117 竜の棲家へ
翌朝、斥候役の魔獣使いが、野牛の群れが過ぎ去ったと報告に来た。数人を走らせて、あの大群がいなくなったのを確かめると、我々は再び移動を開始した。
昨日は休息に当てようと思ったのに、唐突な竜の訪問という事態に興奮冷めやらぬといった状態であまり休息をとった気にならなかった。
我々が通る場所は竜が野牛の群れに襲い掛かった場所であるらしい。野牛の群れが踏み荒らした草原に、黒く焦げて地面がむき出しになった場所が点在している。周囲には草や毛を燃やしたような臭いが残っていた。
まさしく『竜の狩場』という地名にふさわしい光景だ。
そうした場所のひとつが道端にあった。驚いたのは早くも何かの芽が出ていたことだ。
「竜が焼いた後にすぐに芽を出すとは、さすがにこの土地の植物はたくましいですね。」
「おそらく、あれは鉄珠豆でしょう。実がとても硬くて竜が火を吹いた跡によく生えてきます。」
「鉄珠豆なら知っています。投石器の弾にするやつですね。」
鉄珠豆は人差し指の先ぐらいの大きさの豆で、1つの鞘の中に1個の球形の豆が入っている。豆はほぼ完全な球体に見え、鉄が名に付くぐらいとても硬い。
投石器は主に子供が使うのだが、紐の中ほどに球を保持するための小さな布切れがあり、紐の片方には人差し指に通すための輪が付いている。
布切れの上に弾になる石などを置き、振り回して勢いがついたところで手を離すと弾が飛んでゆくものだ。
現代地球で投石器というと、Y字型の棒の両端にゴム紐をつけたスリングショットを思い浮かべるだろう。しかし、この世界ではあのようなゴムがまだ無いので、スリングショットはまだ存在していない。
投石器のような原始的武器など、と思うかもしれない。だが弾はそこら辺の小石で十分であり、もちろん金属塊でも良い。そして女・子供が扱っても訓練次第で十分な殺傷力がある。だいたい、長さ70cmぐらいのもので、そこいらの石を投げるだけでも時速100キロを簡単に超えるのだ。
球の種類と勢い、当たりどころが悪ければ死ぬ。ダビデが巨人ゴリアテを倒した話のようにだ。
鉄珠豆は小さいので人間に対しては痛い程度だ。だが数をまとめて撃ち放ち、散弾のようにして野鳥などを獲る猟師や農民がいるので、ヴィナロス国内でも流通している。
別に竜の火でなくても、鉄珠豆は山火事などの跡に生えてくる植物なので、発芽には火で焼かれる必要があるのだろう。現代地球のオーストラリアなどにはそうした山火事の跡にしか芽を出さない植物があるそうだが、鉄珠豆もそうした生態なのだろう。
しかし、こんなに早く芽を出すとは知らなかった。
その日は野営地でダヴィッド殿から竜について教わったり、ラブリット二等書記官と外務省の持つ情報とそれらを擦り合わせてみたりして、無事に1日の旅程をクリアした。
途中、またドライアイスを作ったり、秘書官がダニに食いつかれたりしたのを治療したりと、多少のトラブルはあったが、旅程に影響を及ぼすようなものではなかった。
数日を無事に進むと、ついに目の前に竜たちの住む『竜の棲家』に至ったのだった。
竜の棲家は巨大なテーブルマウンテンだった。広い谷を挟んで、切り立つ断崖がそびえる荘厳な、巨大な岩塊という感じの岩山がずっと奥まで続いている。
崖の中ほどに霧がたなびいて、赤みを帯び始めた光に照らされて金色に輝いて見える。崖の上の方は遠くてよく見えないが、やはりだいたい平坦な場所であるようだ。そこからいく筋もの滝が流れ落ち、白い線のように見えた。
断崖の下は大きな岩が転がる斜面が広がっている。岩といっても大きなものは城壁の塔ぐらい、小さいものでも家畜小屋ほどもある。谷の中央には水量の豊かな川が勢いよく大岩の間を流れ落ちており、周辺には森林と言えるだけの木々が密集している。
私が見た第一印象は、豊かで、防衛に適した堅固な谷間だった。
そして、意外に思ったのは、崖から崩れ落ちた岩が転がる間を縫うように、馬車4台が並走できそうなぐらい広い、きちんとした石畳の道が整備されていたことだった。まるで王都の大通りのようだ。
歩道・車道が区別され、なんと馬の水場まで用意されている。その水槽の表面にある浅浮彫りはどこか既視感のあるものだった。
もちろん、これらは最近になって整備されたようなものでは無い。明らかに100年かそれ以上の歳月を経ているのが明らかなほどに、風化して苔むしている。
「ダヴィッド殿、これはいったい?」
「これは昔、竜とヴィナロス王国との盟約が成立した後に、その証として整備されたものです。ヴィナロスの方々がこちらに来た時に困らないための設備ですね。我々も便利に使わせてもらっております。」
ダヴィッド殿はそう答えると、大通りを少し進んだところにある館へと案内してくれた。高さが15mぐらいありそうな二つの巨岩に挟まれた幅30mあまりの場所に、左右が巨岩と一体化した3階建ての建物だ。両方の岩のてっぺんには望楼の最上階のような小さな建物が乗っかっている。
現代地球のポルトガルにあるモンサントという村の、巨岩と一体化した家で知られる村があるが、ちょうどそんな感じの建物だ。
これもきっと、例の盟約成立時の頃の建物なのだろう。ずいぶん古い様子ではあるが不衛生な感じはしない。きちんと管理されているようだ。
門の前とアプローチの道の途中、そして玄関前まで据え置き式の松明が用意されていて、誰か中にいるようだった。
「こちらが今夜の皆様の宿泊所になります。特使閣下はもちろん、護衛の方、随行の方々にいたるまでお泊まりいただけるよう心を尽くしたつもりでございます。ご不便がございましたら、館の者にお申し付けください。」
「これはこれは、思った以上に立派な建物ですね。ありがとうございます。ご厚情に感謝いたします。」
私たちが馬から降りて話していると玄関の扉が開き、中から10人余りの男女が現れた。