126 懸念と対応
「卿のお言葉は、まことに心強い限りです。ありがとうございます。」
「最終的に決めるのはグレンジャルスヴァールなので、私に決定権は無いのですが…。すでに成立している盟約ですし、問題ないでしょう。」
当代のガンゲス公爵、ヴェリ・ガンゲス卿はいかつい見かけではあるが、話しやすい人物だった。
ヴィナロス王国外務省の人物評でも、外交交渉にあたって特別に警戒を要する点は無いとしていた。この点は事前にラブリット二等書記官から提供された情報で確認していたが、実際会うと違うのも時に経験することだ。人物評とは、属人的な要素が評価に付きまとうので実に難しい。
妻のアンナ・イメニ・ガンゲス公爵夫人もそうだが、今回の件について解決に前向きであるのは嬉しい。
「正直なところ、竜はアンデッドの群れぐらいでどうこうなるとは思っていません。問題はアンデッドに普通の獣が追い立てられて、それにともない猛獣や魔獣も周辺地域へ溢れ出すことです。」
「それは…場合によっては竜以上の脅威です。」
ガンゲス公爵の指摘に、私は息を飲んだ。
竜の狩場に棲む動物は、それ自体はさして有害でなくても、私が道中で足止めをくった野牛の群れのように数千頭〜数万頭もの群れとなると話が違う。
そんな巨大な動物の群れが農業を基盤とする地域にやってきたらどうなるか?壊滅である。
さらに、追い討ちとばかりに人間などあっさり殺してしまえるような猛獣や魔獣までやってきたら…。
私はそれを想像して背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。それは単にゾンビの群れを軍勢として差し向けるよりも、ずっと少数で実現可能であるのに気がついたのだ。
赤竜騎士団・青竜騎士団だけでは到底対応できないだろう。他の騎士団はもちろん、各領地からも手勢を出してもらわねばならなくなるのは明白だ。
それが長期化すれば、国庫負担が増大し、今進行中の国家事業も継続できなくなる可能性が出てくるし、税金が重くなり経済の弱体化も起こりうる。
さらに各地の諸侯の軍事的台頭は、相対的に王権を弱体化させる。それはヤー=ハーン王国の国軍が侵略の牙を剥いた時に、我が国の組織的抵抗を難しくさせることにつながる。
不確実性はあるし、即効性でもないが、比較的リスクが低くコストも安く済む手段だ。使ってこない保証はない。
「これは謀られたと思いますか?」
「わからないですな。今のところ例が少な過ぎて、相手の手の内を推測することすらできません。」
ガンゲス卿は腕を組んで背もたれに体を預ける。
「我々にしても、竜の狩場をアンデッドが徘徊するようになれば、獣の動きが乱れ、予期せぬ危機を招くに違いありません。そもそも、そんな不浄のものどもがこの地を踏むこと自体、許しがたい。」
「我ら魔獣使いで国境を哨戒するようにすればどうです?不審な動きや痕跡があれば、特に巨狼ならばすぐに気づきます。」
「ふむ、それは良い提案だ。」
アンナ夫人の提案に、ガンゲス卿も同意した。
「アンナ公爵夫人のご提案は素晴らしい。実現すれば補給が必要になりましょう。それを我が国で提供するのはいかがでしょうか?」
「ありがたい申し出です。東方の国境までは我らでも少し遠く感じるので、戻らずに補給が可能であれば助かります。」
私としては、もうひとつ提案したいことがあった。それは竜の前線への投入だ。
「この作戦に、竜に参加してもらうのは難しいでしょうか?」
「竜は気ままなものですから…。協力してくれる竜もいるでしょうが、おそらく竜の狩場に侵入してこない限り彼らは動かないでしょう。」
「竜は我々の意のままに動かせる存在ではありません。グレンジャルスヴァールが言えば、それに従うでしょうけれど。」
あまり期待していなかったが、案の定、竜に全面的に協力してもらうのは難しそうだ。
だが1頭でも強力なのが竜だ。少数であってもその戦術的効果は高いし、士気を高めたり、牽制としての戦略的な効果も期待できるかもしれない。
「それでも、1頭でも2頭でも、もし参加してもらえれば大いに士気が上がるでしょう。それに…それで竜とヴィナロスの勇者が結んだ古の盟約は有効だと示せれば、大きな価値があります。」
「あの話は有名ですから、驚きの声が諸国に響くでしょうな。好奇心が強いのも竜ですから、参加してくれる者もいるでしょう。声をかけて回ってみます。」
とりあえず、この場ではお互いのアイデアを出し合い、今後の事態の変化に備えることにした。これからの詳細は外務省と軍で詰めてもらうことになる。
その後、私は運んできた贈答品を進呈する。これまでの前例も踏まえてダヴィッド殿に教えを乞い、選んだものだ。
上質な絹の布・刺繍に使う上等の糸・アル・ハイアイン製のガラス製ビーズ・貴金属製のボタンなど礼装の装飾に欠かせない素材、南方から輸入される香辛料や珍しい香木など、竜の狩場の魔獣使いたちが珍重する品々。
それらが記された目録をガンゲス卿にお渡しし、いくつもの宝箱を運び込ませた。
「まあ、綺麗!これで娘の胴衣を作ってあげたら、きっと素敵だわ。」
「私にも娘がおりますが、やはり母親となれば娘を見せたくなるのですね。妻も祝福式の娘のドレスにこだわりました。」
「そう言えば、アーディアス卿はお嬢様がお生まれになって間もないのでしたね。」
その後はお互いにまだ幼い子供がいる者同士、普段の行動や養育についての話が咲いたのだった。




