある。そこは(ドラゴン)の狩場への入り口でもあり、(ドラゴン)との交易所がある。

「荷物はすでにエングルムに運ばせております。気象条件に左右されますが、5日以内に集荷が完了する見通しでございます。」

「じゃあ、訪問の意思を伝える書状を送るだけかな?」

「はい。すでに外務大臣名で書状を送っております。閣下は国王陛下の親書を持って、金角の黒竜王との謁見に臨んで交渉をまとめていただきます。」

 今回の場合、国王陛下が送る親書は目的が決まっているので、文面そのものは外務省で下書きをしている。ラブリット二等書記官から『極秘』と判の押された親書の文案を見せられて、それを前提にした想定問答集を使ってああ言ってくればこう返す、こう言ってくればこう返す、といった交渉の練習をおこなった。

 この他にも過去の交渉や他国の事例から、金角の黒竜王グレンジャルスヴァールの性格や価値観・判断基準などを分析しての講義など、私の準備は多岐に渡った。


「彼女、美人ですね。」

「なに?惚れちゃった?」

「違いますよ。ハニートラップの意図が無いと良いんですけど。」

 秘書官のアンドレが思わぬことを言い出した。今、彼女は席を外している。

「誰が得をするんだ?彼女が美人なのは認めるけれど、手を出したら私は地獄にまっしぐらだぞ。」

 最近、外務大臣のゴルデス卿に頼りがちな面があることは確かだ。彼に政治的野心があり、私を確実に影響下に置きたいと考えたら弱みを握るのも手段のひとつかもしれない。

「仮にそうだとしても、誤解を受けるような真似はしないさ。」

 もし私が不倫をしようものなら、ひどい事になるのが目に見えている。アンブローズ辺境侯との関係が悪化するだけでは無い、バーナード家との関係も悪化するだろう。

 アーノルドに殴られたら一撃死は免れそうに無い。あいつのマッチョな身体は見掛け倒しでは無いのだ。義父のユリアン殿に殴られても、やっぱり一撃で死にそうな気しかしない。あるいは義母のテレーズ殿に刺されるか。…両方ってのもありそうだな、と想像して身体が震えた。

「…不倫なんかしたら、私はたぶん死ぬ。ブチ殺される。」

「いきなり、そこまで行きますか。」

(ドラゴン)に消し炭にされる可能性より、はるかに確実だよ。」

 私はまだ人生に未練があるので、自分から人生の地雷原に踏み込むつもりは毛頭無い。

「それより、君の方こそ注意してくれよ。こちらにはスパイされて困るようなものは無いと思うが…無くもないか。」

 宮殿の魔法道具の詳細な配置図とか、それで維持されているインフラの図面とかは機密対象だった。

「僕は彼女のことを知ってるんで。」

「そうなの!?」

 秘書官いわく、ラブリット二等書記官は王立大学の法学科で成績上位の常連で、秘書官ことアンドレも負けず劣らずで互角の競争を繰り返す関係だったとか。

「じゃあ、兄弟弟子なのか?」

「違いますよ。彼女は国際法が専門で、僕は契約法が専門だったので。担当教授は別の人です。」

 へぇ〜っと思って、いろいろ学生時代の事など訊いたが、お互いに顔と名前を知っているという程度で交流は無かったとのことで仄聞(そくぶん)の域を出るものは無いと言った。

「君は大手貿易商にでも就職すれば良かったのに。」

「高収入で安定していて、出張とかが無くて、身分の保証がある就職先が良かったんで。」

「それで、なるべく楽そうな所?」

 私のツッコミに、秘書官は指を鳴らした。

「さすが閣下!わかってらっしゃる!実情はぜんぜん暇じゃ無かったですけどね。」

「ちょっと仕事の量を増やしてやろうか?」

「やめてください死んでしまいます!」

 秘書官が振ってきた話は、念のための注意喚起だったのだろう。これが彼なりの忠誠の見せ方というところか。いちおう忠臣ぶりに感謝すると褒めておいた。

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