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54 積み木の発案、そして学友の窮状

 宮殿ではいつものように秘書官のアンドレに出迎えられて、今日の日程を聞く。

 秘密会議でキャンセルになっていた面会を順次済ませる間に、後回しになって積み上がった決済書類の山をやっつける。

 そして肝煎りの『幼児教育研究機関』の最初の中間報告が上がってきていたので、昼食を食べながらじっくりと読む。まだ始まったばかりでなので成果らしい成果は無い。

 内容は現在の調査作業の進捗状況、暫定的な分析、そしていくつか上がった実験の提案などだ。


 面白いのは、その中に『積み木』があった。

 積み木のような遊び自体は自然の石や木の枝を使って、あるいは建築の端材をもらって、いつの時代でもやっていたのだろうとは思う。

 しかし、現代地球で知られるような『積み木』の原型 Froebel(フレーベル) gifts(ギフツ) が作られたのは1837年、ドイツで世界初の幼稚園が開設された時のことだった。その内容は木製の幾何学的な形のブロックや球・棒などで、普通に見かける積み木はそれが洗練・改良・簡略化されたものだと言える。

「そう言われれば、積み木って見かけなかったな。」

 アレクの部屋を思い出しても、積み木の類は無かったはずだ。

(これなら、木工職人に作らせればすぐにできるし…。色をつけるなら顔料は無害なものを選ばないと。)

 有害な顔料といえば、真っ先に連想するのは鉛白(えんぱく)だ。

 この鉛の化合物はかつて肌を白く見せる化粧品の原料として大量に使われ、多くの人々の健康を損ね命までをも奪った。一度使うと鉛中毒で肌がボロボロになるので、それを隠すために有害な鉛白(えんぱく)入りの白粉を使い続けるはめになる悪循環に陥ったのだ。

 この世界では過去の時代に鉛白(えんぱく)の有害性に気づいたのか、白粉に使われているのは亜鉛の酸化物である亜鉛白(あえんぱく)だ。こちらはずっと毒性が低い、というかほとんど無い。

 実際のヨーロッパでは亜鉛の存在が長く忘れ去られていたのに対し、この世界では亜鉛が利用され続けてきたという歴史の違いのためかもしれない。

(色を付けるのなら、糸や布を染めるのに使う染料を使えば無害かな。)

 私は報告書に“人体に悪影響のある物質を使わない、角をある程度丸める、柔木(なんぼく)で作ること、ブロックを子供の口に入らない大きさにするなど、安全性に配慮するように”と意見書をつけて、エレナ局長に返した。

(積み木で子供と一緒に童心に返って遊ぶ…。なかなかいい絵だよなぁ。)

 その様子を想像する私の顔はにやけていたらしい。秘書官から、気持ち悪い顔してなに考えてるんですか、と言われてしまった。


 屋敷に戻ると、いつものようにマイケルからその日1日の報告を受ける。妻のマリアも侍女のロレーヌも無事に帰宅しており、これといったことは無かった。

「ハト便が来ておりましたので、書斎にお持ちしました。ご確認のほどを。」

「おお、来たか。」

 待ちに待ったケイトからの返信だ。ヤー=ハーン王国の内情も知りたいし、内容が気になる。

「先にそちらを読んでいるから、夕食の支度ができたら呼んでくれ。」

「かしこまりました。」

 私は室内着に着替えるのも惜しんで、ハト便を開く。パラリと開いた手紙の内容はかなり深刻だった。

 はっきり言うと、それは暗に国外への逃亡への手助け、あるいは亡命を求める内容のように読めた。


“ 親愛なる学友 ダルトン・アーディアスに宛てて


 ヴィナロスは変わり無いだろうか?君の夫人や子供達は元気だそうで何よりだ。

 女の子が生まれたそうだな、おめでとう。

 この手紙が着く頃には祝福式の準備で君は忙しかろう。出席して祝辞のひとつも言ってやれない、私の不甲斐なさを許して欲しい。


 まずはお礼から。

 弟子たちの就職の件、恩にきる。君のところで働かせてもらえるのなら安心だ。

 彼らには路銀を持たせて、すでに出発させた。この手紙が届いて1ヶ月後ぐらいには、君の屋敷に到着するだろう。

 世話をかけさせて済まないが、まだ若い彼らを先行きの見えないこの国に1日でも留め置く気にならなかったのだ。

 学生たちも勉強を続けることのできない者が多くなり、能力があっても退学してゆく。残った学生たちにも十分な訓練をさせてやれないので、数人の同僚と相談して他国の学院に転学させた。


