53 やりたいことはいくつもあるのに
その後、宮殿への出仕の支度を整えると、妻のマリアと共に普段より早めに屋敷を出た。従者のヴィクトルと侍女のロレーヌも一緒だ。
まず私と妻は神殿に行って、娘のアンドレアの祝福式の式の段取りを確認しておく。
その後、私は領都の大通りの修理の様子を視察してから宮殿へ、妻のマリアは当日飾る花の最終確認に花屋へ向かい、それから久しぶりに友人たちと昼食会。社交界復帰への馴らし運転というわけだ。
マリアは淡い紫色を帯びた銀鼠色のドレス姿だ。それは上下2枚の構成になっていて、下は裳裾の無い無地の絹のドレスだ。
それは胸の上のあたりで美しい襞を作って結ばれ、その先は長く腰の前まで垂れている。その先端は房飾りになっていて、いくつもの真珠が光っていた。
それの上に、下の布地よりもやや濃い色合いの同色の地に銀鼠色で細かく優雅な唐草模様を織り出された布地の上に、真珠色のビーズとラインストーンをあしらった銀糸の刺繍、袖は半袖で金糸による繊細な刺繍が施されている透けるようなレース編みでできている。襟にも同様にレースがあしらわれており、ウエストは無地のドレスと同色の帯で締めていた。そしてリボンのついた薄紫色の大きな帽子を被っている。
裳裾が無いドレスと大きな帽子は、貴婦人が屋外で移動することが予定されている場合の装いだ。もっともドレスの裾は床につきそうなぐらい長いが。
私の装いはいつもの略式の礼装で、現代地球の男性用スーツと比べれば十分装飾的ではあるものの、女性の装いと比べれば地味だ。
「こうして一緒に出かけるのは久しぶりね。」
「そうだな。半年ぶりくらいになるのかな。」
馬車がガタガタ揺れるので舌を噛まないように注意しながら、ちょっと大きめの声で話す。
馬車と道路の改良はなるべく早く手をつけたい事柄だ。
20分ほどかけて、私とマリアは神殿に着いた。アンドレアの祝福式はこのアーディアス公爵領にある神殿で執りおこなう。
わが領地の神殿は先祖代々、資金を寄進して増改築してきたし、私を含めて我が一族の子供は皆ここで祝福式を受けてきたのだ。
現在の建物は3代前の当主、つまり私からするとひいお爺さんにあたる人物の代にできた。
領都の中心部に位置する銅葺き屋根の白亜の建物だ。平面図にすると、だいたいT字型をしている。
正面から見ると凝った装飾の柱頭が乗った柱が6本、それが3列に並び、上がテラスになった屋根を支えている。その屋根の後ろには大きなドームを乗せた、明かり取りの窓がついた円形の塔屋が立つ。左右に伸びた部分の上には鐘楼があって、時間になると鐘が街に響く。
私とマリアは正面入り口から中に入った。そこには素晴らしい彫刻が施された扉が付けられているが、今は開け放たれていた。
ここからまっすぐ正面に神々を祀る祭壇が置かれ、燃える火の向こうに荘厳な神像が立ち並ぶ。高い天井はアーチで支えられ、左右のステンドグラスから午前中の柔らかい日差しが床に彩りを与えている。朝の勤行の際に焚かれた香の香りが、空気にはまだ残っていた。
私らが中に入ると白装束の神官が話しかけてきた。
「おはようございます、公爵様、奥方様。お待ちしておりました。」
「おはよう。お出迎えかな?娘の祝福式の段取りの確認に参った。神殿長にお取り次ぎ願えるか?」
「はい。神殿長は執務室でお二人をお待ちでございます。ご案内します。こちらへ。」
私とマリアは彼に案内されて、祭壇の裏手にある扉の奥に入る。
「この奥って初めて入るわ。」
「私だってそうだよ。」
日常の礼拝に使う祭壇は屋敷にあるので、この領都の神殿に行く用事はそれほど無い。妻との結婚式もここで挙げたが、式だけだったから祭壇までしか行かなかった。
奥は神殿の事務と庶務、ここで奉職している神官たちの生活スペースなどに充てられていた。実務的な造りで装飾はほとんど無いが、職人たちの丁寧な仕事ぶりが伺える上品さと清潔感のある空間となっていた。
そして木の扉を開けて、私たちは一つの部屋に通された。
その部屋は明るい黄色の漆喰で塗られた壁で囲われ、奥に広い窓があって日差しがたっぷり入って明るい。奥に書類と本の乗った事務机、中央に重厚な高級材のテーブルと10脚の椅子がある。
その事務机の向こうで、一人の老神官が立っていた。
「公爵様、奥方様、お久しぶりでございます。」
「トーリオーネ神殿長、お元気そうで何よりです。」
「お久しぶりでございます、神殿長様。」
私とマリアはトーリオーネ神殿長と挨拶を交わした。
