122 ヴォッフナフェールハーメンの墓所
最初に案内されたのは『ヴォッフナフェールハーメンの墓所』だった。父もここを訪れている。
これはただの墓参りではなく、もちろん単なる史跡見物でも無い。この墓は我が国の成り立ちに深く関わっているのだ。
ヴォッフナフェールハーメンは建国王と一緒にいた竜で、子竜というより幼竜と言っていい頃に親とはぐれて傷を負っていたところを、まだ少年だった勇者に助けられる。
傷を癒して親竜と再会してからも、彼は勇者の側にいることを選び、勇者と冒険や戦いを共にするうちに絆を築くが、悪魔との戦いの中で致命傷を負い死んでしまう。
これは建国王の逸話を謳った物語の中でも、一二を争う愁嘆場として今も人々の涙を誘う。だがこれは作り話ではなく史実なのだ。
ヴォッフナフェールハーメンは竜としては少年ぐらいの年齢で死んでしまったのだが、彼の存在が無ければヴィナロス王国と金角の黒竜王との盟約も存在せず、人と竜は敵対するだけの存在になっていたに違いない。
そういう意味ではヴォッフナフェールハーメンは歴史に大きな足跡を残した竜と言えるだろう。王都ヴィナロスには彼の銅像もあるが、皆が鼻先を撫でるので、そこだけが自然に磨かれてピカピカに光っている。
伝説のとおりなら、あの石塔の下にはかの竜の遺骨があるはずだ。
勇者は遺髪代りに鱗を一枚とっただけで、遺体を素材扱いせずに葬ったという。最初は王都の宮殿のある丘に墓があったのだが、後にここに改葬されたのだ。
物語の、歴史の一端を記憶する場所としてのヴォッフナフェールハーメンの墓所への訪問は感慨深いものがあった。
今回の私の訪問は外交上の特使としてなので、移動性を考えた軽装とはいえ礼を失しない程度の衣服が選ばれている。
今回は大量の物資の持ち運びが困難で、無ければ現地で買うという事もできないから、最初から多目的に対応可能な服を厳選していた。その上で一番上に着る上衣やマントには公式の場で使えるものを用意していたのだ。
私とダヴィッド殿はそれぞれ馬と騎獣から降りる。秘書官から、陛下よりお預かりした国王の名代を示す、黒地に金刺繍でヴィナロス王国の国章と国王の紋章が描かれた帯を受け取って身につける。
随行の者たちも馬や騎獣を降り、武官たちは剣を抜いて敬礼の構えをとる。秘書官とラブリット二等書記官をはじめ文官たちも左胸に手を置き、軽く頭を垂れて敬礼をとった。
私はここで控えていた魔獣使いの女性から花輪を受け取って、横たわって眠る竜の石像の前に置いた。これはヴィナロス王国での一般的な慰霊のための献花の作法だ。
ダヴィッド殿も控えていた者から銀の盆に乗せられた酒瓶と角杯を取ると、角杯に酒を満たし三度床にこぼしてから石像に向かって振りかけた。彼らは献花の代わりに献酒をする。これが魔獣使いたちの慰霊の作法だった。
そして下がってから、私は墓に向かって敬礼し、ダヴィッド殿も握った右手を左手で覆って一礼する。そのまま動きを止めて、我々は黙祷を捧げた。
これは外交上の儀礼でもあるので、ただの墓参と違って両国の関係を再確認し、繋がりを維持するための行為として意味がある。
「素敵な場所にある墓所ですね。」
「そうでしょう。ときにはヴォッフナフェールハーメンの親戚たちが来ることもあるのですよ。」
「親の方は?」
「ご存知のとおり父親の方は物語にあるように戦死、母親の方は100年近く前に天寿を全うしました。」
聞くところによると竜には墓という文化が無いそうだ。
ここでは魔獣使いたちが引き取って処分するが、基本的に死体は放置か、さもなくばその棲家を引き継ぐものが処分するらしい。まあ竜の言う『処分』とはブレスで焼くわけだが。
彼らからすると、この墓はある種の歴史上の経緯を示す記念碑という認識らしい。
ヴォッフナフェールハーメンの親戚たちなど竜からすれば、人間はこう言うものを造って過去を記憶するのだ、と若い竜に教える意味もあるようだ。
もちろん、竜の狩場の竜たちは、ここへの墓参が敬意の表明としての意味があるのを知っている。もし公式訪問でここに来るのを無視したら、関係悪化を免れないだろう。
献花を終えて墓所を後にした私たちは、谷のあちこちを巡る。道沿いには我々の姿を見ようとする人々が出てきていた。装いがヴィナロス王国とは違うだけで、見た目は普通の感じだ。
ここの性質上、女性と子供・老人が多い。しかし、そのほとんどが恐るべき猛獣・魔獣を従える魔獣使いだろうから侮るなどもってのほかだ。
なにせ、抱えている子犬がどう考えても巨大だったり、やたらと犬歯の長い大きい子猫を抱いていたり、後ろに大恐鳥を従えていたりしている。
彼らは一声で猛獣・魔獣の群れと共にそこらの騎士団と対等以上に渡り合える集団であって、決して『ただの村人A・B・C』ではない。それを思うとなかなか緊張するのだった。
その道中、私はちょっとした尾根になっている場所を越えたときに、下の方を流れる水路の下流に特徴的な形の木がたくさん生えているのに気がついた。
ゴツゴツとした肌のまっすぐな太い幹が伸びて、まるで傘を広げたような形に枝が広がっている。硬そうな葉は細長く先は鋭く尖っている。
「あれは竜血樹ではありませんか!」
「ん?ああ。そうですね。この辺りでは珍しくありませんよ。」
「ちょっと、近くで見ても良いですか?」
ことも無げに言うダヴィッド殿をよそに、私は馬を降りると水路沿いに斜面を下っていった。
竜血樹は固まった赤い樹脂をさまざまな魔法薬に使う。だが生えている場所が竜が棲む山や環境霊素濃度の高い土地でしか見られない樹木だ。
結果として竜血樹の赤い樹脂は貴重で高価な素材となっている。
もちろん過去に栽培実験がされてきたが、うまくいっていない。王都の薬草園にも植えてあるのだが、魔晶石を粉末にした特製の肥料を与えてやっと生きていると言う感じで、成長ははなはだ遅い。樹脂を採るなど夢のまた夢だ。
それがこんなにたくさん、それも元気の良いものが!私は感心して周りを見回すのだった。
何か秘密があるのだろうか?




