114 足止めを食らう
目の前の平原を牛に似た大型の草食獣の大群が横切ってゆく。魔獣使いたちが野牛と呼んでいる動物の群れだ。土埃をあげながら進むそれらは、黒い帯の様に連なって遥か彼方まで続いている。くぐもった牛に似た鳴き声がときどき耳に入る。
我々はこの大移動を前にして足止めを食らっていた。
「通れるのはいつぐらいになりますかね?」
「早くて半日、遅くて2日ですな。この規模と速度なら、おそらく1日かと。斥候を置いて、野営地で待つのが上策です。」
動物の大群が野牛だけなら無理に押し通ることもできようが、大野牛や大角獣のような大型の猛獣がその中に混じっている。肩高だけで野牛の数倍ある巨大さだ。
さらに剣歯虎や大恐鳥のような獰猛な肉食獣も隙を見て襲いかかろうと、その周りをうろついているのだった。
この野生動物の集団の中に割り込むのは、危険度で言えば竜の顎の前に出るのと大差無いのは明らかだ。
昨夜の野営地で、夕食の前にダヴィッド殿が深刻な顔をして報告に来た。
「特使閣下、おそらくですが1〜2日、ここで足止めを食いそうです。」
「なんと、どうしたことだ?」
「竜の狩場に棲む獣の大移動に当たりました。先ほど確認に走りましたが、間違いございません。」
彼によると、道標に動物の大移動の発生を知らせる書き込みがあり、ちょうど通過予定の道を塞いでいるという。どうにも回避できそうにない、とのことだった。
一枚の立石の上に、真新しい絵があった。黒い帯と一緒に書かれた、大型の猛獣の絵。それは石の両端いっぱいまで描かれ、上下に網目状に描かれている道と思しきものは黒い帯に切られている。
「この時期にはよくあることなのですか?」
「そうですね、年に数回このように移動します。たくさん集まるので狩やすそうで、そうではないので困ったものです。」
そんな話をしていたのである。
そして翌朝、隊をそのまま留めておき、私とダヴィッド殿・エズアール隊長らと様子を見にきたというわけだ。
「では戻ろうか。明日の朝に改めて判断しよう。」
「ですな。負ける気はしませんが、無理に押し通って死傷者を出すのはバカげております。」
エズアール隊長は嘆息して言った。
「ええ、おそらく竜も来ます。彼らの狩りに巻き込まれたら大変です。」
「それは、ますますシャレにならないな。さっさと戻ろう。」
私はしばらく動物の群れを眺めたあと、斥候役の魔獣使いを残して、来た道を戻った。
そんなわけで、私はこれを奇貨として全員に休息を取らせることにした。朝に効果時間が切れた“柵を建てる”をもう一度使って野営地を囲い、哨戒の負担を極力減らした。
こうした移動できない日が生じるのは予想できていたので、あらかじめ予備日を設けてある。予定にはなんの問題もない。それに、もう行きの旅程の半分以上をこなしている。
私としても、この行きの途中で得た課題のうち、すぐに解決できるものは解決しておきたい。持ち越すと、どんどん解決しないままになりそうで後が怖い。この1日間はよい機会だ。
まずはすぐに解決できそうなものから。“魔力を吸い上げる”の魔法陣を、“ドライアイス作成”を安定して使用するために都合の良いものに改良する。
基本の魔法陣を描いて、そこに土属性の霊素を火属性の霊素に変換する魔術“属性転換”を組み込む。これだけでは温度を下げるのに使えないのでもうひとつ“属性転換”を組み込んで、温度を下げる方向の属性“氷”になるようにする。
この“氷”属性は温度の低下に特化した属性だ。ものの性質上、自然界では冬・凍結したもの・氷河や万年雪の上などでしか見られない。魔術属性としても存在するが稀なもので、実例としては私が学生時代に氷属性を持っている人が同級生にいたのを知るのみだ。
火属性そのものでも、ある程度は温度の上下に使えるのだが、温度を低下させるなら氷属性の方が勝手が良い。
試作したものを試しに起動させてみる。いちおう動いてくれたが、氷属性の力がイマイチ弱い。やはり“属性転換”を2つ噛ませているので、そこで魔力として消費されてしまうようだ。
全体の霊素収集効率を上げる術式を組み込み、水の部分から“属性転換”2つの起動分の魔力が供給されるように回路を組む。これは風・土・水の環境霊素が特に豊富な竜の狩場ならではの改良だ。
これで起動させてみたら、いい感じになったのでこれで良しとする。
“霊視”で視ても、霊素の流れはスムーズで問題があるようには見えない。問題が生じ得るとすれば“属性転換”の術式の部分であろうと予想できるので、そこの安定性を増すよう術式に細工を施す。
あまり複雑にすると魔術事故の可能性も上がるし、霊素のコントロールも難しくなる。魔術、特に『霊素術』の系統はシンプルイズベストを尊ぶのである。
「ふむ。こんなものか。次は“浄水作成”の構造解析をして“ドライアイス作成”の術式としてどう造り換えるかを考えよう。久しぶりに新魔術として報告論文を書いても良いかな。」
久しぶりに創造的な仕事をすると心躍るものだ。やはり人間はこうでなくては。
「あ、なんか閣下、楽しそうですねぇ。」
「アンドレか。また皆に心配されぬように魔術の改良をしていたのだ。やはり人間は創造的な仕事を──」
私が気分良く話していると、大きな黒い影が野営地を横切った。




