176 東よりの女
拙作をお読みくださり、ありがとうございます。
本作品は『月曜日・水曜日・金曜日』の午前04:00時に更新です。
チート無し・特殊能力無し・死に戻り無し・(ほぼ)事前知識無し。
主人公自身の知識と知恵と度胸と才覚でなんとか破滅の未来を避けようとするお話です。
それから2日後の宵がふける頃、アーディアス領の中心都市ナルボンをゆく一台の馬車があった。
行商人のものらしい幌馬車には、御者の男の他に二人の男女の姿がある。見た目はやはり行商人風である。
それはいかにも商人宿といった風情の、簡素な街の宿の前で停まった。
「お二人さん、着きましたよ。」
「世話になったな。これは代金だ。」
「あいよ。じゃあこれで。あんたらに良き旅路あれ。」
数枚の銀貨を受け取った御者は、そのまま商人宿の裏手へ続く門へ馬車を進めてゆく。挨拶か何か、親しげに呼びかける声がしたから、この宿の者と御者は顔見知りなのであろう。
二人の男女はそれとは別にある、宿に併設された居酒屋へと足を向ける。
二人はドアを開けて、両手にいくつものジョッキを握って運ぶ給仕の若い女に何事かを言う尋ねると、その若い女は窓辺の席を占めていた男を顎で示した。
見た目は20代半ばか30過ぎか、落ち着きの見え始めたがっしりとした体格の男である。
二人は彼に近ずくと、向こうもその存在に気づいてジョッキを持った手を挙げた。
「お二人さん、ようやくお着きだな。」
「回ってきたからな。」
これはあらかじめ決めてあった符丁だった。
一緒にいる女は肩の力が抜けたように、息を吐いた。
「じゃあ、行こうか。」
がっしりした体格の男は席を立つと、二人の男女と共に店の奥から裏手に出て厩舎へ向かう。そこには3頭の駄馬が繋がれていた。
男はその駄馬を連れ出す。すでに馬の背には鞍が置かれて今すぐ乗れるようになっている。
「じゃ、これに乗って。あと一息だ。」
「その前に。これを使って。」
「これはありがたい。」
女と一緒にいた行商人風の男が、懐から目薬のビンのようなものを取り出して呼びかけた。
感謝の言葉を述べた女は意外に若い声をしている。その容貌はショールに覆われていてハッキリと分からない。
いや、ショールに隠されているだけでなく、妙に記憶に残らないのだ。あとで思い出そうとすると、ショールの内側の部分にだけ黒い靄がかかったように隠されてイメージを結べない。
男が差し出した、小さなそれを両目の上にかざすと二人は中の溶液を目に垂らす。それだけで二人には周囲が昼のように明るく見えた。
行商人風の男は自分もその目薬をさす。
そして3人は駄馬に乗ると、暗い夜道も気にすることなく粛々と町のはずれへと向かった。
頭上にあるのは星と月だけの夏の夜道には誰もいない。
それでも3人はなるべく目立たぬように、静かに、素早く移動した。たどり着いたのは高い壁に囲まれた大きな屋敷。
アーディアス公爵の屋敷だった。
その裏手にある通用門のひとつに3人は立った。そして行商人風の男がドアノックに手をかけた。
不意に、頭上から声がかかる。
「用のある者は申せ」
それは、ドアの上にある一対の青銅製の鳥の像から発せられていた。
ドアの上にある一対の青銅製の鳥の像のうち、片方は“灯火”の魔術による明るい光を投げかけるカンテラを咥えている。それの反対側にある、翼を広げて歌を歌うかのような姿の鳥の像が呼びかけたのだ。
いつかの時代の当主に創られた、出入り口の警戒用のゴーレムだ。
役割はこのドアを通り抜けようとする者を誰何し、正解を答えれば通し、押し込めば警報を発する、ドアマンのようなゴーレムだ。
「東よりの女でございます。同行2名。」
「どうぞ、お入りください。」
3人は駄馬を引いて、屋敷の中に入った。
