55 ゴルデス卿との面会
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みなさま、拙作をお読みくださり、ありがとうございます。
翌朝、朝食もそこそこにして、私は王都にあるゴルデス卿の屋敷を訪問していた。
外務大臣を務めるゴルデス卿の屋敷は堀を隔てて宮殿を囲む胸壁を臨む、貴族の館や官舎が立ち並ぶ一角にある。
「ゴルデス卿、突然のことで申し訳ありません。」
「いえいえ、とんでもない。心中お察し申し上げますぞ。」
ゴルデス卿はありがたいことに事情を察して、すぐに会ってくれた。ゴルデス卿の使用人に案内されて、彼の書斎に通される。
「“防音”を使っても良いですかね?あとお人払いを頼めますか?」
「もちろん。漏れ聞かれて良い話じゃないですからな。」
許可を得た私が“防音”の魔術を展開している間に、ゴルデス卿は視線で控えていた使用人たちを下がらせ、自分で扉を閉めると、カーテンを引いた。
「どのみち、今日は陛下にお会いしてヤー=ハーン王国対策について話し合うところだったのです。こちらとしても都合が良かった。」
「そうでしたか。手紙の内容が思ったよりも酷くて。」
「そうですな。まずは卿のご友人の安全を確保しましょう。」
私はゴルデス卿に勧められて、クッションの効いた座り心地の良い美しい装飾の椅子に腰を下ろした。目の前にある透明なガラスのテーブルには、銀の盆に乗せられたティーセットが用意されている。
「とりあえず、すぐにこちらに来るように昨夜、ハト便を飛ばしました。」
「悪くない対応ですな。ハト便ならあと2、3日というところでしょう。」
「お恥ずかしい限りですが、あの時は少し動転してああいった対応をしました。実際、あれで正しかったのでしょうか?」
私の問いにゴルデス卿は顎に手をやって沈思黙考する。
「…先ほど私は“悪くない対応”と申しました。その考えは変わりません。ただ、ひと工夫の余地がありますな。」
「“ひと工夫”とは?」
私の問いに彼は直接答えず、少し説明をする。
「ヤー=ハーン王国のスカール一世王とて、やはり人材流出は好ましく思ってはおりますまい。内向きにはともかく、外から見れば国力衰退を示すもの以外の何物でもありませんからな。回りくどいやり方をしているのも、それがためでしょう。」
「なるほど。ならば妨害工作をしてくるでしょうか?」
「そこです、アーディアス卿。」
ゴルデス卿は我が意を得たりと言わんばかりに指を鳴らした。
「おそらく、ご友人のディエティス師はその事を察しておられる。それで“北に向かう”や“家庭教師にでもなる”と言っているのです。弟子に加え、自分までもがヴィナロスの世話になったとなれば、我が国が裏で糸を引いているとヤー=ハーン王国側に思わせる可能性があると慎重になっているのでしょう。」
「そうでしょうね。それはあり得ると思っていました。」
「ディエティス師は誠に思慮深い方だ。我が国とあなたに禍累を及ばすまいと考えて、行動しておられる。」
そこで一旦、会話を切ると、ゴルデス卿は紅茶をカップに注いでくれた。
「ミルクは入れますかな?」
「いえ、そのままで。お気遣いいただき、ありがとうございます。」
私は紅茶をひと口飲んで、初めて自分の喉が渇いていたことに気がついた。やはり緊張しているようだ。昨夜もよく眠れなかった。
「実を言うと、私はディエティス師についてよく知らなかったので調べました。立派な経歴の方ではありませんか。」
「ゴルデス卿に兄弟弟子のことを褒めていただけるとは、嬉しいですね。」
私の学友で兄弟弟子でもある、ケイト・ディエティスは錬金術理論の専門家だ。その筋ではそれなりに名の通った人物である。
錬金術は物質や元素の魔術的性質を、それと世界の魔術的性質との関連を研究する魔術分野だ。
普通の魔術が霊素を操作するのに対し、錬金術は霊素が物質に与える影響の側面(これが“魔術的性質”だ)を操作する。
合金にしたり、液化したり、化合物にすることで、それは変化するので、錬金術師たちはそれを調べて相互の影響や、その背景にある法則性を研究している。
錬金術と言うと、いわゆる卑金属の貴金属への変換などが有名だが、今ではあれは非常に効率が悪いことが分かっているので誰もやらない。
わかりやすく言うと『1グラムの純金を得るのに、10グラム以上の純金を買うのと同じぐらいの費用がかかる』のだ。現代地球の知識を使って大雑把に言うと、水銀(元素番号80)から陽子の数を1つ減らせば金(元素番号79)に変わるのだが、その1つを減らすのが大変らしい。
ケイトは金属を材料にした錬金術理論を研究しており、そのために材料を得やすい故郷のヤー=ハーン王国の王立学院に籍を置いた。
学生の頃は彼女の素材集めに付き合って、ときどきエラい目に遭ったり、ギリギリを狙った実験計画を立てて知らずに危険を冒していたり、共通の師であるテオドロ教授にたびたび大目玉を食らったものだった。
彼女はときおり論文を送ってきて、私はその精緻な、美しさすら感じるような実験系の構築と論理の立て方に感心したものだ。
ちなみに私の専門は霊素力学で、これは魔力そのものの性質を研究する。
効率の良い魔力の使い方などが実用に供される応用技術であり、その成果は一般的に魔法道具作りなどに役立てられている。
「現在のヤー=ハーン王国の状況を考えると、ケイトは手放したくない人物のように思うのですが?」
「そうです。まず、出国手続きに横槍を入れられる可能性がありますな。遅延戦術というわけです。」
「であれば、表向き断りにくい手段を講じてはどうでしょうか?」
それにゴルデス卿は頷きつつ、いろいろな手段を示した。
「少々あからさまかも知れませんが、他国からの招聘など検討に値しますな。研究費の援助を受けて返礼に向かう、のように自発的に国外に出向くように見せかける方法も考えられましょう。いずれにせよ、一度北に向かってもらうのは良いルートです。」
「国外に出れば我々が援助しやすいと?」
「左様です。取り急ぎ、現地にいる大使のカッシス卿と連絡を取り、密かにディエティス師と接触を持ちましょう。」
ゴルデス卿はあっさりと言うが、即日に連絡するのは大変なはずだ。
「それは“物資転送”で?」
「そうですな。あれなら今日中に連絡できますからな。」
“物資転送”は無生物を1つ、指定された魔法陣内に空間ごと転移させる魔術である。
この魔術に必要な魔力は、転送する物の重さ(密度)・大きさ・転送する距離によって変化する。もちろん、より重く・より大きく・より遠くへ転送するほど必要な魔力は増大する。それも幾何級数的に。
ヤー=ハーン王国まで送るのにどれほどの魔力が要るのやら。高純度の人工魔晶石の5つや6つ、1回で使い潰すのではあるまいか。書類ひとつ送るのにそれである。
逆に言うと書類ひとつなら、その程度で済むので外交に使われている、と言えるのかも知れない。
「ゴルデス卿、我が友人のためにお骨折りいただき、ありがとうございます。このご恩は必ず返します。」
「いやいや、一流の錬金術の専門家が確保できるなら安いものでしょうとも。それに、こちらとしてもヤー=ハーン王国の精度の高い情報源が増えるならありがたい。あとはお任せあれ。失望させませんよ。」
ゴルデス卿は笑顔で答える。ただそれは、外交の長としての含みある笑みだった。
ここから先は彼の外務大臣としての仕事なのだ。




