63 来賓挨拶とアミューズブーシュ
このところ投稿が遅くなって申し訳ないです。
平にご容赦を。
「我が娘、アンドレアは浄福なる神々の恩寵を多く受けました。わが娘は、必ずや我が国に貢献し、多くの人々を喜びに導くのに貢献しましょう。皆様よりの愛情を受け、よく学び、健やかに育つことを父親として期待するものであります。どうか皆様、わが娘をお見知り置きください。」
私の挨拶の後に、アントニオ殿下からのお言葉を賜る。
「アーディアス公爵ダルトンが娘、アンドレア殿の類い稀なる才能には驚くばかり。誠に嘉すべきである。耳の早い者は聞き及んでいようが、先ごろの御前会議にて、アーディアス卿は身寄り無き孤児たちへの祝福式の費用と、その教育を国家でおこなう事業を提案し、国王陛下はそれを認められた。現在はその準備中である。」
アントニオ殿下はここで聴衆を見渡す。
「神々はこれを見て良しとされたのであろう。アーディアス卿の慈悲深き心と行いが、神々の御心に叶った証左ではあるまいか。これもまた喜ばしいことである。」
ここで彼は懐から一枚の封筒を取り出した。大振りの、エンボス加工で国王の紋章が施された白いそれは、ヴィナロス王国の国王の親書を入れるためのものだ。
その封筒を見て、私や一家はもちろん、この大ホールにいる者は全員、左胸に手を当てて頭を下げる。
「さて…、ヴィナロス王国の国王・ガイウス2世陛下より、アーディアス公爵へ祝福のお言葉をお預かりしている。謹んで聴け。
“ アーディアス公爵ダルトン以下、アーディアス公爵家の者らに告げる。この度、ダルトンが娘、アンドレアの祝福式にて浄福なる神々の恩寵を賜ったことを嬉しく思う。まことに慶賀のいたりである。令嬢の健やかなる成長と将来を嘱望する。”
以上である。」
アントニオ殿下は親書を私に差し出す。
「陛下よりの格段のご恩情、幸甚に存じます。必ずや陛下の御心のままに。」
私はそう答えて、親書を拝受した。
続いて、来賓から宰相閣下、ムーリン公爵、カステル公爵、モンジェリン公爵、アンブローズ辺境侯の順にお祝いの言葉を改めて頂戴する。
宰相閣下の簡潔だが詩的な美しさすら感じられる祝辞はもちろんとして、老練な政界の妖怪ジジイ3人の祝辞が意外に短かったのが印象に残った。初めての孫娘に感極まってしまったのか、感涙に咽びながらのアンブローズ辺境侯の祝辞の方がかえって長かったほどだ。
あまり話が長くても料理長のモランが腕を振るった料理が待っているのだから、短いに越したことは無い。内容は似たようなものだし。
それに今回、モランの料理を楽しみにしている客が多いと耳にしていた。それも無理はないと思う。
なにせ、今やモランはすっかり有名な料理人となっている。あの“アーディアス公爵家のお手軽昼食パン”ことサンドイッチと、マヨネーズの開発者ということになっているのだから。
この国ではサンドイッチはその調理の簡単さ、挟む具材の種類を問わない柔軟性、手軽に食べられる事でたちまち庶民にまで広まったばかりか、最近は貴婦人たちの昼間のサロンで出される軽食にもなっているそうだ。まさに貴賎を問わず受け入れられている。さらに旅人や行商人たちを介して他国にも広まりつつあるという。
そして、それ自体がソースの一種として美味しいだけでなく、他の素材と組み合わせる材料ともなるマヨネーズも同様に大評判となり広まっている。
モランの出したサンドイッチのレシピとマヨネーズの作り方を書いた料理本は、版を重ね、海賊版すらある始末だ。時にはモランの下で修行したいと、わが屋敷の門を叩く料理人すらいる。
そんなわけで『かの料理人モラン氏は、いかに素晴らしい料理を出すのだろうか』と、期待が高まっているのだ。
その期待は、すでにこの大ホールでの待ち時間を潰すために用意されたシャンパンと突き出しである程度は満たされていた。