中は美しい庭園になっていた。三日月に照らされるそこは、美しい形に整えられたツゲの木の内側に魔法薬などの素材になる花やハーブが整然と植えられている。
3人がその庭を進んでいると、庭に面した通用口らしきドアがバン!と音を立てて開いた。同時にポッと“灯火”の魔術による明かりが灯った。
3人は眩しさに一瞬、顔を手で覆った。
「ケイト!よく無事で!」
「ああ、ダルトン!ようやくよ!」
行商人風の男が走り出して、通用口から現れた身なりの良い男に駆け寄った。そして固く握手をする。
「さあ、そこのお二人も。どうぞ中へ。」
執事のマイケルに促され、ダルトンとケイト、そして随行の二名も屋敷の中に入った。
さっそく、3人は屋敷の応接間のひとつへと通された。そこにはダルトンの妻のマリアと侍女のロレーヌ、前当主のパウロとその妻ソフィアの姿もあった。
「遠路はるばる、よくぞご無事で。歓迎しますわ。」
「これはこれは、公爵夫人様。お初にお目にかかります。ありがたいお言葉に感謝いたします。」
若い行商人風の男は己の顔を鷲掴みにすると、それを下に向かって引き下ろした。顔面と髪が力任せに引っ張られたかのように歪んで、ぱあっんと弾けた。
“変装術”の魔術が解けたのだ。
そこには20代後半ほどの、ダルトンやマリアと同じ年代の若い女がいた。
長く黒い髪を後ろに結った、落下防止の銀色の細い鎖がついた縁無し眼鏡をかけた、知的な眼差しをしている。
ケイト・ディエティス、世に名を知られる錬金術師の姿があった。
彼女はアーディアス家の一同の前で優雅に一礼をした。
「おお、これは期待の錬金術師をお迎えできて光栄じゃの。」
「まあまあ、歓迎のパーティーができないのが残念だわ。ゆっくりしてらっしゃってね。」
ダルトンの父パウロと母ソフィアの言葉にケイトは破顔した。
「ありがとうございます。パウロ様のお名前は論文などでかねがね。奥様の詩集は、昔ご子息から戴いて拝読しました。」
ケイトにそう言われた二人は顔を見合わせる。
「そう言われると嬉しいの。」
「ほんとですねぇ。」
ダルトンは一度手を叩くと、ケイトと同行の二人に着席を進めた。
「疲れただろう。さぁ、座って。お茶でも飲んでくれ。積もる話は明日にでもしよう。」
「ありがとう。実は脚が棒のようなの。」
「公爵様、忝い。」
「失礼します。」
ダルトンの呼びかけに、主役のケイトは正面に、同行の二人は脇の席に腰を下ろした。
同行の二人も顔面を引っ張って“変装術”の魔術を解除する。
そこに現れたのは30代前半と40代半ばと思しき、精悍な顔つきの男の顔だった。30代前半の方はケモ耳タイプの獣人種ナハムである。
「遠い道を長期間ご苦労だった。外務大臣にはお二人の任務達成をすぐに知らせる。今日は我が屋敷で体を休めていってくれ。」
「公爵様、お気遣いに深く感謝申し上げます。」
年上の方が頭を下げて一礼し、それに若い方も従った。
「あなたは外務大臣にも報告するだろうが、私にも事情を聞かせてもらえると嬉しい。」
「承知しました。」
一度、話が落ち着いたところで執事のマイケルがお茶を運んできた。
「ああ、こんなに落ち着いた気分でお茶を飲めるなんて。」
「きっと、神経がすり減るような毎日だったでしょう。この屋敷にいる間は安心してお過ごしくださいね。」
「公爵夫人様、温かいお言葉を頂戴し、ありがとうございます。」
「他人行儀にしないで。あなたの事は夫からいろいろ聞かされて、もう他人には思えないのよ。」
そこでケイトはダルトンの方を向いた。
「う、まあ、いろいろと訊かれたんだ。君と私の間に、やましい事はなかっただろう?!」
「そうね。健全すぎるほどに清い仲だったわね。」
その冗談に、ようやくその場にいた誰しもが心から笑えたのだった。
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