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17 オムツ交換と父親としての自覚

 屋敷に帰ると執事のマイケルからの今日一日の報告もそこそこに、妻のマリアに甘えたくなった。

 …のだが、妻の寝室に入ったところでベビーベッドに寝かされていた娘のアンドレアが泣き出した。妻の側に控えていた侍女頭のロレーヌがさっと立ち上がって、娘を抱き上げる。

「ああ!ロレーヌ、私がやるよ。」

「旦那様がですか?」

 声をかけた私の顔を、彼女は何を言ってるんだか、と言わんばかりの顔で見た。

「ロレーヌ、ダルトンにオムツの替え方を教えてあげて。」

「畏れながら奥様、本気でございますか?」

 妻のマリアが無言で頷く。育児を手伝うと言った私の言葉を妻は尊重してくれるようだ。ロレーヌは承知いたしましたと答えて、私の方を向いた。

「旦那様、こちらへご同行願えますか。」

「ああ、詳しく教えてくれ。」

 妻の寝室の隣、侍女の控えの間にアンドレアを抱いたロレーヌに案内される。中で控えていた数人の侍女たちがガタガタッと立ち上がって一礼しようとするのを私は手で制した。

「オムツの替え方をお教えしますね。」

 ロレーヌはいつの間にやらシーツを手にしていた。

「赤ん坊が泣く理由はおもらしだけではないと思うが?」

 私の質問に、ロレーヌは落ち着き払って答える。

「仰せの通りでございます。しかしながら、旦那様が帰宅なさる少し前に、奥様は授乳を済ましておいででした。ですので食欲は満ちているはずでございます。ならばむずかっておいでか、さもなくばご不浄によるものか。あり得るのは後者でございます。」

「なるほど、そうか。」

 ロレーヌはアンドレアを作業台のような小さなテーブルに何重かに畳んだシーツを置き、その上に娘を仰向けに寝かせた。そして素早くオムツを留める紐を解いて脱がせる。異臭が鼻を突いた。

「思った通り、ご不浄でございました。まずは汚れを拭き取ります。」

 そういって娘の両脚を持ち上げて湿らせた布でお尻を拭く。

「拭き取る向きがございます。必ず前から後ろへ。」

「それはなぜ?」

「大事なところに汚れが残らぬようにするためでございます。男でも女でも同じでございます。」

 その間に他の侍女がお湯を張ったタライを持ち出してきた。ロレーヌは手を入れて湯の何かを確かめた。

「汚れをだいたい拭きましたら、次に清めます。お湯の温度は人肌より少し高い程度。手に触れて覚えてくださいませ。」

「お、ほう。これが。もうちょっと温かい方が良くないか?」

「赤ん坊の肌は大人の肌よりも敏感でございます。熱過ぎるのも冷た過ぎるのも、よろしくございません。」

 娘の下半身を静かにタライに入れて中で洗う。

「乙女の柔肌、ましてや赤子。洗うと申しましても、強く擦るのではなく、優しく拭くようにいたします。」

 ロレーヌはそう言いながらさっさと洗うと、アンドレアをタライから上げて、先ほど寝かせた畳んだシーツの面を替えて再び寝かせる。そしてタオルで体を拭いた。

「水気を拭くときも、強く拭くのではなく、水気を布に吸わせるように軽く押し付ける感じで。」

 手早く拭き取ると、娘の体を持ち上げて、前と後ろを観察する。

「新しいオムツを着せる前に、肌が赤くなっていないか、発疹が無いかをご確認ください。」

「それは悪い病気か?」

 思わず深刻な声になってしまう私に、ロレーヌは落ち着いた声で答えた。

「いえ、それは『オムツかぶれ』というものでございます。綺麗に洗って、ベビーオイルを塗れば心配ございません。もし、オムツかぶれがどうしても治らないようであれば、速やかに医師や薬師に相談いたします。」

 私にオムツかぶれについて説明している間に、ロレーヌは手渡されたベビーオイルを手にとってアンドレアの下半身に塗っていた。

「たくさん塗れば良いというものではございませんので、べたつかぬ程度に。」

「う、うむ。」

 私は慣れるまで加減が難しそうだなと思いながら、彼女の手つきを見る。

「さて、まずはオムツの内側の布を長方形に畳みます。これは必ずおこなう作業でございますから、あらかじめそのように畳んで用意しておくのでございます。」

 ロレーヌが指差した先には、白い木綿の布が同じように畳まれて積んであった。

「これをオムツカバーの上に乗せます。」

 タオル地のような、厚手の柔らかい布で作られたT字型のものにそれを乗せる。そこにアンドレアの体を置いた。

「そして下の帯を腹側に、余った部分は下側に折ります。赤ん坊の体に合わせますが、この感覚ばかりはいくばくかの経験を要するところかと。赤ん坊の様子を見ながら、調節いたします。」

 そして腹の上を押さえながら、片手で左右の帯をぐるりと回して手前で結んだ。

「帯の部分はずれぬ様に、さりとてきつくならぬ様に。指一本入るぐらいがちょうど良い塩梅でございます。お確かめくださいませ。」

 ロレーヌは場所を譲って、私に確かめるように勧めた。確かに指一本ぐらいの余裕がある。

「なるほど…。これは一日にどれくらいやるのだ?5回ぐらいか?」

 一瞬、間を置いてロレーヌは静かに答えた。

「今のお嬢様ぐらいの時分でしたら、一日におよそ20回ぐらいかと。」

「に、20回!?昼も、夜もか?」

 驚きに、思わず大きな声が出てしまった。

「左様でございます。赤ん坊の世話に昼も夜もございません。」

 アンドレアを抱き上げたロレーヌの顔を私はまじまじと見つめてしまった。

「もちろん、これだけではなく汚れたオムツを洗い、お乳を飲ませ、ムズカれば寝かしつける。適度に遊ばせ、話しかけもいたします。それとは別に食事の支度をし、日常の家事をおこない、暮らしを立てるために働くのでございます。」

「猛烈に忙しそうだな…。」

「お分りいただけましたか。私ども、下々の者では隣近所の気心の知れた者同士で助け合うこともしばしばでございますから、何もかも1人でやるわけではございませんが、それでも忙しのうございます。」

 想像以上の育児における女たちの働きぶりに、私は今までどこを見ていたのかと頭を殴られたような気分だった。

 結果が良かったとはいえ宰相閣下のプレゼンが怖過ぎて妻に甘えようなどと考えた私は、自分が恥ずかしくなってしまった。

「女たちの仕事ぶりを知らずにいたとは、私は父親失格だな…。」

「今、旦那様はご理解くださったではございませんか。」

 ロレーヌは慈愛に満ちた表情で語った。

「旦那様は、紛れもなくアンドレアお嬢様の父君にございます。」

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