72 仕事の進め方
ラブリット二等書記官の席の支度は秘書官に任せて、こちらはこちらで予定していた午後の仕事を進める。まず幼児教育研究機関のファインス局長を呼ぶ。いくつかの書類の処理を済ませている間にやってきた。
「エレナ・ファインス、参上しました。」
「よく来てくれた。この間の報告書は興味深かった。」
「お褒めに預かり光栄です。」
久しぶりに見たエレナは顔色が良くなり、少しばかり背筋も伸びたような気がした。以前の職場と違って、悪い意味でのストレス原因が無くなったからだろう。
「作業の順調な進捗はまことに重畳、この調子で進めて欲しい。で、実験をしたい件について相談したいと思ってね。」
「はい。私もその件について、近々ご相談せねばならないと考えておりました。」
「なら話が早い。機関の方では案が上がっているか?」
「はい。どこかの複数の孤児院を実験的な教育機関として再構築してはどうか、という意見がございます。」
誰でも考えることは同じようだ。
「場所は見当がついているのか?」
「そこまで具体化した案ではございません。」
今の所、将来の絵としてのまとまりが出てきたところか。
そこで私は考えている方に話を進めるべく、別の話題を振った。
「ところで、今、子育て中の職員はいるのか?」
私の問いにファインス局長は戸惑いながらも答える。
「ええ、3人ほどおりますが…。それがいかがしましたか?」
「子供の預け先を見つけるのも大変だろう?親戚や隣近所の手を借りるにしても。」
「そうですね。…まさか!?」
彼女はすぐにこちらの意図を理解したようだ。
「宮中で働く者たちには子供を置いて働きにきている者も多いだろう。そこでだ、宮中の一角にそうした子供の教育機関を兼ねた預かり施設を設置し、そこで実験的な教育方法を試すのはどうかな?遠くの孤児院に行くのも大変だろう?」
「宮中にそうした施設ができれば、確かに助かるでしょうが…。そこを実験的な教育機関とするのは…。」
「気が進まない?」
私は言葉を濁すファインス局長に発言を促す。
「恐れながら…。魔術的な手段で知識を植え込めば良いのではないかという案を出す者もあり、そのような実験が行われた場合、幼い人格への悪影響があるのではないかと私は危惧しておりまして…。」
ロクでもない実験をしようとしている奴がいたとは。今日、話をしてよかった。知識が満点で倫理観ゼロの子供なんかできた暁には、どう考えても終わりの始まりである。
「そんな危ない実験をさせるわけにはいかんな。教育は知識を得るだけではない。」
「私もそのように思います。」
「今後、そうした実験を未然に防ぐために教育実験の綱領を定める。さしあたり、教育実験は実験の前に計画書をまとめて提出し、私と局長の承認無しには実行できないようにしよう。」
私はメモ紙にとりあえず思いついた規定を箇条書きして、ファインス局長とアイデアを出し合う。後で秘書官にも意見を聞いて清書することにした。
これは出発前までにまとめて、宮廷魔術師長の名の下で命令として出しておこう。
「まあ、そんな危ない実験はさせず、普通に預かり、その間に栄養豊富な食事と適切な運動、遊びを通した学習をおこなう施設を作る。ひとつは宮中に、他にも数ヶ所の孤児院で実行し、比較研究の場とする。これでどうかな?」
「それならば、よろしいのではないでしょうか。」
この計画についても準備を進め、人員の配置などについてはファインス局長に一任することとした。
「噂には聞いておりましたが、幼児や孤児の教育を進める準備をしていらっしゃるというのは本当だったのですね。」
「驚いたかい?」
「正直申し上げて、宮廷魔術師長の仕事と言えば、王立魔術院の運営や宮殿の魔法道具の整備をしている職員の管理ぐらいしか認識しておりませんでした。」
ラブリット二等書記官はちょっと間を置いてから言った。ここで口先だけのお追従を述べるより本心を述べた方が良いと考えたのだろう。
「普通に官僚の仕事をしていれば、宮廷魔術師長の仕事で目にするのはそんな仕事しかないからね。暇な官庁だと思われてしまうのも仕方がない。」
実際、宮殿で働く魔術技官の仕事は地味であり、普通に働いていると華々しいところなど全く無い。現代地球で言えばシステムエンジニアの仕事に近いだろうか。時にIT土方と言われるほど地味でキツイ場合もあるが、居ないと組織全体を支えるシステムが死んで全てにおいて詰むので社会に欠かせない職業である。
もし宮廷魔術師長が全ての職責を一切放棄して、魔法道具で維持されるシステムを止めたらどうなるか?
宮殿からは陽の光以外の全ての灯りが失われ、水道と下水は機能しなくなり、魔術的な防衛も無効化される。たちまち宮殿は維持不能になるだろう。
この世界では機械的な技術レベルが未発達な分を魔法道具によって無理やり形を作っている部分があるので、魔術師や魔術が無くなるとあっという間に社会は大幅に後退することになる。
それらを支える魔法道具の点検・整備などの保守作業や更新に従事する魔術技師は、宮殿のみならず社会を支える大事な人材なのである。数が少ないので魔術学校を卒業したら、研究の道に進む者以外はだいたい魔術技師になる。
だが、そもそもなり手が少ない。読み書き算盤ができる人材や希少な魔術属性の持ち主を見つけるだけでなく、魔術技師になる者も増えれば社会の発展に寄与するのは間違いない。
まだ専用の席一式が無いので、仮に応接用の椅子とテーブルを使ってもらっているラブリット二等書記官にそんな話をした。
「外交官の仕事も似たようなところがございますね。知り得た事を外部に漏らすわけにはまいりませんし。」
「そうだろうね。私も外交の仕事を概念としては知っていても、具体的には何をするのかまったく知らない。結果を聞くことはあっても、その裏で起こっていた事を知る機会は無いからね。」
その後、彼女から外交使節での大使の基本的な仕事の進め方について説明を受け、今回の件で必要な準備を彼女の指揮で進めてもらうことにした。