 ヤー=ハーンの状況は悪くなり続けている。経済的な余裕が無いだけでなく、日に日に、ある種の狂気が社会に満ちてきているような感じを受ける。

 他国が栄えているのは我が国の富をだまくらかして奪っているからだ、などと言う荒唐無稽な説を大声で唱える者すら珍しく無い状態だ。

 これが市井(しせい)の庶民が床屋政談で言っているだけなら無学を笑うこともできようが、恐ろしいのはこれを宮廷の廷臣や官僚においてすら見ることだ。それも決して珍しくは無い。


 中でも王室顧問を名乗るフィリウスなる男──この人物の経歴は誰に訊いても分からない。貴族的な装いと態度を身につけているが、無口で、目だけが笑っていて、粘質の視線を向けてくる、不気味な人物だ──が、そうした世論を煽っている。

 彼は最近、王立学院の必要性に触れるようになった。

 そして、王立学院はもっと王室に貢献するべきであり、いつになっても功績らしい功績の上がらない、研究ばかりしている連中が何の役に立つのかと言い出した。

 その上で、功績の度合いに応じて予算の軽重をつけるとして、王立学院は予算を大幅に減らされた。


 だが正直なところ、彼の言う“功績の度合い”とは、彼に気に入られるように(おもね)ったかどうかで決まる、と言って良い。提案するのもフィリウス、それの意思決定に関わるのもフィリウスでは、完全なる出来レースだ。

 学内はフィリウスに(へりくだ)り同調して馬鹿馬鹿しい説とも言えぬ暴論を唱える者、学問的誠実さを重んじて乏しい予算に甘んじる者とに分かれている。

 私は両親の遺してくれた財産が多少はあるから食べる分にはなんとかなっているが、研究を続けるには少し厳しい状況だ。

 だが、私には師であるテオドロ先生から贈られた言葉“君よ、正き道を()け”を裏切るような真似はできない。


 私は近いうちにこの国を出るつもりだ。すでに密かに財産をまとめて、いつでも出られるように仕度した。

 だが弟子たちに加えて私まで君の世話になると、いろいろと問題がありそうだから北に向かうつもりでいる。

 助けてもらえるなら甘えたいのが本音だが、君の妻君(さいくん)に誤解されても困るし、すでに弟子のことで世話になっているし。

 どこかの貴族か裕福な商家の家庭教師にでもなるか、どこかの町で私塾でも開くことにするよ。

 自分の事をなんとかするだけの気力と体力はまだ十分にあるつもりだ。あまり心配しないで欲しい。


 君と君のご一家の健勝ならんことを。


 ケイト・ディエティス ”


 これを読んだ私は即座に返事を書いた。


“ 前略


 細かい事はどうでもいい。今すぐこっちに来るんだ。

 後の事はこちらにきてから考えよう。

 頼まれた君の弟子はもちろん、私も家族も君を歓迎する。

 待っている。詳しい話を聞かせてくれ。


 草々 ”


 それを書き終えると、すぐにケイトに宛てたハト便にして窓から飛ばした。嫌な予感が脳裏をよぎるが、単なる不安が見せる幻覚であって欲しいと願う。


 続いて、引き出しから白紙を一枚取り出すと、ケイトから来た手紙の上にかぶせた。

 そしてインク壺の蓋を開けて、右手の人差し指を突っ込む。精神を鎮めて指先に魔力を集中させる。

「これなる言の葉の連なり、文に綴られたるものを写しとれ。」

 これは“転写”という、そのまんまコピーを取る魔術の呪文だ。現代地球のような高性能のコピー機など存在しないので、習得しておくと便利な魔術なのだ。

 と言うか、大学で魔術を学ぶなら資料からの大量の筆写が必要なので、実質的に必修の魔術だったと言える。なおこれを見破る魔術もあり、提出物を丸ごとコピペすると教授にはすぐにバレるのだった。

 この魔術は利き手の人差し指がインクで黒くなるのが欠点だが、速さと正確さには代えられない。

 手紙の文字列を白紙の上からなぞれば、白紙にそれが正確に写し取られる。いちいち書き写すよりずっと早い。ものの30秒ほどで転写し終えると、ハンカチで指を拭った。

 そしてすぐに外務大臣のゴルデス卿宛に手紙を書き、封筒にケイトからの手紙の写しを同封した。


 ちょうど、その時に扉がノックされ、執事のマイケルが私を夕食に呼びに来た。

「旦那様、夕食のご用意ができました。今夜は旦那様のお好きな魚介のシチューでございますよ。…どうなさいましたか?」

「ゴルデス卿の屋敷にこの封書をすぐに届けてくれ。今すぐだ。明日、朝一番で面会したいとお伝えしてくれ。」

 朗らかな笑顔から一転して緊張した顔つきに変わったマイケルに、私は封筒を突き出して命じた。

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