71 外務省からの出向者
「結論から申し上げれば、金角の黒竜王グレンジャルスヴァールとの盟約は現在も有効であります。」
外務大臣のゴルデス卿は国王陛下にそう報告した。
ここは宮殿の『薔薇の間』。今は関係者だけを集めた秘密会議中である。出席者は国王陛下・宰相閣下・ゴルデス卿・バイヨンズ卿・カステル卿、そして私だ。
議題は竜の狩場を支配する、金角の黒竜王グレンジャルスヴァールに古い盟約の履行を求めての交渉におもむく件である。
ゴルデス卿が外交文書館の外交文書を探させた結果、金角の黒竜王に宛てて“復興王”フィリップ1世が送った親書の写し、そしてその返答を記録した外交文書と両者の合意文書が発見された。
フィリップ1世は盟約を結んだ当の本人である建国王の直系ではないため、盟約が破棄されるのではないかと恐れて使者を送ったらしい。
グレンジャルスヴァールはそれに対し“直系、傍系、人間側の血筋など、どうでも良いこと。盟約は継続される。こちらは当初の約束が果たされるならば、それで良い”と回答し、それが言葉どうりであるとの合意文書にもサインしていた。竜に人間用のペンは持てないから代筆だが。
さらに現国王のガイウス2世陛下も含め、フィリップ1世の後の歴代のヴィナロス王国の国王の即位に際して祝賀の勅使を派遣していることからも、それは間違いないと推測されるとのことだった。
「私からもご報告します。過去の勅令・法律、そのほかの宣言、いずれにも金角の黒竜王グレンジャルスヴァールおよび竜の狩場との盟約を破棄・停止・変更する内容のものはございません。」
司法長官のバイヨンズ卿も調査結果を述べる。
外交文書にしても、司法記録にしても、膨大な量があるだろうに。
現代地球のように検索システムが整備されて、居ながらにして目当ての文書や文献が見つけられるわけではないのだから、二人の短い報告の裏に隠されているだろう膨大な手間を思うと気が遠くなりそうだ。
「ふむ、そうか。二人ともご苦労であった。ならば竜の援軍を当てにして良いというわけだな。」
陛下は顎を撫でながら、ゴルデス卿とバイヨンズ卿の提出した文書に視線を落としていた。
「さりとて、竜を組み込んだ作戦など想像もできませんな。」
上級将軍のカステル卿は、半ば呆れたような、事態を掴みかねるような顔で話した。
無理も無いと思う。竜と王国の騎士たちが共に戦う。まるで伝説かおとぎ話か、演劇の世界のようだ。
「経験豊かな戦上手のそなたでも、さすがに無いか。」
「畏れながら陛下、あろうはずが御座いません…。他国では皆無、我が国に限っても建国の直前、勇者の勲に謳われるぐらいでありましょう。」
カステル卿はどこか遠い目をしていた。彼はあまりにも途方も無い話なので、想像が及ばない様子だ。
「それこそ、具体例を今の世で知っているのは金角の黒竜王グレンジャルスヴァール自身しかいないのでは?」
「そこらへんについては、ぜひともアーディアス卿に聞き出していただこうではないか。」
宰相閣下は私の方を見て笑みを浮かべる。
「はは…。努力します。」
私は引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
「実は、父が金角の黒竜王のもとに、陛下の即位の祝賀への返礼に向かった際の記録を残しておりまして。」
「ああ、あれか。そなたの父は几帳面であるな。」
国王陛下は言われると思い出したらしい。
「お褒めに預かり恐縮で御座います。それを読んで、備えております。」
私はここ数日、時間を見つけては父の付けた記録を何度も読み込んでいた。分かりにくいところは本人に直接訊けるので、非常に学習効率が良い。
「そなたには余の名代としての身分を示す帯を渡すゆえ、使うが良い。」
「陛下の格別のご配慮、ご厚情に深く感謝いたします。」
これには深々と頭を下げて陛下に感謝を伝える。これでいきなり炭の塊になるのは避けられるだろう…たぶん。
「アーディアス卿、そなたには騎士団から腕っこきの者を護衛に付けさせる。安心して参られよ。」
