120 竜の歌響く谷間
掲載が遅くなってしまって申し訳ないです。
2022年3月30日の日間ファンタジー異世界転生/転移ランキングで113位になりました。
読んでくださった皆様、ありがとうございます。
食事をしていると、外から動物の遠吠えのような音が聞こえた。ちょっと行儀が悪いが、気になった私は席を立つと窓を開けて、耳をそばだてる。
長く、詩を吟じるような複雑な音韻の、遠く響く声が谷に反響してコーラスのようにも聞こえる。残響が消える前に、それにかぶさるようにひとつ、またひとつ別の遠吠えが上がり、まるで即興の歌を歌い継いでいるようにも聞こえる。
それは、わずかに夕陽の残光が残る星の瞬き始めた夜空を背景にするものとして、ふさわしいように思えた。
これまでに今までに聞いたことの無い声で、巨狼たちの遠吠えかと思ったが違うような気がした。隣にやってきたダヴィッド殿に訊いてみる。
「これまで耳にしたことの無い不思議な声です。遠吠えのようにも聞こえますが、これはいったい何の動物の声でしょうか?」
「閣下は竜の遠吠えを聞くのは初めてでしたか。これが、それです。」
「ああ、これが!詩人が歌う建国王の物語にある“竜の歌響く谷間”という表現は、誇張ではなく事実であったとは。」
そう言えばアンナ様よりご挨拶いただいた時に“竜の声が谺する地へ”とおっしゃっていたが、それはこの土地を率直に表現した言葉だったのだ。
「わぁ、これが竜の歌なんですね。」
「詩人や歌手の歌でしか知らなかったけれど、こんな声なのですね…。」
いつの間にか、秘書官とラブリット二等書記官、そのほかにも何人もが窓辺に集まって、不思議な竜の声に耳を傾けていた。
「ところで竜たちは何と言っているんですか?」
私は素朴な疑問をダヴィッド殿にぶつけた。竜は曲がりなりにも人語を解す生き物だ。ただ吠えているわけがない。
例えば、人間には心地よいものに聞こえる野鳥のさえずりも、その意味は縄張りの主張だったり、他の鳥への牽制や威嚇だったりするのだそうだ。有名なホトトギスの鳴き声だって雄の縄張りの主張なのだという。
「だいたい、大した内容ではありません。どこそこに、こんな獲物がいたとか、あそこに変なのがあったとか、明日の狩りに誰か一緒に行かないかとか、そんな内容です。」
「…つまり、これは竜たちの井戸端会議のようなものであると?」
「まあ、おおむね、その認識で間違ってはおりませんな。」
さっきまで感じていた神秘的な興趣がいっぺんに吹き飛んだ気がしたが、まあ、世の中そんなもんである。知らぬが仏というやつか。
「クリスヴィクルージャがゾンビを焼き払った日はずいぶんと騒がしかったとか。前に我らと出会った日の夕べも、やはり見慣れぬ人間の一行に皆が興味津々だったそうで賑やかだったそうです。」
「ここにいると竜に対する認識がずいぶんと変化しそうです。」
「ほんとに…。まさか、竜が井戸端会議をするなんて…。」
ラブリット二等書記官はどこか遠い目をして言った。
「はっはっは、思っているより人間と竜は心を通わせ得る相手です。だからこそ、古の勇者は金角の黒竜王と友誼を結び得たのでしょう。」
「そうかも知れませんね。やはり現地でなければ学べないことがあります。」
私は席に戻ると、竜の遠吠えを聴きながら食事を再開した。これほど竜の狩場らしい食事の席というのもあるまいと思った。
開けて翌日。旅の疲れもあってゆっくりと寝させてもらった。目覚めたら陽はすでに上っている。
「おはよう。いやはや、寝坊してしまった。」
「おはようございます、閣下。寝坊と言うほど遅い時間じゃないですよ。」
秘書官がお茶と朝食を持ってやってきた。
「いつもは朝焼けが見られるぐらいの時間には起きているんだよ。」
「そうなんですか。思っているより早起きなんですね。」
「これでも領主だからな。宮殿の仕事もあるし、自分の領地の仕事もあるから、早起きしないと仕事が回らん。」
今日の予定はガンゲス公爵ご夫妻の主催による歓迎会がある。それは夕方からの開催だそうなので、それまでは、この周辺を視察と言う名の物見遊山にダヴィッド殿が連れて行ってくださるらしい。
細かいところは、ラブリット二等書記官が詰めている最中だと言う。
「なるほど、わかった。着てゆく服をどれにするかは、後でラブリット二等書記官に確認すれば良いな。」
「はい。私もまだ聴いていないので、それも話し合っているかと。」
秘書官が持ってきた朝食が道中で食べていたパンと同じなので確認すると、魔獣使いの料理人に全部任せてしまうと持ってきた食料を廃らせてしまうので、お互いに料理や技を教え合いながら働くことにしたのだそうだ。
「ふむ、実に良いな!こうして草の根交流ができれば、いっそう竜の狩場の魔獣使いたちとの関係も深まるだろう。これからを考えれば実に有益だ。」
「そうですか?ちょっと迂遠な感じがしますけど。」
「確かに今すぐ、どうこうと言うものにはならないな。」
私は窓のステンドグラスの模様を眺めながら言った。
「だが上同士の取り決めで、ああしろ、こうしろと命じるよりも、あの時に一緒に楽しい時間を過ごした友人のために一肌脱ごうじゃないか、といった自発的な気持ちの方が物事をうまく運ぶものさ。」
「同じ事でも、言われてやるより、自分で思い立ってやった方が張り合いがありますものね。」
「そう言うことさ。」
私としては、ここで魔獣使いたちの料理を学んだ者が、王都で彼らの料理を出す店を開いてくれたら良いのになぁと思っていた。エングルムまで足を伸ばすのもちょっと面倒だし。
なんにせよ、いろいろな繋がりがあれば、それによって開けてくる道もあるだろう。




