70 シリアル開発への第一歩
私は良いアイデアが思いついたことに上機嫌になり、鼻唄を歌いながら1階に降りる。ケイトはもちろん、マリアや各方面との調整が必要だが、なんとか実現できるだろう。試作品づくりには料理人のモランに協力してもらわなければ。
小食堂室からは、アンブローズ辺境候の大きな笑い声とアレクのはしゃぐ声が聞こえてきた。アレクはすっかり『おおきいおじいちゃん』に懐いたらしい。あるいはアンブローズ卿の扱い方がうまいのか。乳母のナターシャに後で意見を訊こう。
「おはよう。アンブローズ卿もバーナード夫人もご機嫌よろしく。アレクはすっかり懐いたようですね。」
「おお、アーディアス卿、おはようございます。まことに元気の良い男子で、一緒にいて嬉しくなりますな!」
腰に手を当ててて豪快に笑うアンブローズ卿と、その隣でアレクは真似をして笑った。我が家にはこういうタイプの者はいないから、アレクには新鮮な刺激に感じるのかもしれないな。
マリアはアンドレアに授乳させながら、実母のバーナード夫人と私の母のソフィアと一緒に今日の予定を話し合っていた。
「おはようダルトン。いつもに増してにこやかね。」
「ちょっと良いアイデアがあってね。今のところは思いつき段階だけど、近い将来にものにするさ。」
全員揃ったところで席に着き、使用人達が朝食の配膳にかかる。食前の祈りの後、いつもどうりに朝食が始まった。
「アーディアス卿。もしよろしければ宮殿に行かれるまで、お仕事ぶりを拝見させていただいてもよろしいか?」
「え?ああ、ぜんぜん構いませんよ。他人に聞かれて困るようなものではないですし。しかし経験豊かな義父上のお眼鏡にかなうかどうか。」
朝食後のお茶を飲んでいるとアンブローズ卿から申し出を受けた。こちらも断る理由は無いので承諾する。
「何のご謙遜を。武家の当家と違って、魔術師の家の仕事ぶりというのが想像がつかず、ありていに申し上げれば興味があるのです。」
「父とはお話になられたのでは?」
「もちろん話はしましたが、そのパウロ殿が今の当主の仕事ぶりもご覧になっては、とおっしゃられるのでね。」
父上…。面倒臭くなって私に投げましたね?とは思うものの、それは顔にも口にも出さず、どうぞ、と言った。
今日の予定はモランとの話し合いである。
領内の前倒しにできることは祝福式前に済ませたので、しばらくは大した予定はないのだ。使用人の一人を捕まえて、厨房にいるモランを呼び出してもらった。
「旦那様、何の御用でございましょうか?」
「ちょっと相談したいことがあってな。ぜひ君の知見と意見を聞かせて欲しい。」
モランは一瞬、アンブローズ卿に視線を送り、一礼する。私は先ほどのやり取りを説明して、モランに椅子を勧めた。
私の相談は二つ。シリアルの開発と瓶詰めの技術開発だ。
私は構想しているシリアルの概要を料理長のモランに説明した。小麦だけでなく、大麦・ライ麦・エン麦・ソバの全粒粉を水と塩でこねて、少しハーブの粉末などを加えて香りづけした生地を薄く伸ばし、それを縦横に切れ込みを入れてカリカリに焼く。食べる前に数種のドライフルーツなどを加えて、牛乳を注ぐ。
「なるほど。サクサクの食感に、ドライフルーツで甘みがつきますな。悪くなさそうです」
彼は腕を組んでうなづく。
シリアルには砂糖を使って甘みを増した製品が多いが、この世界では砂糖は高価なものだ。すべてをアル・ハイアイン王国から輸入している。とても日常の料理に使えない。しかし干しブドウなどのドライフルーツなら砂糖よりずっと安いし、砂糖よりも栄養価も高い。
「問題は、手でこねて作るのでは生産性が低うございますな。」
モランは思いがけない指摘をした。
「手間がかかり過ぎるか?」
「左様でございます。私めが旦那様御一家の分だけを作るのならば、手でこねて、延ばすのも良いでしょう。ですが大量に供給するとなると、それでは足りません。」
「パン屋みたいにすれば良いかと思ったが、難しいか。」
私は考え込んでしまったが、モランには対案があった。
「解決は容易なことでございます。例えばパスタ用の製麺機を応用して、薄い平ひも状の生地を作り、それをまとめて切れば早うございます。」
「製麺機!」
私はこの発想に意表を突かれた思いだった。さすがプロの料理人は発想が違った。
「パスタ用の製麺機はすでにいろいろな形のものを作れる機種がございます。素材の性質、この場合は生地の性質でございますが、これに合った形のものが一つくらいはありましょう。製麺機は道具として作り方が確立されておりますから、旦那様考案の新しい料理に見合ったものを開発するのも、そう困難ではないと思われます。」
私はモランの料理に関する知見に感心した。やはり専門の道をゆく者はすごい。
「試作品を製作し、おいしさ・経済性・生産のしやすさなどの点で満足するものを研究する必要がございますな。具体的には各素材の配分・粉の種類でございます。味付けもさることながら、焼き加減や焼く時間も重要でございます。」
「素材だけで無く、加工についても研究が必要か。」
「はい。しばらく研究開発のお時間をいただきたく。」
その後、生産したシリアルを孤児院での朝食に試用する件や目的などを話し、必要な資材購入の資金などについて食費の予備費から出すように伝えた。
瓶詰めについては、まさかそんな方法で?とモランは半信半疑だったが、手持ちの道具で実験してみてくれと手順を書いたメモを彼に渡した。
「アーディアス卿はいつも、ああして家人の言を容れるのですかな?」
「いつもではありませんが、自分の専門外の事となると、自分の発想だけでは実現まで要らぬ遠回りをしがちです。先ほどの件でも、モランの意見を聞かなければ余計な苦労をしたでしょう。」
私の答えにアンブローズ卿は感心した様子だった。若干の呆れも含まれていたのかもしれないが。
「我らも地形などを地元の農民や狩人に訊くことはあるが…。参考になりますな。」
ちょうどその時に、執事のマイケルが馬車の用意ができたと呼びに来た。
「アンブローズ卿には、これまでに確立したやり方がございましょう。これは私の進め方。もしご参考になれば幸いです。」
そう言って、一礼をしてから玄関に向かった。




