178 建設現場安全管理指針
拙作をお読みくださり、ありがとうございます。
本作品は『月曜日・水曜日・金曜日』の午前04:00時に更新です。
チート無し・特殊能力無し・死に戻り無し・(ほぼ)事前知識無し。
主人公自身の知識と知恵と度胸と才覚でなんとか破滅の未来を避けようとするお話です。
私とケイトは着々と改修が進む離宮へとやって来た。
この離宮は、かつて“暗愚王”アーベル2世自身の手で廃人にされた、彼の二人の子供が短い余生を寂しく過ごした場所だ。
そのため、この離宮はどうにも悪いイメージが払拭しきれないままだった。いちおう維持されていたのだが、利用されることは少ない。
実を言うと、私は初めて中に入った。
「なんだ、幽霊でも出るのかと。」
「さすがにそれは。例の二人はちゃんと弔われているしね。」
寂れていたのが嘘のように、今は多くの職人たちが出入りしていて騒がしい。これでは幽霊がいても出ていくだろう。
家具や調度品はすでに撤去され、新たに水回りの設備を作ったり、火気を扱えるように壁紙からタイルに張り替えたりしている。照明も新しいものに付け替えられた。
ありていに言えば、離宮全体が錬金術工房に改造中なのだ。基本図面はケイト自身が引いたので、これは彼女による現場の抜き打ち検査に近い。
「これはこれは、宮廷魔術師長閣下!このような所までご足労いただき恐縮です!」
大きな声で挨拶して来たのは、ここの現場工事の監督をしているナハムの男だった。
大きな筋肉質の体を揺らしてやって来た彼の、ケモ耳タイプの獣人種ナハムの特徴である耳と尻尾はホコリをかぶって白っぽくなっている。
「お見苦しい様で申し訳ございません。ここの現場監督を務めるシャイド・ウカル・シナアでございます。」
「大義である。そなたは率先して動いて部下の範となる者と見えるな。後ろで踏ん反り返っているような者なら、自らをホコリで汚すことはあるまい。」
「身にあまるお言葉、恐縮でございます。」
シャイドは大きな体を縮めるように礼をする。
「だいぶ埃っぽいようだが。」
「どこでも現場仕事はこんなものでございます。」
私はハンカチで口と鼻を押さえたが、どうにも喉がいがらっぽくなった。
「君たちは平気なのかね?」
「もう慣れっこですので。」
そう言った彼の前で、私とケイトは顔を見合わせあった。ケイトと秘書官もハンカチで口と鼻を押さえている。
私はもしかして、と思って彼に尋ねる。
「工事の進捗状況を訊く前に、ひとつ聞かせてほしい。この仕事をしている者で、肺を病んだ者はいるか?」
「は?…ああ、そうですね…。」
予想外の質問だったのか、シャイドはしばし腕組みをして考えてから答えた。
「もうだいぶ前に死にましたが私の祖父が。この仕事を続ける者では、年かさを中心に肺を病む者は珍しくありません。それが何か?」
「分かった。今から言うことを必ずしろ。これは命令だ。」
私はすぐに布で口と鼻を覆い、ホコリを吸わないようにするよう言った。職人たちの中にはそうしている者もいたが、そうでない者も少なくないようだったからだ。
もうひとつは水を撒いて、ホコリ自体が立たぬようにすることも命じた。
推測だが、彼らの『肺を病む』のは塵肺だ。
昔は坑夫や建設現場の職人の職業病と言われた。
細かな石や鉱石の埃を吸ってい続けることで、埃に含まれる鉱物の欠片が肺の機能を低下させる。呼吸の機能が低下して、咳や痰が止まらなくなってしまう。
吸い込んだものによっては肺がんの発症確率を高めてしまう。
塵肺は現代の現実地球でも治療法があまり無い病気で、予防に努めるしかない。ましてや医療水準の低いこの世界では治療のすべは無い。
「は、はあ。そんな事で?」
「正直、なってしまうと治すのは難しい。ならぬように、埃が立たないように努めるのだ。」
「錬金術でも初めて創った性質のわからないものは吸わない。毒の場合もあるからな。埃など、吸い続けて体に良いものでは無いでしょう。」
ケイトも同意する。
「早々に工房ができるのは嬉しいが、あなた方の健康と引き換えになるのは嬉しくは無いな。」
「ええと…あなた様は?」
「こちらはジェルマン師だ。ここの設備を使うことになる魔法技師の責任者だ。」
「左様でございますか。我々はあなた様のご厚情を嬉しく思います。」
私は男装して“変装術”を使っているケイトの『仮の名前』をでっちあげた。ケイトの存在は公には秘密なのだから仕方がない。
それに、ケイトはここの総責任者になるのは内定済みだから、その点では嘘は言っていない。
シャイドに訊くと、埃を流すためのシャワーなども無いと言う。
急ぎでやっているから仕方ないのかもしれないが、これはこれであんまりではないだろうか。
私は塵肺予防の他に、彼らの福利厚生も保証することにした。
「ここの改修はフレーヤス卿が管理してるはずだったな。ちょっと相談して、改善を掛け合う。」
「なんと…!閣下、ありがとうございます。」
「なんのこれしき。よく働いて、良い設備に仕上げてくれ。」
私とケイトはシャイドに案内されて改修現場を見て回った。
「うむ、ほぼ図面通りにできるよう進行中で間違いないようです。」
ケイトは満足そうに微笑んだ。
その後、フレーヤス卿を訪ねて、例の件を談判すると快諾を得た。
「アーディアス卿、そんな点まで気を配られるとは…。職人たちのことは、せいぜい給料の遅配が無いようにとか、大きな事故が無いようにせよとかぐらいしか気に留めていなかったな。」
フレーヤス卿自身も農業用水や開墾現場が埃っぽいのは、そんなものだと思っていて、特に何か問題があるとは思っていなかったと言う。
「私も現場視察に行くことが多いから、気をつけねばならんな。」
「卿もお気をつけください。」
私はそう言ったものの、自分で現場に行くまで気がつかなかったのも事実なので自省した。
考えてみれば、道路でもなんでも、この先は建設だのなんだので工事は多い。
今のうちに安全管理基準を設けて、熟練の職人が無駄に命を落とすことのないように、安全に注意するべきだろう。
魔術師も錬金術師も、魔法技師も育成に時間のかかる貴重な人材だが、それは建設に関わる職人だって同じはずだ。
ましてやこの世界では、体系的な教育体制が無いのだから。
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