23 大抜擢の、その裏で
先日のプレビュー累計が過去最高の約1700となりました。
閲覧いただき、ありがとうございます。
エレナ・ファインスは宮廷魔術師長の下にある国家機関・王立魔術院で奉職する職員の一人だった。勤続して10年余り。彼女は魔術師ではなく数学者である。
主な仕事は情報分析。新しい魔術・魔法道具・魔物・魔術がらみと思われる事件や現象など、王立魔術院に持ち込まれた事案の報告書を分析して、統計的手法でその性質を明らかにするのが役目だ。その仕事の内容は自他共に認めるものだった。
途中、結婚・妊娠・育児のために休職した時期もあったが、同じ事に通じた者が少ないことから問題なく復職できたのは幸運だったと理解している。女の場合、一度休職するとそのまま退職という場合が珍しくなかったからだ。
しかし復職しても、彼女のキャリアは同期の男性職員と比べて明らかに伸び悩んでいた。今なお、例えるならば課長補佐程度の地位に甘んじている。同期の男性職員にはもっと良い職位を得ている者が少なくない。
休職期間があったのは事実だが、その長さは合計で1年半ほど。医術が未発達なこの世界で休職して1年ほど療養に専念したり、また魔術師であれば研究や調査のために数ヶ月〜半年間の長期休暇を取ることは珍しい話では無い。
それなのになぜ自分がこんな事になっているのか。休職や長期の休暇を取ったという意味では、他の男性職員と変わらないはずなのに。
彼女は無念を抱えながら、時に同様の境遇にある他の女性職員と語らい、しかし解決の手段も持たないまま日々の仕事をこなしていた。
それが、宮廷魔術師長閣下直々の計画を遂行する特務機関の長に抜擢である。
エレナは正直なところ信じられなかった。自分には人々の耳目を集めるような華やかな功績があるわけでもなく、それどころか出世が遅れている身。このような大抜擢を受けるなど、裏に何かあるのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「これが辞令だ。転属になるから、王立魔術院で別れの挨拶と身辺整理をして来るように。」
宮廷魔術師長閣下はまじめな顔で辞令書をエレナに差し出していた。
「閣下。辞令をお受けする前に、質問をお許しくださいますか?」
「許可する。何かね?」
「なぜ…私なのでございましょうか?」
エレナはおずおずとダルトンを見上げた。
「それは君の職能と関係がある。統計に通じた君は、表面的な事象にとらわれず判断を下せる能力が培われている。この仕事は子どもに関わる事なので、どうしても感情的になりやすく、先入観にとらわれやすい。それではダメなのだ。何が効果的で、何が無意味なのか。きちんと調査した結果を冷静に分析できる者が長にならねばならないのだ。」
そしてダルトンは集められた職員を見渡して、言葉を続ける。
「調査チームを組織して、十分に成果を挙げた実績も十分ある。もちろん君のこれまでの実直な仕事ぶり、誠実な勤務態度も評価の対象だ。すべては君のたゆまぬ努力の賜物だ。胸を張って仕事をしてくれ。」
「…喜んで、拝命いたします。」
辞令書を受け取ったエレナは目と鼻の奥が熱くなるのを感じた。
私がエレナ局長に語った理由はすべて事実だ。
もちろん、肝心要の事業に無能を当てるなどあり得ないわけだが、この教育改革計画は娘のアンドレアへの教育にフィールドバックされる。
これも娘の『悪堕ち阻止計画』の一環なのだ。自分の命がかかっているのに、身分が高いだけで威張り散らしているような能力が足りないバカを重用するわけがないのである。
新しい特務機関立ち上げに当たって秘書官に人材を探させた。広告を出して募集する時間的余裕は無いが、さりとて何が今後に影響するか分からないから他の大臣たちに借りを作りたくも無い。
幸い、宮廷魔術師長の管轄下にある省庁は頭脳労働者には事欠かないから、そこから探すことにした。
教育経験者から情報を聞き出す役は王国の史書編纂局の歴史学者・民族学者たちから選んだ。彼らは証言を取ったり、経験談などを聞き出す技術に長けている。
そうして集めた情報を整理し、数理的に実態を把握するには統計に通じた学者が一番だ。それに向いた人材は王立魔術院にいた。ここは雑多に寄せられた情報の中から、意味のある情報を取り出す作業に慣れた者がいる。情報分析室には局長に任じたエレナのような数学者が、魔物を研究する魔生物学研究室には雑多な情報を整頓・解析する手法を身につけた生物学者がいた。
彼らは直接、教育に関わる学問領域の学者では無いが、情報の収集と整理・解析をおこなう優れた知識と手法を身につけている。
私はここをお飾り部署にするつもりなど毛頭もなく、正確に・迅速に・確実に調査研究を進めさせるべく、徹底した能力主義を貫くことにした。ここを誤って『成果主義』にすると大失敗の元である。
成果が能力にある程度依存するのは事実ではあるが、『成果=能力』では決して無い。
それは結果が得られるまで時間がかかったり、評価が難しい分野であったり、幸運や周囲の環境にも左右される場合があるからだ。教育分野などその最たるものだ。
『目に見えた成果が無い/少ない=無能』と決めつけて、貴重な能力を持つ人材を逃すのはただのバカである。ましてや性別や年齢・家柄を理由にするなど、もってのほかである。
そんなわけで、我が有能なる秘書官は自らの人脈と調査能力をフルに活用して迅速に人事案をまとめてくれたのだ。後でその努力に応じて労ってやらねばなるまい。
その過程で、正しく人事評価されていないと思われる人物がいることが分かった。
人事評価というのは白黒付けにくい分野である以上、完璧を期すのは難しい。
しかし一部、明らかに意図的に評価に毒を垂らされたと思われる職員もいた。例えばエレナがそうだ。彼女の働きならば、少なくとも課長クラスになっていないとおかしい。
もちろん、この世界には身分制度があり、基本的人権や労働者の権利といった概念がまだ無い世界だ。特に上位の職ではしばしば能力よりも家柄がものを言う。私が宮廷魔術師長を拝命しているように。
なので実力重視とするにあたって、既存の組織ではなく上は私だけの特務機関を新規に立ち上げる事にした。これなら前例にとらわれる事は無い。
ついでに人事評価に手心を加えたりして組織の風通しを悪くする獅子身中の虫を把握できたのは、まったくの棚ぼただった。禍根を断つため密かに証拠集めをしておくよう査察部に命じておいたから、いずれ沙汰を下すことができよう。
やっぱり有能な部下が能力を十全に発揮できるように、気持ちよく仕事を進められるようにするには、他人の足を引っ張る奴には消えてもらうのが一番だなと、私は再認識したのだった。