トーリオーネ神殿長は大聖都から派遣された高位の神官で、あちらでいろいろ歴任した後、穏やかに暮らせそうなこちらに望んで赴任したらしい。こちらに来た理由を詳しく聞くと、大聖都の闇を覗きそうな気がするので訊いていない。
「今日は御令嬢のアンドレア様の祝福式の件でございますな。不肖、私めが務めさせていただきます。」
「ありがとうございます、神殿長様。徳高きあなた様に執り行っていただければ、我が娘は神々の覚えめでたきことでしょう。」
私はひとしきり社交辞令を交わした後はマリアに任せた。今回、支度はすべて妻に任せていたので彼女が話した方が話が早い。
「基本的な進行はアレクの時と同じでしょうか?」
「そうでございます。性別・種族関係なく神々は心正しき者に恩寵を垂れたもうものなれば。御令嬢を祭壇の前に設えた水盤に全身を浸し、額に祝福の印を結びます。」
「やはり娘は全裸で?」
「それが習わしでございます。儀式に参列する神官たちが周囲に並びますので、不特定多数の人目につく事はございません。」
「では、やはり衣服は脱ぎやすいものが良いわけですね。」
「左様でございますな。衣服を入れる籠と台はこちらに用意がございます。」
マリアとトーリオーネ神殿長の式次第の細かな最終確認はこんな調子で細部にわたって確認され、最後に数人の神官たちに伴われてリハーサルをしたりした。
「トーリオーネ神殿長。お忙しい中、お時間を割いていただき、ありがとうございます。」
「とんでもございません。当日の良き日、お会いできるのを楽しみにしております。」
こうして神殿での用事は済んだ。
「じゃあ、私は花屋に行った後、お友達と久しぶりに昼食会だから。夕方になる前には屋敷に戻っているわ。」
「わかった。じゃあ、ロレーヌ、マリアのことよろしく。」
「畏まりました。」
マリアに軽いキスをした後、侍女のロレーヌに言うと、そんな事は言われるまでも無いと言外に匂わせて慇懃に応えた。
妻と別行動となった私は、領都の大通りの改修現場に来ていた。
すでに石工たちは敷石の加工・仕上げ作業を始めており、体格の良い男たちが古い敷石を剥がしたり、路盤材の敷き込みなどの作業をしている。
「これは、これは!公爵様!このような場所に足をお運びくださり、ありがとうございます!」
この現場を取り仕切っている石工の棟梁が走ってきた。声が大きいのは職業柄だろう。
「おはよう。工事の進捗は順調か?」
「進捗は問題ございません。順調でございます。」
石工の棟梁の話によると、問題なく予定していた工期で終わる見通しのようだ。私は棟梁と一緒に働く男たちの作業の様子を観察し、問題なさそうなのを確認した。
「大丈夫そうだな。無理に急がず、丁寧な施工をしてくれ。それと事故の無いようにな。」
「我々のような者どもに、公爵様からお気遣いいただき恐縮でございます。」
大きな肩を小さくして畏る棟梁に、私は金貨を入れた小袋を渡した。
「夏場の作業は辛かろう。昼はレモン水でも飲み、仕事上がりには皆に一杯振舞ってやれ。」
「ありがとうございます!お心遣いに感謝を!」
平伏せんばかりに礼をする棟梁のクソデカボイスに耳がキーンとなるのを感じつつ、私は馬車に乗り込んだ。
私はアーディアス公爵領の主要道路の舗装計画を立てている。
本当はアスファルト舗装をしたいところだが、大量にアスファルトを確保できる産地が無い。仮に見つかったとしても、大量に遠距離から運ぶとなるとそれだけで莫大な費用を要する。
(アスファルトの価格自体は高く無いから、試験的に屋敷の道とかでやってみようかなぁ。)
現代の地球で一般的な舗装材であるアスファルト・コンクリートの発明は意外に新しく、アメリカで1870年に開発された。アスファルト舗装自体が1830年代から、と言う事実を初めて知った時には驚かされたものだ。それまでは船の防水や接着剤などに細々と使われるだけだったそうだ。
なんにせよ主要な素材のアスファルトの大量確保が難しいのでこれは諦め、現在進行中の大通りの修理は従来通りの花崗岩のブロックを敷いている。
他にセメントも開発したいが着手できていない。
こちらは領地内に石灰岩の産地がいくらでもあるのに残念だ。もっとも、どんな石灰岩でも良いわけでは無いそうなので、試行錯誤を重ねる必要があるだろう。他にも必要な素材もあるし、建築に使うとなると大量に、継続して得られることが前提になる。
(セメントができればコンクリートもできるわけだから、この後に役立つ機会が多そうだし、なんとかものにしたいなぁ。)
やりたいことはいくつもあるのに、なかなか思うようにならない。周辺状況にしばらく振り回される今の身に、私はため息をついた。