カステル卿はわざとらしく感じるぐらい、気前の良いところを見せた。
「外交のことでわからないことがあっても困らぬように、私の元からも外交官をつけますゆえ、外交上の事務手続きに関しても心配無用です。」
ゴルデス卿も朗らかな笑顔を見せる。
「もし、どうにも政治的に困る判断があれば、一度私に預けよ。拙速よりましだ。」
宰相閣下もバックアップを申し出てくださった。
なんと心強いことだろう!何かあるんじゃないかと、裏を勘ぐってしまうほどだ。
「ありがとう御座います。これは何事があっても失敗するわけにはいきませんね。」
私はちょっと安心できた。…でもまあ、言い出しっぺとは言え、一番危ない橋を渡る役には違いない気がするのだった。
秘密会が終わり宮廷魔術師長の執務室に戻ると、扉の前に見慣れない女性官僚が待ち構えていた。服装からすると文官だ。秘書官に視線を送ると、彼も首を振る。向こうはこちらに気付いて近づいてくると、一礼して名乗る。
「外務大臣を拝命するジョルジュ・ゴルデス侯爵より命じられて参りました。デボラ・ラブリット二等書記官でございます。どうぞお見知り置きを。」
その女性官僚はピシッと、折り目正しいという表現が完璧に当てはまる動作で敬礼をした。どうも彼女がゴルデス卿の言っていた外交官らしい。
「これは、どうもご丁寧に。ええと、まずは執務室に入ろうか。」
「はい。」
秘書官がドアを開け、促すままに私とデボラ・ラブリット二等書記官は入室する。すれ違いざまに秘書官のアンドレは彼女の人品を見定めるかのような視線を送ったようだった。
「改めて自己紹介いたします。私はデボラ・ラブリット、外務省で大臣付きの二等書記官として奉職する者の一人でございます。本日より竜の狩場からの帰還までの期間、こちらで特使となるダルトン・アーディアス公爵を外交に関わる事柄について補佐せよと外務大臣より仰せつかりました。」
「これはまた、ゴルデス卿も若くて優秀な感じの人を送ってきてくれたな。」
「ご期待に添えるように努力いたします。」
ラブリット二等書記官は、前世の知識で言えば旅客機の客室乗務員のような感じのキリッとした美人だった。薄い金色の髪を後ろで結ってまとめている。その風貌にどことなく既視感を覚えた。
「もしかして、劇作家のジェレミー・ラブリット氏の関係の方かな?」
「はい、ジェレミー・ラブリットは我が父でございます。」
「ああ、どうりで!」
妻のマリアが主催した夜会で、ジェレミー・ラブリット氏が手がけた一幕物の劇が演じられたことがあり、その時に私は氏の顔を見ていた。
ジェレミー・ラブリットは王都で定評ある劇作家の一人で、特に寸劇や一幕物などの、比較的短い時間で演じられる作品で知られている。短時間で済むので夜会などの催し物で余興として演じられることも多い。内容は喜劇・悲劇・コメディ・英雄譚など幅広い。
「君の父君は、作品を私の屋敷で何度か演じてくれたことがあったのだよ。」
「左様でございましたか。お気に召していただけたのであれば、父も喜ぶでしょう。」
「実際、面白かったよ。同じ話でも書物で読むのと、ああした劇で観るのとはだいぶ印象が違うね。」
この世界にはYouTubeどころかテレビも映画も無い。演劇は一般民衆から王侯貴族まで幅広く愛される娯楽だ。人気劇作家となれば、それはフォロワー数100万規模のインフルエンサーのような存在なのだ。
「てっきり、彼の子息や娘ならば芸術関係の職についているのだとばかり。」
「私は父や母のように、芸術の才能には恵まれませんでした。」
秘書官が運んできたお茶の表面に視線を落として、ラブリット二等書記官は話した。悪いことを聞いてしまったかもしれない。
「私は外交の仕事はしたことが無いし、正直、どこから手を付ければいいのやら?という状態なんで、いろいろと教えて欲しい。」
「畏まりました。基本的なところからレクチャーさせていただきます。」
彼女の目がキラリと光った気がした。