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42 宮殿の食堂

 宮殿には多くの官僚や近衛兵、使用人たちが働いている。この宮殿だけでひとつの町と言っても過言では無いほどだ。

 当然、それだけの人々の腹を満たす必要があるわけだ。しかしながら、階段状になっている斜面に築かれたこの宮殿は城下の町から少々遠い。行って戻ってくるのに15分前後かかる。

 この世界では前世の現代地球の世界ほど時間でギチギチに縛られていないが、だからと言って昼食に2時間も3時間もかけるわけにはいかない。その時、その部署の忙しさ加減によるが1時間程度が普通だろうか。

 そんなわけなので、宮殿にはここで働く者のために食堂が設けられている。

 その食堂は宮殿の西翼と東翼にひとつづつ設けられており、腹を空かせた宮仕えの者らを朝から晩まで迎えてくれるのだ。


「初めて来たのだが、けっこう広いのだな。」

「…そうですね。」

 私が向かったのは西翼の食堂である。前を通ることはしばしばあるのだが、中に入ったことはなかった。物珍しさに私は周囲を見渡す。

 宮殿内なので品位を落とさないレベルの装飾と設えがなされているが、王族や貴族・国賓などを迎えることを前提とする部屋と比べれば簡素なものだ。

 昼前だけあって、そろそろ昼食を食べに来る者が多くなりつつある時間である。

 ちょっと周囲がざわついていた。なんで、偉い人がここに?などと囁き合う声も耳に入った。

 宮廷魔術師長という職は比較的目立たないから、私がそうだと分かる者が大勢いるとは思わなかったのだが。さすがにこれだけ人がいるとバレてしまうものらしい。


「場違いだったろうか?」

「大臣クラスの人はふつう来ないですね。」

 やや呆れた声で秘書官は答えた。

「そもそも、そういうのを想定して無いですし。メニューだって、城下の町のものと大差ないですよ。」

「そうなのか。かえって興味を惹かれるな。」

「本気ですか?」

 忙中閑(ぼうちゅうかん)ありとは言うが、昼食はそんな時間だろう。

「メニューはどこにあるのだろうか?」

「あそこに並んでいるものを買うか、あちらでチケットを買うんですよ。」

「あれか。」

 食堂の入口脇にメニューを一覧にした表が掲げられており、その下でチケットを求める人が列をなしていた。要するに食券の販売所である。自販機は存在しないから、人がお金とチケットの受け渡しをしている。

 チケットは注文表を兼ねているから、それを配膳台で半券を渡し、準備ができたら残った半券と引き換えに料理を受け取る。そんなシステムである。

「まさか、こちらでも同じようにやっていたとは。」

「へぇ。どこかで見たことがあるのですか?」

「あ、いや、昔にな。」

 うっかり前世の記憶を元に感想を述べてしまったが、誤魔化した。

「例の料理はすっかり受け入れられたんだな…。」

 話を逸らそうと、私は惣菜が並べられた一角を指差した。『アーディアス家のお手軽昼食パン』が各種並んでいる。中には見たことが無い種類もある。どうも独自進化を遂げつつあるらしい。

