56 祝福式の準備と娘への実感
ゴルデス卿との面会後、私はそのまま宮殿に出仕した。
当然ながらやたらと早く宮殿に着いてしまったので、ちょうど出てきたばかりの秘書官を仰天させてしまった。そのことを秘書官から遠回しに皮肉を言われた程度で、特に業務に支障は無く仕事を粛々と進める。
竜の狩場に行くための準備もしないといけないが、外交上の前例の調査中なので特にすることは無い。
竜との盟約に関する法律の調査も司法長官のバイヨンズ卿が進めているはずだが、それの結果は国王陛下と宰相閣下を交えての会議の場で明らかにされる。
その会議は来週なので娘のアンドレアの祝福式の後。少し前までの嵐のような忙しさが嘘のような感じだ。
エレナ局長に幼児教育研究機関の実務要員が1ヶ月後をめどに到着予定だから、それまでに孤児院でのカリキュラム案を作成しておくようにと指示を出しておく。
エレナ局長と幼児教育研究機関のメンバーには、最終目標とそこへの基本的なロードマップを示してあるから、万が一にでも竜の狩場で私の身に何かあっても最低限の形はものになるだろう。
調査官ベルペックからは、霊媒師たちからの聞き取り調査をまとめた書類が提出されてきた。
一度聞いた内容なので新しい情報は無い。“ガラシレ横丁の占いババ”こと、王都の霊媒師の元締めレオノラはまだ帰っていないとのこと。老婆だし、ゆっくり移動しているのだろう。
秘密会議でキャンセルになっていた面会や打ち合わせの残りを済ませると、大した用事は残っていなかったので、今日は早上がりにすることにした。
秘書官は、うらやましいー!などと言っていたから、君もたまには早めに上がったって良いんだぞ、と答えて私は屋敷に戻った。
むしろ、屋敷に戻ってからの方が忙しいのだ。明後日はとうとう、アンドレアの祝福式当日である。
屋敷に戻ると、明後日にあるアンドレアの祝福式の支度に大忙しである。
「旦那様、お早いお帰りで。」
「朝が早かったからね。」
執事のマイケルはちょっと驚いた顔で出迎えた。彼はマリアの指示に従って、屋敷の使用人の陣頭指揮の真っ最中だ。
当日、宴に招く客を出迎える準備が整いつつあるホールには、必要な準備をメモ紙に書いたものを、壁の一角にまとめて張り出してあった。彼は終了と責任者の確認の報告があったものを順次片付けてゆき、誰が見ても全体の状況が把握できるようにしていた。
(さすがだ、マイケル。)
これならマイケルがこの場にいなくても、終わっていない場所を自分で確認して手伝いに行ける。
「出席できない諸侯のほか、各地の商人、それと領民たちから祝いの品と祝辞が続々と届いております。」
「ありがたいものだな。返礼用のリスト化作業は全部終わってからかな?」
「そのつもりでおります。届いた順にメモしておりますので、後日清書してご覧に入れます。」
マイケルの報告に、私は頷いて屋敷の様子を見て回った。
女使用人長のラバールは、屋敷中の掃除と飾り付けをする女使用人メイドを監督して忙しく走り回っている。
「旦那様、お戻りでございましたか。必ずやお嬢様の祝福式を、お客様の記憶に残る素晴らしいものにいたします。大食堂室の準備の確認に参りますので、これにて。」
私が声をかけると、よほど忙しいのか、ラバールはほぼ一方的にまくし立てて、一礼するや否や小走りで行ってしまった。ふだん落ち着いた態度を崩さない彼女だけに、私はちょっとあっけに取られてしまった。
従者長のアルバンは、当日の式次第の進行と給仕の段取りを教えて練習させていた。
アルバンは従軍していた経験がある男なので、その指導結果はどことなく軍隊の行進を思わせる動きの揃ったものとなっている。
「これは旦那様。全員、それなりに動けるようになりました。当日、給仕も従卒の役目も粗相無くこなしてご覧に入れます。ご安心ください。」
胸を張って報告するアルバンに、それは重畳、と答えておいた。客に料理や酒をブチ撒けるとかしなければ良いのだが、完成度が高くて困ることはない。
