18 公爵家の普段の食卓
「いやはや、オムツ替えひとつとっても、けっこう複雑な工程なのだな。それを1日にたくさん…。アレクを任せきりで済まんかった…。」
私は妻のマリアに詫びた。赤ん坊の世話がオムツ替えだけでも、あんなに大変だとは知らなかったんだ。お尻拭いて着せ替えるだけだと思っていた過去の自分を恥じた。
「分かってくれたようで良かったわ。まだ私なんて、ロレーヌや使用人が手伝ったりしてくれるから楽なものよ。ところで、何か用事があったんじゃないかしら?」
妻のマリアに問われたが、甘えたかったなどとはとても言えない。
「いや、君の顔が見たかったんだ。食事は済ませたの?」
私の問いにマリアは笑みを浮かべてから答えた。
「先にね。祝福式の式次第と招待客のリストはできたから、マイケルに頼んで書斎に運んでもらったわ。食事が済んだらチェックして。お義父様に一度目を通してもらったし、漏れは無いと思うけれど。」
「分かった。君の速い仕事ぶりに感謝するよ。」
「アンドレアの一生に一度のことですもの。あなたこそ、招待状を早く書いてしまってね。」
そして、食事を済ませてくるように促された私は妻の寝室を後にした。
公爵家の食卓といっても、普段の食事は意外と質素なものである。
今夜の夕食はキャベツなどの葉物野菜とニンジン・タマネギなどの根菜のシチューのような煮物、パン、魚のムニエル、それと切ったチーズ。最後にデザートとして、ヨーグルトに何種類かのドライフルーツを混ぜたものが出た。冷やしてあるのと砂糖を使って甘みを増してあるのが贅沢だ。飲み物はエール。
これは別にアーディアス公爵家が貧乏だったり倹約家というわけではなく、料理人の怠慢でもない。
それにパンは当家で出すパンは小麦のパン。これは上等のパンだ。これがアーディアス公爵家における食事面での貴族らしい点といったところか。庶民の家なら黒っぽい大麦か、ちょっと酸っぱいライ麦のパン、またはエン麦から作ったオートミールやソバ粉のガレットを食べている。
もちろん家によっても違いはあり、例えば武人が多いバーナード公爵家だったら肉や魚の量が多い。我が家の場合は、料理にハーブがよく使われているのが魔術師の家系らしいと言えるかも知れない。
なによりも流通が未発達なのだ。
道路は国や地元の領主が整備するのだが、石畳などで舗装されているのは都市のほんの一部。大部分は良くて砂利道であり、大部分は地面を掘って均して固めてあるだけのものだ。当然雨が降ればぬかるみができて通れたものでは無い。
そもそも陸路は馬か馬車、海路は船、それも帆船か手漕ぎ船しかない。空路?あるわけがない。
したがって、遠くの場所から食料品や香辛料を大量に運ぶということはできず、主に国内で自給できる範囲でなんとか賄うしかないわけである。天候不順になって収穫量が減れば、他所から持ってくるのが難しい以上、すぐに飢饉に直面するというわけだ。
そうならないように収穫の一部は長期保存して蓄えておかねばならない。各農家でも蓄えるし、各地の領主も税として収められた穀物などの一部はそうして蓄える。いざという時、飢饉を救えるようにだ。もちろん我がアーディアス公爵家もそうしている。
「今年の小麦の収穫は平年作よりやや良い見込みか。うむ、重畳だな。」
「はい。他の作物も今のところ順調と報告を受けております。」
毎年、こんな感じで収穫が上がれば良いのだが、残念ながらそうはいかない。貧民ならひもじさに苦しみ、孤児など真っ先に飢えて死ぬ。
宰相閣下の問いに答えた中に“十分な昼食の供給”を入れたのもそのためだ。十分でないのは明らかだが、とりあえず命は繋げる。
食料の供給や農業改革・交通網の整備などは、とてもではないが宮廷魔術師長の私の手には余る、というか越権行為だ。もし万が一陛下の御下問があったりしたら『一宮廷魔術師としての私見』という形で助言できるかもしれないが。
(将来的にはアンドレアへの情操教育の一環として、飢饉への備えとかの食の問題や孤児院訪問を通して貧民や孤児たちの食糧事情の改善とかを教えてゆくことも必要になるな…。)
などと、私はぼんやり考え、マイケルの報告を聞きながら夕食を口に運んだ。