「そうですよ。すごい売れ筋だって、売り子の人がホクホク顔でした。」

「そうか…。ま、喜ばれるならば本望だ。」

 うまくごまかせたので、私と秘書官はチケット売り場の列に並ぶ。前後の人がギョッとした顔をしていたが無視することにする。

「閣下はそこら辺の椅子に座ってくださっていて良いんですよ。」

「こういう経験をするのも、たまには必要かなと。」

 なにせ腐ってもアーディアス家は公爵家なのだ。食券を求めて列に並ぶとか、城下の庶民向け食堂で昼食をとるとか、意図しない限りは一生経験しないで済んでしまうのだ。

 それは為政者として、それはあまり良い事とは私には思えなかった。

「命じれば、並ばなくても買えますよ。きっと。」

「こんな事で権力を振りかざすとか、それこそ芝居に出てくるバカ貴族そのものでは無いか。」

「まあそうですけど。閣下、自分で言っちゃいますか。」

 秘書官は半ば呆れるような、賞賛するような、複雑な表情で私を見た。そこで彼は何か気づいたような顔をした。


「そうだ。閣下、小銭を持って無いでしょう?」

「銀貨ならあるぞ。」

「もうちょっと少額のやつです。」

 銀貨の下には次の硬貨がある。

 半銀貨。銀貨の半分ほどの大きさの小さな銀貨。銀貨の半額の価値がある。

 1/4(クォーター)銀貨。半銀貨のさらに半分の銀貨。銀貨の1/4の価値。

 小銀貨。王国の印章と数字の1を刻み込まれた銀の粒。銀貨の1/10の価値。形から『豆銀』とも言われる。

 この下にさらに正銅貨・半銅貨・小銅貨がある。

 銀貨は日本円で1000円程度だから、半銀貨は500円程度、1/4(クォーター)銀貨は250円程度、小銀貨で100円程度となる。

 正銅貨は小銀貨の1/10の価値だから10円程度、半銅貨なら5円、小銅貨は1円程度だ。

 この他にも過去に発行され、通貨として認められているコインはあるが、今も鋳造されている銀貨以下のコインはその7種類になる。50円玉に相当する物が無い。

「う、それは無い。」

「お釣りが足らない場合があるので、銀貨とか、ましてや金貨で払うと嫌がられますからね。お釣りが出ないようにきっちり渡した方が良いんです。」

「金貨が嫌がられるとは…!」

 ちょっとしたカルチャーショックだ。

「貰うだけなら金貨や大金貨は大歓迎ですけどね。食堂での買い物には不便ですよ。」

 仕方がないので、支払いは秘書官に任せることにする。


「メニューを決めてくださいね。注文してチケットを受け取るまでの目標時間は5秒です。」

「5秒!」

「メイン時間帯の食堂の忙しさは戦場に匹敵すると思いますよ。即断・即決・即実行。素早い動きが必須です。」

 驚く私に、秘書官が言って聞かせてくれた。

 見ればメニューの一覧表に記された各メニューの端には番号が付されている。この番号を言えば良いので、メニューを読み上げる時間が省けるわけだ。

 耳をすますと、5番、3番と7番、などの声が聞こえる。

 誰が考えたか分からないが、非常に良くできたシステムになっていた。毎日たくさんの人が利用するから、必然的に洗練されるも早いのだろう。

 ちなみに3番はベーコンの入ったカルボナーラのようなパスタ料理にバケットのついたもの。5番はパエリアみたいな具材がたくさん入った米料理。7番は魚のムニエルと野菜の付け合わせとバケットのセットだ。

 他にもパイのような包み焼き、ある種のピザ、ソーセージや数種の野菜を煮込んだシチュー、数種類の野菜とベーコンの細切りを炒めたものなどがある。

「僕はもう決めましたよ。閣下も決めてください。」

「わかった。2番と3番にするよ。」

 2番はミートパイの類、3番はカルボナーラっぽいパスタ料理とバケットのセットだ。

「それなら小銀貨と1/4(クォーター)銀貨1枚ずつですね。」

 並んでいたのは3〜5分もあっただろうか?程なく我々の順番が来て、秘書官は私と彼自身の分を注文し、支払いを済ませる。お金を受け取った食堂の職員は、紙片に料理を示す数字と5桁の数字を書いて秘書官に渡した。一連の作業は二人分で10秒弱しかかからなかった。


「さ、今度はあっちの配膳の方です。」

 配膳の列では、数人の列の整理担当者が最後尾でチケットを受け取っていた。

 彼らはチケットを受け取ると、それを持って配膳室に貼り付ける。それを料理人が順次剥ぎ取ってゆき、出来上がったら料理の受け渡し担当者に渡すのだ。受け渡し担当者は紙片に記された5桁の番号で注文した人を呼ぶのである。

 チケットを渡すのはそれほど時間はかからない。

 驚いたのは料理が5分ほどで出来上がったことで、呼ばれた時には驚いた。

「どうやってるんだろう?時間短縮する魔術なんか使ってないよな。」

「そんな高度な大魔術を料理人が使ってたら、そっちが驚きですよ。」

 タネを明かせば、注文数の多いものは予め一定数用意しておき、作り置きできるものは先に作っておくのだそうだ。

「たぶん、閣下の料理のパスタを茹でたぐらいだと思いますよ。」

「そういえば、このパスタ細いな。…ハハーン、茹で上がりまでの時間が短くて済むのか。」

「そう言うことです。」

 こうした食堂でもきちんと合理性があって動いている事に少し感心する。当たり前か。腹が減っていると気が短くなるものな。


 食事をするための席はすぐ確保できた。秘書官は配膳所からの移動途中にコップを二人分確保してくれる。

 周囲の視線をよそに、私は“浄水作成”の魔術で水を注いだ。

「おお、さすがです。閣下。」

「これくらいはやらせてくれ。」

 カルボナーラっぽいパスタ料理は見た目はそれに似ているが、胡椒ではなく他のハーブの風味が効いていて、塩味だった。チーズと卵がベースなのは同じようだが、ベーコンの細切れとタマネギを刻んだものが加えられている。

 バケットのパンは小麦粉に他の粉を少し混ぜてあるようだ。ちょっと全粒粉のパンに似た味がした。

 これはこれで美味しいし、残ったソースをこのパンで拭って食べるとよく合う。

 ミートパイみたいなのは、合挽肉にタマネギ・ニンジン・何かのキノコ・パセリ・豆などを刻んだものを混ぜ合わせて、パイ生地に包んで焼いたものだ。肉とその他の材料が1:4ぐらいで『肉の入った野菜のパイ』と言った方が適切な気がするが、安く済まそうとすればこうなるのだろう。

「このパイもけっこう美味しいな。なんと言えばいいんだろう、肉の旨味に頼り切りじゃない複雑な味で飽きない気がする。」

「庶民の料理をそう評する人なんて珍しいですよ。」

 周囲の戸惑いをよそに、私と秘書官は昼食を済ませたのだった。

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