料理長のモランが居る厨房を覗こうかと思ったが、近づくとモランの大きな声が響いてきた。それで厨房の中は戦場並みの忙しさらしいと気付いたので、こっそりとその場を後にした。
窓から外を見ると、庭の手入れをする園丁たちが目立つ場所に花を植え込んだり、娘と同じ名前のバラの鉢植えを並べたりしている。暗赤色なので地味になるかと思ったが、なかなか良い感じだ。
妻のマリアの寝室に行くと、アンドレアに授乳中だった。
「ただいま、マリア──おっと、すまない。外に出るよ。」
「お帰りなさい。なに言ってるの。夫なんだから何度も見ているでしょう。」
私は気を使って踵を返そうとしたのだが、彼女の方はしゃあしゃあとして私を呼び止めた。
「意外と落ち着いているね。」
「もう準備は全部した。今さら、どうもこうも無いわよ。腹を括って実行あるのみよ。」
「まことに頼もしいな。君にお願いして正解だった。ありがとう。」
落ち着き払って悠然と母乳を与える彼女に、私は心の底から感謝を述べた。
「あなたも思いがけないような仕事が入ってしまったしね。なんとか二人で乗り切りましょう。」
私はこの時ほど、マリアが妻であって良かったと思った。
自分だけで今の状況が乗り越えられたかどうか。乗り越えられたかもしれないが、酒に頼ったり、回復薬漬けになっていたかもしれない。あまりうれしくはない予想だ。
私はマリアの胸で白い産着を着せられて、一心に母乳を飲んでいるアンドレアの顔を見る。その表情は、街で見かける乳飲み子のそれと違うようには見えない。
この子が本当に『悪役令嬢』となり、悪事を働いて一族ごと王子と聖女に断罪されて没落するような悪事を働いたり、あるいは王子と共に闇堕ちして私をはじめとして多くの人々を生贄に魔王召喚を実行に移す魔女となるようには、とても思えない。
それは親の欲目かもしれないが、偽らざる私自身の『実感』だった。
いろいろな事が動き始めた1ヶ月間。
前世を思い出し、現代地球の知識を思い出した。
それによって、この世界が恋愛ゲーム【白薔薇の聖女と黒薔薇の魔女】の世界、少なくともそれに酷似した世界だと気がつき、このまま行けば自分と家族の命が無い事を知った。
東の隣国の不穏な動き。
金角の黒竜王との接触。
これらはゲームには無かったイベントで、これがどう影響するのか、そもそもこの世界自体がゲームと関係無いものなのか。
ゲーム的な要素を感じさせるものは、今のところ何ひとつ無い。
ゲームの画面では主人公の能力を見るステータス画面があった。よくある転生ものにあるような仕様になっているんじゃないかと考えて、夜にトイレに篭って『ステータス、オープン』などなど、少しづつ言葉を変えて試してみたが何も起こらなかった。
それに『シナリオの強制力』が働くのじゃ無いか?と警戒して、異常な魔力やなんらかの霊的な存在を感知できる魔術トラップを屋敷中に密かに設置しまくっていたのだが、今のところ空振りだ。
(あるいは、これからなのか。)
この世界は【白薔薇の聖女と黒薔薇の魔女】のものでは無く単に似ているだけ、という考えに私は傾いているが、祝福式を境に変わるのかもしれない。
白薔薇の聖女・黒薔薇の魔女のどちらの主人公を選んでも、ゲーム自体のプロローグは主人公の祝福式から始まる。
なにせ、まだゲーム的にはプロローグ前なのだ。
だからと言って『祝福式をやらない』という選択肢は無い。そちらの方がよほど不審がられてしまう。
これからは『シナリオの強制力』の発生を念頭に行動してゆくことになるだろう。
「やれやれ。俺Tueeeも、最強も、無敵も、魔力無限も、便利なスキルも、そのほか都合の良いことはなんにも無いけど、なんとかするぞ!」
私は決意を胸に、だけど屋敷の者たちに不審がられないように、ベッドでシーツをかぶって小さな声で叫んだのだった。
主人公のダルトンには、なろう系定番のチートはほとんどありません。よくあるネタもほとんど無しです。
彼にはこれからも根性と現代地球の知識で頑張ってもらいます。




