116 竜(ドラゴン)の交渉術と再認識
ずいいっと、鼻先を近づけてくる赤竜のクリスヴィクルージャ。
「あまり無理を言ってはいけないですよ、クリスヴィクルージャ。」
その時、ダヴィッド殿が気圧される私と赤竜の間に割って入る。
「人間は立場によっては言えないこともあるのです。聞き分けてください。」
「なんだと貴様。誰に向かって口をきいている?」
クリスヴィクルージャは声を荒げて不機嫌をあらわにした。
「あなたこそ、私を脅してどうにかできると思っているんですか?」
一方でダヴィッド殿は赤竜を相手に睨みつける。後ろでは彼が騎獣としている巨狼が険しい顔になって脚に力を入れていた。
そのまま両者は睨み合っていたが、しばらくしてクリスヴィクルージャは表情を緩めて首を引っ込めた。
「ふん…オシメが取れたかと思っていたら、言うようになりおって。」
赤竜は首を高く掲げて、ファッ!と短く鼻息のような音を発した。後ろにいた二頭の竜がくるりと背を向けて斜面を駆け下ると、空に飛び立った。
「狩りがこれからで、あいつらも腹をすかせておる。今回のことは気にせんでおいてやる。」
クリスヴィクルージャはそう吐き捨てると、背を向けて飛び立っていった。再び、風圧で周辺のものが飛びそうになるが、その中で私は安堵のあまり地面にへたり込んでしまった。
「ふあぁ…。ど、どうにかなった…。」
「特使閣下、覚えておいてください。あれが竜の交渉術です。」
「交渉術?」
私の問いにダヴィッド殿は説明する。
「ええ。竜はこの世には自分らに対抗できる存在がほとんど無いのを、よく知っています。竜を目にした相手が恐ろしさですくみあがるのも。」
「ふむ。」
「ですので、常に強気に出て、相手を気圧して、自分の言うなりにしようとするのです。ですので、ああして動じない態度を取ると、意外と引き下がるのですよ。」
「…ちょっと意外ですね。」
私は感嘆したが、気になる点もある。
「機嫌を損ねたら、こちらは死ぬのでは?」
それに対するダヴィッド殿の答えは明確だった。
「竜が殺す気で来ているなら、気付いた時点で死んでいます。」
そして続ける。
「竜は自分より強さで劣る相手に下手に出ると言う発想がありません。人間が相手なら、不機嫌であれば最初にブレスを吹きかけて終わりです。ヴィナロス王国の人々に手を出さないのは、古の盟約ゆえです。黒竜王様がすべての竜に盟約を叩き込んでいるからです。」
「なるほど、では竜が話しかけてくると言うことは交渉の余地があると?」
「左様でございます。そしてあまり不機嫌でもないと言うことです。大事なのは『重要性が低い』と言うことです。」
ダヴィッド殿の説明によると、ああやって脅かして、相手の持つ情報を引き出せるだけ引き出して手玉に取るのだという。
「ああいうのは竜達にとって言葉遊びのようなもので、別に回答はなんでも良いのです。嘘や空約束をすると、あとで死ぬかもしれませんが。」
「実際、答えようが無いしな…。ダヴィッド殿、いろいろご教示いただき、感謝申し上げます。」
「お気になさいますな。竜の無茶を諌めるのも我々の務めです。それにクリスヴィクルージャは個人的によく知っているので。」
その言葉に私はどういう意味かと思ったが、あの赤竜のセリフに“オシメが取れたかと思っていたら”というのがあったことを思い出した。
「ああ。あれは、私の一家の家がクリスヴィクルージャの住む洞窟の入り口のそばなのです。ですから、あの赤竜は私のことを赤ん坊の頃から知っているのですよ。」
「そう言うことでしたか。」
私はその事に、いかにもガンゲス一族らしいなと感心した。
「では、あの赤竜は何歳ぐらいなのですか?」
「我々の記録では、クリスヴィクルージャは255歳です。竜としては中堅どころですね。モデュルヴェリルは215歳、プレイザテールレフィールは220歳です。あの二頭はクリスヴィクルージャの弟分のような存在なのです。」
私はダヴィッド殿がそうした事柄を覚えている事に関心した。水族館のベンギン担当飼育員がペンギンの個体を目で見分けられて、名前と年齢を逐一覚えているようなものだろうか。ペンギンと一緒にすると、それこそ竜に灰にされそうだが。
「竜にも、そうした情緒があるとは。」
「意外と彼らは同胞意識は強いですよ。我も強いので争いごとも絶えませんが、強さと言う基準を基盤にして社会を持っているのです。」
私はそれを聞いて、同盟を深めてゆくなら竜の生態・気質・文化・社会についての理解を深めねばならないなと認識を改めた。
私はそれまで“主物質界最強の生物”として竜を認識していたが、そこにはどこか猛獣・魔獣の延長線上の存在としてだった。彼らの社会性や文化などについて想像することすらしなかったのだ。
「竜について、学び直すことが多そうです…。」
今更ではあるが、私は竜について認識を新たにする好機を得たのだった。




