142 帰宅の実感
いつも拙作をお読みくださり、ありがとうございます。
今後の投稿ペースですが、一応の予定として『月曜日・水曜日・金曜日』の更新としたいと考えております。
曜日や更新ペースについては、皆様の反応や私の都合などで変更するかもしれません。
公開はいつも通りの午前04:00時です。
朝の通勤・通学の時間のお暇つぶしに間に合うようにするのは変わりません。
今後もよろしく、おつきあいくださいませ。
朝起きて、最初に確認するのは領主としての仕事だ。
マイケルが私を起こしに来たのは普段より1時間半遅かったが、その頃にはもう起きていた。
起きていたと、言うか、普段と同じぐらいの時間に目が覚めて、しばらくベッドの中でぼーっとしていた。そしてマイケルが来室した時間にはベッドの端に腰掛けて、ぼーっとしていた。
「おはようございます、旦那様。お目覚めでございましたね。」
「…なんとかね。」
そう言いつつ、私は大きなあくびが出るのをこらえ切れなかった。
「大旦那様がお使いになるようにと、回復薬をお渡ししてくださいました。」
「ああ、ありがとう…。父上も経験者だから、わかるのかな?」
「おそらくは。」
銀色の盆の上に乗せられた、小さい透明なガラス瓶に入った薄緑色の回復薬は、ミントを含んだような清涼感のあるものだった。
依存が生じないようにと言う配慮からか、あまり強烈な効き目のものではないようだが、やる気を起こすには十分だった。
「仕事は溜まっていないかな?」
「問題なく片付いておりますので、急ぎのものはございません。」
竜の狩場に出る前に、妻のマリアを領主代行に指名して、領主の仕事が滞らないようにしてあった。
もともと経理など一部の業務を妻に分担してもらっているから、ある程度は慣れている。
その上で後見人に父上を、相談役に母上を指名していたから、まったく心配していなかった。
「湯浴みの支度はできております。」
「わかった。ありがとう。」
私は浴室に入り、出てきた頃には今日の服とお茶と軽食が用意されていた。
服を着て、マイケルの入れたお茶を飲みながら軽食をつまんだ。
その間に聞くのは私が不在だった間の出来事だ。
雑にまとめると、特に変わったことは起きていない。それはそれで喜ばしい。
人々の生活の向上や社会の進歩につながるような変化なら諸手を挙げて迎え入れたいが、今ヴィナロス王国に迫りつつあるのは破滅をもたらす性質のものだ。
ネガティブな影響は受けないのが最善なのである。
なにも無いというのは長期的には困るが、現状において短期的な視点では悪くない。
家族をはじめ一族郎党はみな元気で、領民たちも平和に暮らせている。
それを保つのが私の仕事なのだから。
今のところやらなければならないのは、ディオンたち特使派遣についてきた武官たちへの特別賞与の給付決定のサイン、同じく彼らに特別休暇を与える決定へのサインだ。
もちろん、私は異論なく二つにサインした。
「ディオンたちは本当によくやってくれたよ。」
「左様でございますか。詳しくお聞きしても?」
「う〜ん、ちょっと待ってくれ。やや微妙な案件だ。」
「これはまた、なにやら一波乱あったようでございますな。」
他愛のない雑談を挟み、麦秋が迫る農地に目を向けた。
「今年の小麦の作柄は良いようです。」
「それは重畳。見回りに行かねばならんな。時間が取れると良いが。」
「ぜひ行かれてくださいませ。アレク様を同伴するのはいかがでしょう?」
「それは良いな!そろそろ、そうやって領民との接し方も覚えさせねば。」
そして小食堂室で家族との朝食をとる。
モランが作った朝食も久しぶりで、ああ、これが我が家の味だったなと思い出す。
ここにきて、やっと帰ってきたという実感が湧いてきた。
交霊会に参列したり、悪魔と戦ったり、野生の大草原を横断したり、ほとんど未知の精霊魔術の一端に触れたり、竜と相対したりと、道中だけでもとんでもない出来事がいくつもあった。
さらに神話的な存在である金角の黒竜王グレンジャルスヴァールとの謁見は、文字通り想像を絶する体験だった。
つい先頃だったのに、もう昔の出来事だったような気すらしてしまう。
そんな非日常の世界から、ようやく日常の世界、わが家へと帰ってきた実感が湧いたのだった。
「ちちうえ、どうしたの?」
「ん?お家は良いなって、思っていたのさ。アレクはお家が好きかい?」
「すきーっ!」
食後のひと時を家族で過ごしていると、あっという間に出仕の時間になってしまう。
私はなるべく早く帰るつもりだが、無理そうなら連絡すると言って馬車に乗り込んだ。
宮殿の正門でいつもどおりに秘書官は待っていた。
「おはようアンドレ。ちゃんと来れたな。」
「そりゃあ、残業したく無いですから。」
今日の仕事は諸々の報告書の作成、それに付ける補足資料の作成である。
もちろんラブリット二等書記官たちにも手伝ってもらって、どの報告書から作成するか優先順位を決めて取りかかる。
金角の黒竜王との謁見で交わしたやり取りの記録、合意文書作成までの経緯、ガンゲス公爵との協議の内容の議事録、旅行記などから、報告会での提案の内容をきちんとまとめたものも私が書き上げねばならない。
特使に関わることはラブリット二等書記官たちが手伝ってくれるが、報告会での提案は私が一人で書き上げねばならない。
これ以外にもやるべき事はたくさんあるのだ。
机の脇にはファインス局長が持ってきた、幼児教育特務機関の書類が積まれている。これも処理してゆかねばならない。
「じゃあ、優先順位つけて急ぐやつを分けておきますね。」
「ああ、頼む。」
ここでやらなければならないのは、1日でも早い方が良い仕事だ。
とりあえず外務がらみの仕事をきっちりと済ませて、提案の方は速報版を出して方向性を示しておく。
速報版でも手を抜くと訳がわからないものになるから、要所はきちんと書く必要がある。
そこは私の現代地球での記憶を元にしているから、他の誰にも書きようが無い。必死に思い出しながら、必死にペンを走らせた。
結果、私が家に帰れたのは3日後だった。
そして家に帰れた日の翌日、副神殿長のアインから連絡を受けた。
 




