66 ダンスと友人たちとの時間
このところ、アップの時間の遅れが常態化してしまって申し訳ありません。
曲の切れ目を狙って、アントニオ殿下とカミーユ・キャストレット妃殿下・アーノルド・バーナード卿とバーナード公爵夫人クリステル・マージー夫人・アイン・サバティス副神官長とドエルフィ侯爵夫人ベアトリス・クラレット夫人、そして私とマリアの8人は男女ごとに二列になって大ホールの中央に進む。
王太子殿下夫妻と、それぞれ名のある公爵家の若い当主や王都の名士だ。期待と好奇に満ちた視線が私たちに集まる。
アインが独身なのは王都の上流階級の者なら知っているし、ドエルフィ侯爵夫人は礼儀作法やダンスの教師として知られているから、悪い噂になることはあるまい。
この世界での、少なくともヴィナロス王国とその周辺のヒトの国のダンスは、前世の地球世界での17〜18世紀ヨーロッパのバロックダンスに似ている。
社交ダンスのようなに鋭い踏み込みや速い回転、素早いステップなどは無い。そもそも、服装がそういうダンスに向いていない。
動きは穏やかで、回転もゆっくり。ステップもそれほど複雑でなく、スキップを踏んでいるかのような軽やかな動きだ。また相手と向かい合う事はあっても、体を密着させたり、腰に手を回すこともしない。相手に触れるのは手だけだ。
もし、この世界で社交ダンスのようなダンスを公の場で披露したら、眉をひそめられるどころか、大スキャンダルになるだろう。
この世界のダンスは社交ダンスのように踊る相手が決まっている場合もあるが、相手を変えながら踊る場合も少なく無い。踊りながら相手は次々に交代し、男性だけで踊るパートもあれば、女性だけで踊るパートもある。
こうした相手を変えてゆくダンスは未婚の若者の集まりで好まれるものだが…。ま、我々はギリギリ『若い方』に入れても許されるだろう。
「マリア、踊る体力ある?」
「バカになさらないで。本格的な社交界への復帰前に、健在ぶりを見せつけるチャンスでしてよ。」
私はちょっと心配したのだが、取り越し苦労だったようだ。自信たっぷりの笑顔を見せつけてきた。
舞踏会や余興でのダンスといえども、駆け引きの場や手段となることがある。どうしても話す場所を確保できない場合に要点のみで会話したり、警告を与える・踊る両者の親密さを周囲に知らしめる・妻のマリアが目的とするように健康のアピールなどがある。
アントニオ殿下がこの誘いに乗ったのは、もちろん久しぶりに幼馴染が4人揃ったというのもあるが、同時に、あるいはそれ以上に、他国から嫁いできたカミーユ・キャストレット妃殿下が周囲に受け入れられていることを示す狙いもあるだろう。
キャストレット妃殿下はまだ嫁してきて数年、名前を知ってはいても、どのような人か知らないという人も少なくは無い。事あるごとに夫婦仲が良いことを示すのは、外交上も必要な態度だ。
大ホールの中央で、私たちは男ごと、女ごとに並んで向かい合う。
両腕を右腕、左腕の順に広げ、その場で一回転。
そして軽快にステップを踏みながら前に進み、目の前の御婦人の周りを巡って、元の位置に戻る。そこで先ほどと同様に腕を広げ、御婦人がたに向き合う。
続いて、ご婦人方も両腕をしなやかに動かして広げると、キャストレット妃殿下からステップを踏んで進み出す。
それを合図に、アントニオ殿下もステップを踏んで中間地点で手を繋ぎ、勢いそのままにお互いに半回転して前方に送り出す。
キャストレット妃殿下はそのまま待機していたバーナード卿と手を繋いで一回転、アントニオ殿下もクリステル・マージー夫人と手を繋いで一回転。そして手を離すとバーナード卿とマージー夫人が中央で手を繋いで回転する。
続いてアントニオ殿下はドエルフィ侯爵夫人と、キャストレット妃殿下はサバティス副神官長と手を繋いで一回転してから、ドエルフィ侯爵夫人とサバティス副神官長が手を繋いで一回転。
そんな動きをお互いに繰り返して、次にペアになった相手と手を繋いだ状態でお互いに顔を向け、その場で回り合う。数回転すると、隣と相手を交換する。
これを都合4回繰り返し、今度は男側が内側に来たタイミングで手を離すと、男だけで手を繋いで輪になって回り、ご婦人方も手を繋いでステップを踏みながらその周りをめぐる。
