121 竜と魔獣使いの里
部屋を出ると、すでにディオンが扉の前に控えていた。
「おはようございます、閣下。」
「おはよう。昨夜はちゃんと眠れたかな?」
「ええ、快適です。魔獣使いの土地ということで不安がありましたが、杞憂でした。」
溌剌として答えるところを見ると、気力も体力も十分に回復したとみえる。いかに体力がある彼らといえども、周囲を警戒しながら、慣れない上に道が悪い土地で10日間も過ごすのは疲れただろうと思う。
「他の者もか?」
「もちろんです。朝に軽く手合わせする余裕すらありました。」
「それは重畳。」
私は秘書官とディオンと共に一階にある広間に降りる。ちょうどラブリット二等書記官がやってきたところで、広間の手前で鉢合わせした。
「ああ、閣下。おはようございます。今日の予定についてご説明に上がるところでした。」
「おはよう。ダヴィッド殿の提案を君が細部を詰めていたそうだね。具体的にはどうなった?」
「はい。基本的にはこの谷にある魔獣使いの里を騎乗して回ります。」
彼女によると、ダヴィッド殿の案内で名所旧跡を案内してくれるらしい。
「ふむ、ならば軽装が良いかな?マントだけちょっと良いやつにするか。」
「はい。それでよろしいかと。予定しているルートを地図で示します。」
その後、エズアール隊長とをはじめとする護衛の者たちを交えて随行する人員を決定した。
竜の狩場は今日も天気が良い。山に近いここは日差しが強くても吹く風が爽やかで気持ちが良い。山に向かって吹く上昇気流だろう。
空を見上げると、十数頭の竜が旋回するように空を舞っているのが視界に入った。上昇気流をとらえて高度を稼いでいるのだろう。2〜3頭、あるいは5頭ほど、数頭ずつの小さな群れを作ってどこかへ飛んでゆく。
その小さな群れだけで、人間の国ならばひとつの地域を簡単に滅ぼしてしまえるほどの力があるのだから、ある意味では恐ろしい眺めだ。さっきから視界に入っている竜だけで、数万の兵に匹敵するだろう。
他の国は恐ろしさのあまり距離を取るばかりだが、我が国は積極的に竜の狩場と友好関係を結んで良かったと思う。
「おはようございます、特使閣下。昨夜はよくお休みになれましたか?」
「おはようございます。皆様の素晴らしいご配慮のおかげで、とても快適な一夜を過ごせました。」
ダヴィッド殿は節のある巨大な角が特徴的な大角羊を後ろに連れて現れた。
「今日は巨狼をお連れでないのですね?」
「たまには自由にさせてやらないといけませんし、今日の予定には巨狼よりもこちらが向いております。」
大角羊は険しい山岳地帯に棲む草食の動物だが、大きさと攻撃力の高さから猛獣扱いされている。
全体的な姿は現代地球世界のスイスアルプスに生息するアイベックスに似ているが、全体により巨大で肩までの高さが3mほどある。角は弧を描くだけでなく少し捻れており、先端は前に向いている。毛皮は家畜の羊ほどモコモコはしていないが厚みがあり、下顎からヤギのようなヒゲが伸びている。
今日の予定には巨狼よりもこちらの方が向いていそうだ。
しかし竜の狩場への旅路についてから、実物に初めて接するものばかりだ。
「ははあ…。あなた方といると、珍しい獣と出会うのが当たり前のように感じてしまいます。」
「そんなに珍しいですかな?我らは子供の頃から見慣れておりますが…。閣下がそうおっしゃるなら、きっと人間の国の方々にとってはそうなのでしょう。」
ダヴィッド殿はやや解せぬといった顔だった。
魔獣使いの里は、巨岩の間や崖の凹んだ部分を巧みに利用した石造りの建物が点在している。
広い谷の中で水の便が良く、日当たりや風通しが良く、かつ家を建てるに適した地形条件の場所など同じ場所にあるわけでは無いからだろう。
点在する家々は巨岩の間に薄い石を積み重ねて壁を作り、木材で組んだ屋根組に薄い石の板を瓦として並べたものだ。家の中には屋根が草原のようになっているものがある。野生の草花が群れ咲いたりしていて、天然のお花畑を思わせる家すらある。
理由を尋ねると、芝を土ごと剥がして屋根の上に乗せるだとか。こうすると熱を遮断して夏涼しく、冬は暖かいのだそうだ。この土地に暮らす者たちの生活の知恵なのだろう。
例の整備された広い道はガンゲス公爵の屋敷まで伸びている他、この迎賓館などの主要な場所に伸びているとのこと。道が広いのは、造成の際に『標準的な体格の竜が余裕を持って並べる幅にすること』という要望があったためだと言う。
巨大な猛獣・魔獣を従える魔獣使いたちにとっても、それは都合が良かったのでそのまま受け入れられたようだ。
獲物を追って流浪の生活を送るのが魔獣使いだとは言っても、本当の根無し草ではなく、このような拠点を設けているとのこと。
こうした家では、保存食や季節によって使わないものを収納するほか、臨月近くなった妊婦やまだ移動に耐えられない乳児、体が思うように動かなくなった老人などが住んでいる。
また魔獣使いたちを相手にしている鍛治師・薬師・細工物師・金工職人などもいるのだと言う。都市とまではいかないが、村よりは大きい規模の暮らしがここにあるのだった。
我々一行はまず、この谷間がよく見渡せる少し小高い場所へ来た。大きな岩の間を抜けて、一気に視界が開ける。そこはちょっとした広場になっていて、正面に石を積み重ねて作られたケルンのような石塔と横たわって眠る竜の石像があった。
特使としてでだけでなく、ヴィナロス王国の公的な立場の者として、竜の狩場を訪れたら最初に公式訪問しなければならない場所がここなのだ。
『ヴォッフナフェールハーメンの墓所』である。
ヴォッフナフェールハーメンの発音はヴォッフ/ナフェール/ハーメンで区切ってください。