大ホールの壁近くには円卓と椅子が用意され、そこに銀のケーキスタンドが置かれている。そのケーキスタンドに用意されている突き出しに、食通を自認する人々はさっそく手を伸ばしていたのだ。
そこに用意されていたのは、バジルと卵のサンドイッチ、松の実とある種のツナのサンドイッチ、薄切りの生ハムで巻いたメロン、食べられる花の乗ったカナッペには数種のドライフルーツを漬け込んだヨーグルトを使ったクリームを挟んである。ラディッシュとカマンベールチーズを乗せたカナッペ、ソーセージをパイ生地で包んで焼いたもの、オリーブの実の塩漬けと数種の肉を一緒に刺した小さな串焼き、ツナと野菜・ハーブを混ぜたものを薄切りにしたキュウリで巻いたもの、などなどが用意され、彼らの目と舌を十分に楽しませていた。
「これまで、そのお名前を耳にする機会はあまり無かったのだが、アーディアス卿がこのような美食家であったとは!」
「驚きでございますな。突き出しでこれならば、この後の宴はどんな素晴らしい料理なのか…。」
「定番のものも美しく作られ、目新しいものもそれに頼らず完成度が高い。」
漏れ聞こえてくる美食家たちの評価はなかなかどうして、上々のようだ。後でモランをねぎらう時に教えてやろう。それから給料も上げてやらないとな。引き抜かれると嫌だ。
賓客たちの挨拶の後はしばらく、招待客と親交談話の繰り返しだ。次から次に祝福を述べるとともに招待の礼と握手を求める招待客を、私と妻の二人で次々に捌く。
公式の食事会が始まるまでのわずかな時間なので、この時に挨拶できなかった人は食後にしてもらう。
そんなわけだから、モランが用意した美味しそうな、いや、美食家たちが褒めているのだから絶対美味しいに違いない突き出しは、ただの1つも食べられなかった。
やがて従者たちがラッパを吹いて、大ホールにいる者たちに食事会の支度が整ったのを知らせた。
大ホールから大食堂室に通じる大きな扉が開かれ、そこに招待客が招かれる。
「さあ、アントニオ殿下、キャストレット妃殿下。どうぞこちらへ。」
私はアントニオ殿下を、妻はキャストレット妃殿下を先導する。従者が椅子を引いて、席に着く。
各席には銀器の大きなサービスプレートが置かれている。その上にあるのは優雅な透し彫りのナプキンリングに通された白いナプキン。
サービスプレートの左右には、ナイフやフォーク・スプーンなどの食器が並べて用意されている。ナイフだけで5種類もあるのだが、こういうのは使う順番に外側から並べてある。それはこの世界でも変わらない。
左奥にはパンを乗せる皿と、金色の草入水晶で作られたバターナイフスタンド、その隣には蓋つきのバター入れが置かれている。
これらの銀器の多くは私が子供の頃に亡くなった祖父が、北方のドワーフの職人に作らせたもので、父の話では食道楽だった祖父はこれを気に入って、年に数回は客を招いて公式の食事会を催していたという。長く使えているし、どのみち必要なものなので無駄な投資では無い。
右手にあるのは5種類のグラス類。
赤ワイン用・白ワイン用・シェリー酒用・シャンパン用・飲み水用だ。いずれも豊かな金色の縁取りがされ、繊細なカットによる模様が施されている。
こちらはアル・ハイアイン王国のナハムのガラス職人のもの。これも祖父の作らせたものが1つも欠けずに残っている。魔術の心得がある者が見ればわかるのだが、このグラス一式には全部に“保護”の魔術が付与されている。落とした程度では傷ひとつ付かない。
信じ難いことだが、このグラス一式を気に入った祖父は何ヶ月もかけて、グラスのひとつひとつに“保護”の魔術を永久付与化していたのだと、父はいつだか語っていた。とんでも無い手間だが、祖父はそれだけ気に入っていたのだろう。
部屋の一角に設けられたステージから、楽団が軽やかな音楽を流し始めた。それを合図に、厨房の配膳室へと通じる扉から給仕たちが前菜を乗せた皿を持って、整然と隊列を組んで現れると配膳してゆく。
食事会の始まりだ。




