141 帰宅
陛下に金角の黒竜王グレンジャルスヴァールとの合意書と竜の派遣に関する文書の原本をお渡しし、それらに関するいくつかの提案をしておく。
一緒に国王名代の地位を示す帯もお返しした。
律儀よの、と陛下は笑っておられたが、保管ひとつに厳重な注意が要るものとか身近に置いておきたくない。身に余る栄誉でございます、と言って典礼長官殿に預けた。
課題も多いので、この日の会議はここまででお開きになった。このあと課題を各自持ち帰って検討・議論、そして建議書の作成である。
そして、ようやく帰宅である。
陛下や宰相、関係大臣はこれから目の回るような忙しさだろうし、たぶん私もそうなるだろうが、何はともあれおよそ約1ヶ月ぶりの我が家である。
「アンドレ、ラブリット二等書記官、君たちの同行が無ければこの使命は果たせなかった。感謝するよ。」
「閣下こそ、大任ご苦労様でした。」
「ほんと、無事に帰れて良かったです。」
さすがに、この二人も疲労が顔に出ている。
「今夜はゆっくり休んでくれ。数日、英気を養ってくれと言いたいところだが難しそうだ。すまんな。」
「もとより承知の上でございます。閣下こそ、しっかりご休養ください。」
「じゃあ、明日はいつもどおりに正門でお待ちしてます。でも、ちょっと遅れても怒らないでくださいね!」
「よし。もし遅れたら、その分だけ残業させてやろう。」
えー!などと騒ぐ元気があるようだから、秘書官のアンドレはたぶん予定どうりに来るだろう。
二人にちょっと良い回復薬を渡して、私は帰途についた。
屋敷からの迎えの馬車が来ていて、御者が満面の笑みで迎える。
「ああ!旦那様、よくぞご無事で。皆様が首を長くしてお待ちですよ!」
「久しいな。ちょっとくたびれているが、怪我も病気もなく無事帰れたよ。」
そしてディオンたち、アーディアス公爵家に使える武官たちも待っていた。
「ようやく帰還だな。そなたらのおかげで怪我ひとつなく無事に帰れた。ありがとう。」
「ありがたいお言葉でございます。旦那様をお守りする大役が無事に務められたのは、我らが誇りでございます。」
「落ち着いたら、屋敷で内輪のお祝いでもしよう。」
私は全員一人一人に敬礼を交わしてから、屋敷へ向かう馬車に乗り込んだ。
エズアール隊長たち、特使護衛隊のメンバーに挨拶してやれなかったのが心残りだ。後日、カステル卿か軍務尚書のフィグレー卿を介して礼状を渡しておこう。
家に帰り着くと、玄関前で家族は言うに及ばず、使用人たちまで皆が出てきて待っていてくれた。
馬車の前に、妻のマリアが駆け寄ってきたのには驚いた。
「ダルトン!無事で良かった!」
馬車から降りるなり抱きついてきたマリアは熱烈なキスをしてきた。使用人たちの間から歓声が上がる。
「私ったら、淑女にあるまじき振る舞いを…。お許しくださいね。」
「とんでもない。君にはだいぶ心配をかけたようだ。一人にしてごめんよ。」
マリアの髪を撫で、私はマリアの手をとって歩く。
「ダルトン、無事で良かった!」
「母上、消し炭にならずに済みましたよ。」
「良い経験を積んだように見えるの。よく帰ってきた。」
「父上、おっしゃる通り、新しい魔術の開発のきっかけも得ました。」
腰をかがめて母を抱きかえし、父に報告する。
「ちちうえ!」
「おお、アレク!元気にしていたか?」
「はい!」
アレクが元気なのは良いことだ。
彼はまだ3歳なので何に向くのかわからないが、アレクの魔術属性は火と風。わりと何にでも向くタイプではある。
魔法剣士でも良いし、魔術師でも良いし、錬金術師も良いだろう。
落ち着いたら、領地の見回りにでも同行させるようにしてみるか。いずれ必要なことだし。
そして、ロレーヌに抱かれて私をじっと見る黒い瞳。
娘のアンドレアだ。
産まれてからようやく2ヶ月。興味のあるものを目で追うようになる頃だ。来月には首がすわるだろう。
「ただいま、アンドレア。お父さんが帰ってきたぞ。」
そういって小さな手を取って動かすと、うー、と声をあげた。
「アンドレアお嬢様は、泣く以外にも声を上げられるようになったのでございますよ。」
「おお、それはそれは。順調に育っているようだな。」
ロレーヌにそう教えられ、私は頰が緩むのを感じた。
「夜泣きも回数が減ったわ。お乳を飲むのも上手になったしね。」
「そうなんだ。詳しく聞かせてほしいな。」
それから、他にも執事のマイケル他、屋敷の主だった者たちからの帰還と無事を祝う言葉をかけられた。
お祝いの席はしばらく激務が続きそうなので、1ヶ月後をめどに待ってもらうことにしてもらう。
「旦那様、お疲れ様でございました。」
「いや、ほんと、くたびれたよ。」
皆の前ではなんとか虚勢を張っていたが、食事を終えて自分の寝室に戻るとフラフラだった。
ものすごく久しぶりにマイケルに服を脱ぐのを手伝ってもらう。こんな事は12歳以来じゃないだろうか?
「回復薬をご用意しましたが、お飲みになりますか?」
「ありがとう。もうベッドに入って寝るから要らないな。」
「承知しました。明日の朝はいつもより少し遅めに起こしに参ります。」
「そうしてくれると助かる。」
一礼して退室するマイケルが扉を閉めるのを見送って、私はベッドに潜り込んだ。
そこまでは記憶にあるのだが、その後は朝になるまで意識が飛んでいる。
どうも、ベッドに入った途端に寝たようだった。
明日からは、また宮殿づとめの日々である。




