39 明日の準備
会議を終えた私は、また秘書官や官僚たちや従僕のヴィクトルを引き連れて、ようやく宮廷魔術師長執務室へと戻ってきた。
「皆、この2週間余りご苦労だった。奏上案は原案通り国王陛下の裁可をいただけた。諸君らの働きのおかげだ。ありがとう。ちょっと良いものでも食べてくれ。」
私は彼らに用意しておいた、ささやかなボーナスを渡した。いいお店で一家揃って食事をすれば使ってしまう程度の金額だが。
「ああ、この金貨の音のために働いてるから嬉し〜!」
小さな布の袋を耳元で振って、秘書官は実に嬉しそうだ。そして相変わらず本音をあけすけに言う。
「そうか、音だけで満足してくれても良いんだぞ。」
「すいませんでした。この価値と重みと煌めきと質感と手触りも大好きなんで、勘弁してください!」
秘書官をちょっとからかってから、いくつか指示を出した。
まず明日の秘密会議の準備を始める。
会議自体は午後からだし、すでにあるヤー=ハーン王国に関係する部分を抜き出してまとめれば良い。明日すぐに作業ができるように、それだけ今夜のうちに準備するよう伝えた。
それと朝イチで東方面での魔物の動向についてのデータを再チェックするように、と指示する。これも午後の秘密会議で報告するため。
そして、悪魔の大公“死を嘲笑う者ザカトナール”についての資料をまとめて上級将軍宛に届けるように、との指示書を王立魔術院の悪魔学専門の学者宛に書いて使い走りに届けさせた。
それから“癒し”属性の子供、五重属性の子供とその妹の三人の引き取り先についての書類を書いて、明日朝一番で送れるように準備する。
最後に、財務大臣に渡す天然魔晶石の買取価格についてのデータの整理。これは明日から始めれば良いので、担当者に原簿からデータを一覧しにてグラフ化し、価格の変化が一目でわかるようにしろ、提出は2日後と指示を出しておいた。
「とりあえず、こんなものか。」
「お疲れ様です。コレ済んだら今日はもう帰りますね。」
書類の束を振りながら秘書官が言う。
「もちろん。それは任せた。」
私はヴィクトルと共に控え室に入って、ようやく重たい正装から解放された。普段の略式礼装に着替えると、心なしかホッとする。
派手な杖と指輪を専用の保管箱に入れて“施錠”の魔術をかける。そして戸棚に入れて扉を閉めて鍵をかけた。鍵は執務室の机の引き出しに入れて、その引き出し自体に“施錠”の魔術をかける。ここを狙う賊がいるとは考えにくいが。
伝家の家宝のネックレスも外して同じようにしまい、ブリーフケースに入れて自分の手で持つ。杖と指輪は宮廷魔術師長の地位を示すだけの飾りなので、極論を言えば無くしてもゴメンナサイで済むが、ネックレスの方は替えがきかない。毎回、持ち出すたびに不安になるものだ。
着替えて控え室から出てくると、秘書官はもう帰り支度をしていた。
「早いな。もう済んだのか?」
私が声をかけると、得意げな顔をした。
「書類をバラして、関係する部分を抜いて並べました。明日朝イチで清書するだけです。たとえ寝坊しても明日の昼までには仕上げてみせますよ。」
「実に頼もしいな、アンドレ。期待しているぞ。」
「すごく久しぶりに名前を呼んでくれましたね。珍しい。」
アンドレ・モリソン、それが秘書官の名前だ。とある貴族とは名ばかりの、さる男爵家の次男坊である。
「たまには呼ばないと忘れそうでな。」
「酷くないですか?」
秘書官と雑談を交わしながら執務室の扉を閉め、鍵をかける。馬車に乗る私とヴィクトル、秘書官のモリソンは途中で別れて、それぞれの帰途についた。
屋敷に戻った時には、すでに家の者たちはほとんど眠りについていた。
「今日は遅いので王都の別邸にお泊まりになるかと思いました。」
執事のマイケルに心配された。
「夜更けまで待たせてしまって、すまない。」
従僕のヴィクトルにチップを握らせてから、今日はもう休むように命じて下がらせる。
「お夕食はいかがしましょう?」
「腹は減っているが、それよりも眠い。今夜はもう寝るよ。明日、起きたら湯浴みをするから、その支度を。」
「かしこまりました。」
妻の寝室の前を通る時に、マリアとアンドレアの顔を覗こうかな、とも思ったが起こしてしまいそうなので止めた。
代わりにメモ紙に“今夜は顔を見てあげられなくてゴメンね”と書いて、ドアの下に挟んでおいた。ロレーヌか、侍女の誰かが気づくだろう。
「明日もいつも通りのお時間で?」
「ああ、それで頼む。明日は早めに宮殿に出仕せねばならない。」
「承知いたしました。では本日の報告なども明日朝に申し上げます。」
マイケルはいつも通りの様子でハキハキと応える。
「それで良い。おやすみ。」
「お休みなさいませ。良い夢を。」
ベッドに入った途端、私は泥のように眠った。寝たという感覚すら無かったので、ほとんど瞬間的に眠ってしまったのだろう。
ついに秘書官君に名前がつきました!