それから先頭になる者──この場合はアントニオ殿下とキャストレット妃殿下──が手を離し、それ以外は手を繋いだ状態で一列に並んで男女並行して進む。
そして、それぞれ左右に分かれると反対側にそのまま進み、曲がってまた男女で向かい合う。
この段階で、元の組み合わせに戻り、お互いに手を取り合って前に進む。
また手を離して、左右に分かれて反対に進み、手を広げたままその場で一回転して、男女向かい合うと一礼する。こうして前後の順が逆になった状態で最初の配列に戻るのだ。
今度は隣の男同士、女同士で手を繋いで二人一組でその場で回る。相手を入れ替えながら、それを繰り返し、一巡したところで男同士・女同士で手を繋いで一列になって接近し、再び男女は近い距離で向かい合う。
これはすぐに離れ、再び近ずくが両者がぶつかる2歩前で手を離して、お互いにすれ違い、手を広げて一瞬向かい合う。
移動の勢いが消えないうちにぐるりと一回転して、ちょうど初期状態と男女の列の位置が左右入れ違いになる。
そこから再び、最初の動きが繰り返される。こうして問題なく一曲終えると、周囲から拍手が鳴り響いた。
前世の現代地球でやっているような、素早い動きのダンスなんか踊れる自信が無かったが、これならなんとかついてこれた。
もっとも、私は子供の頃から習わされていたのだが。
礼儀作法やある種の教養としてのダンスだから、誰でも練習さえ真面目にやればある程度は踊れるようになる、職人技的な技巧や動きを凝らしたダンスでは無いのも大きかったと思う。
練習の過程では、他の人とぶつかることはしょっちゅうだったが…。ちなみにぶつかることが多かった相手はバーナード卿で、あいつの体がデカイせいで距離を見誤ったりしたせいだ。もちろん、当時から肉壁状態だった奴はこゆるぎもしなかった。
「さ、あちらで休憩いたしましょう。」
「そうさせてもらおう。」
マリアの勧めに、例の小部屋に全員で席に着いた。マリアはドエルフィ侯爵夫人に何事かを囁いて、どこかに行かせる。入れ替わりに、二人の給仕が飲み物と軽食を運んできた。
「おお、気が利くな。」
「そりゃあ、主催者だからね。」
持ってこさせたのはレモンを絞った炭酸水と、子牛の丸焼きで出た肉の切れ端を細切れにしたものにタルタルソースを混ぜて、茹でたアスパラガスと一緒に挟んだサンドイッチだ。一口大に切って、ご婦人方でも食べやすいようにしてある。
「もうちょっと肉が食いたかったから、これは嬉しいな。」
バーナード卿はレモン水より先にそちらに手を伸ばす。
「もっと、一息にガブッと食える大きさでよかったんだが。」
「アーノルド、ご婦人方のことを考えろよ。」
「もう慣れておりますわ。殿下。」
アントニオ殿下がバーナード卿をたしなめると、笑みを浮かべてマージー夫人は夫をかばった。
「こんな風に、いつでも集まれると良いね。」
サバティス副神官長の言葉に、私だけでなく皆頷いた。
「そうだな。だが、なかなか状況が許してくれそうに無い。この次はいつになる事か。」
「そういやダルトン、金角の黒竜王の住処に行く日取りは決まったのか?」
「いや、まだだよ。祝福式が終わってから、いろいろ調べがつくようだし。実は父が昔、国王陛下の戴冠式の返礼使節であそこに行ったって話を、ついこの間知った。」
話題はこのところの我が国をめぐる状況になり、また国内での憶測飛び交う人間模様の話になり、時間は過ぎてゆくのだった。
そんな彼らを陰から見守る目があった。
「お主ら、分かっておるな?特にヨハン。」
「もちろんだとも。万全を期す。」
ムーリン公爵の顔からはいつもの微笑みの仮面が剥がれていた。
「ロイド、ユーリ、お前らもな。」
「わ、分かっているさ。約束する。」
「腕の良いのをつけさせるからな。」
カステル公爵とモンジェリン公爵の顔からも余裕は消えていた。
「うむ。陛下にも話を通すゆえ、しっかりとやるのだぞ。」
父のパウロが宮殿の主要人物、ことに政界の三大妖怪ジジイを顎で使える隠然たる力を有しているとは、私は少しも知らなかったし、気づかなかった。
パウロの若い頃をえがいた外伝『王国三大美女と名高い詩才溢れる妻と悠々自適生活を送るため、権謀術数を尽くします』とかは始まりません。始まりませんってば。
ダンスシーンはこちらの動画を参考にしました。
https://www.youtube.com/watch?v=r-JEFZCnYa8