21 そして斜め上の展開
昼食の時間になり、私はサンドイッチの入った籠を机の上に乗せた。蓋を開けると美味そうな匂いが広がる。私は傍にランチョンマットを敷くと、そこにいくつかのサンドイッチを置いた。
「閣下、なんか美味しそうな匂いがしますね。」
秘書官が興味深そうに覗き込んでいる。
「お前もどうだ?感想が聞きたい。」
「閣下の発案ですか?…変なものは入ってませんよね?」
相変わらず他の大臣であれば首にされそうなことを言う奴だが、まあいい。ひとつを掴んでずいと突き出した。
「そのまま掴んで、ガブッと食え。」
「えええ…。ちょっとお行儀悪く無いですか?」
「簡便さと食事としての満足度、そしてそれなりに味を勘案したものだ。」
秘書官は遠慮がちに端からひと口、ふた口と食べて飲み込んだ。
「…人前でするのはちょっと気が引けますけれど。手が汚れないし。それに美味しい。」
「面倒無しに仕事しながらでも食えるだろう。」
「食事しながら仕事しろとか、鬼ですか。」
文句を言いながらも秘書官は準備中の報告書の草案に目を通しているようだ。
「忙しい時には重宝しそうですね。小腹が空いた時の軽食にも良いかも。確かに便利ですね。」
「昼に会食の予定が無い時は、しばらくこれにする。」
私の宣言に秘書官は眉根を寄せた。
「もしこれが広まったら、ただでさえお行儀を後回しにしがちな魔術師たちがますます堕落しますよ?」
「さすがにそこまで責任は持てんな。」
私は幼児教育経験者の聞き取り調査報告に目を通しながら、サンドイッチに噛りついた。しばらく食べ進んで、これはこれで美味いけど何か足らないな?と思った。
(あ、そうか。マヨネーズが無いんだ。)
この世界にはまだマヨネーズが無い。マヨネーズが生まれたのは18世紀半ば、名前が生まれたのは19世紀の1815年と言うから、実は前世の世界でも歴史的に新しい。
(卵にお酢に油、それと調味料にハーブ。マヨネーズの素材自体は全部、古代からあるものなのにな。)
私は帰ったらマヨネーズも料理長に試作させようと決める。
「アーディアス卿はいらっしゃるか?」
低いがよく通る声が宮廷魔術師長の執務室に響いた。アーノルドの声だ。
秘書官がビックリして、口にしていたサンドイッチを飲み込むな否や、大急ぎでハンカチで口元を拭いた。そして執務控え室のドアまで飛んでゆく。
「恐れながらバーナード将軍閣下、いかなる用件でございましょうか?」
「突然の訪問、無礼を許していただきたい。アーディアス卿の知見を頼りたい事があって訪問した。」
秘書官と比べると、アーノルドの壁のような長身が際立っている。
「バーナード卿、いかがされたのか?まあ、こちらへ。」
私は彼を執務室に招き入れると、椅子を勧めた。
「食事中だったか?不躾ですまん。」
「気にするな。どうした突然?」
アーノルドの話は難しいものでは無く、新しく購入する魔力付与された装備の魔術式が適切か知りたい、というものだった。近くに来たので意見を聞きに来たらしい。
「私が見ても問題無いのかな?」
「まずいようなら持ちかけない。」
「まあ、そうだよな。」
私はサンドイッチを齧りながら広げられた図面と指示書をチェックした。おかしなところは無いようだ。
「ざっと見たところでは問題無さそうだ。心配ならひとつ試作させて、試験運用して問題点を洗い出せば良いだろう。」
私の答えにアーノルドは安心したように頷いた。そして私が食べていたサンドイッチに目を向けた。
「ダル…いや、アーディアス卿。それはなんだ?」
「ん?これか?これは屋敷の料理長に作らせた──」
サンドイッチだ、と言おうとして慌てて言葉を切った。サンドイッチは前世の世界にいた人物の名前だ。この世界では通用しないし、怪しまれるに違いない。
「──あ、“アーディアス家のお手軽昼食パン”だ!」
我ながらひどいネーミングだと思うが、とっさなのでこんな名前しか思いつかなかった。
「お前の発案なのか?長い名前だが、美味そうだな。ひとつもらえるか?」
「構わないぞ。屋敷の者には“庶民的過ぎる”と顔をしかめられたがな。」
私はアーノルドにひとつ手渡してやった。
「ありがとう。小腹が空いたところだった。」
そしてサンドイッチ改め、“アーディアス家のお手軽昼食パン”をしげしげと眺めた。
「“庶民的に過ぎる”…?そうだな、貴族の公式なディナーには出てこない感じだな。」
そう言って大きく口を開けてガブリと食った。貴族の教科書的な食事のマナーからすれば無作法なのだろうが、アーノルドの食いっぷりは清々しさすら感じるもので不快な感じを受けない。しばらく口を動かしてから飲み込む。
「ふむ、いろいろな具材が入っているが、それぞれの味が調和して実に美味いな。手軽だし、手も汚れず、食器を使わずに済むのはとても良い。」
アーノルドは感心しながら残りを一気に頬張った。一口がでかいな。
「アーディアス卿、これのレシピを教えてもらえないか?これは陣中食として非常に望ましい。」
「別に構わないが。…そうなのか?」
「ああ、持ち場を離れられない兵がその場で食べられる。これならば行軍中でも料理人に簡単かつ大量に用意させることができ、これまで兵士たち自身に食事の支度に当たらせていた時間を休息に当ててやれる。最悪、歩きながらでもこれなら食える。」
そう言われれば、そうだな。考えたことがなかった。
「私がアイデアだけ出して、我が屋敷の料理長が工夫してくれたのだ。後日レシピを書いたものを用意させよう。」
こうして、思いがけずサンドイッチ…ではなく“アーディアス家のお手軽昼食パン”が白金龍騎士団の騎士たちの任務中や訓練中のまかない、行軍中の陣中食として採用されて広まった。
それは美味しさと手軽さ、後始末がごく簡単なことから兵士たちの間でたちまち評判となって定着した。
そして私も追加のアイデアを出し、入れ知恵して、料理長のモランの手による各種のサンドイッチとマヨネーズのレシピが書かれた小冊子『アーディアス公爵家の美味にして簡便至極なるパンの料理30のレシピ集』が出版される運びとなった。
兵士が食べるようになれば、市井の庶民もすぐに知るところとなる。
貴族ほど作法にうるさくない彼らの間で爆発的に流行し、そこらの安い居酒屋のメニューにおいてすら、その名を見るほどになるのに時間はそれほどかからなかった。
「閣下、庶民の間では“お手軽昼食パンのアーディアス”って言われてますよ。最近だとアーディアスと言えばこの料理のことになってます。」
「まさか、こんな斜め上の展開になろうとは…。」
秘書官の呆れた声にちょっとばかり頭を抱えたのは、また別の話である。




