112 二人乗りと密談
戦争でも使節派遣でもそうなのだが、時季を選べるのであれば夏と冬は避ける。これは気候的な条件からで、長期間の移動に好適な季節でないと暑さや寒さで人員の損耗が発生しやすいからだ。
現代地球のような高度な医療も無ければ、食品や安全な水の確保も難しく、しかもその保存法が限られる技術レベルのこの世界では、そうして少しでもリスク要因を減らすしかないのだ。
もちろん、今回の私のように緊急を要する内容での使節や、半年以上にわたる移動を要する場合にはそうも言ってられないが。
そんなわけで、多少は困難な事態が生じる可能性は考えていたわけだが。
「ふう…予想以上だな…。」
父が返礼の使節として金角の黒竜王グレンジャルスヴァールとの謁見に赴いたのは春だった。
なので、父の記録や過去の竜の狩場への外交使節派遣の記録にはこうした厳しい状況についての記述は無かったのだ。
「うっ…。」
私はちょっとよろけると、後ろから護衛のディオンが支えてくれた。
「閣下、魔力の枯渇ですか?」
「いや、それじゃ無い。一度に多量の魔力を使ったから立ちくらみがしただけだ。」
「少しお休みになられては?」
「大丈夫だ。昼の大休止の予定地に間に合わねば、その方が危険だ。」
私はなんとか保つと思ったのだが、落馬しかねないということで、他の誰かと同乗することにした。
エズアール隊長やディオンをはじめ護衛の者たちは大きな重種の馬に騎乗しているが、鎧などを着込んでいるから大人をもう一人乗せるのは難しい。他の文官の乗る馬は普通の馬で、男二人は厳しい。
結局、私はダヴィッド殿の巨狼に同乗することになった。構造上、ダヴィッド殿の前に乗る。大人が子供と二人乗りするような格好で少々恥ずかしい。
「なんとも面目無い。」
「これで駆けるわけではありませんから、大丈夫ですよ。」
私を巨狼の鞍に押し上げてから、ダヴィッド殿は言った。
「この巨狼の負担になりませんか?」
「歩くぐらいなら半日ぐらい二人乗りでも問題ございません。途中、休憩もするのですし。」
後ろに乗ったダヴィッド殿は壁みたいなマッチョ系の体格なので、私の頭の上に彼の顎がある。背が高いって羨ましい…などと思っていると、彼から囁きかけられた。
「やっと、二人きりでお話できる機会ができました。」
「…なんでしょうか?」
私は彼の表情を伺おうとしたが、大きな帽子の影になっていて彼の表情はよく見えなかった。
「今回の特使派遣という異例の事態について、お話いただけて無い事柄があるのでは、と思いましてね。」
「…例えば、どのような?」
「ヤー=ハーン王国との国境線付近での防御設備の建造を進めている件ですとか。」
気づいていたか、と思ったが、あそこは竜の狩場の近くだ。魔獣使いたちが気づかないわけが無い。
ダヴィッド殿がどこまで情報を掴んでいるのか知りたかったので、私は『表向きの理由』を述べることにした。
「我が国の軍務尚書のフィグレー卿が発表なされたように“密貿易を目的とした不法越境防止の徹底を図るため”ですよ。街道筋だけ監視していても意味は無いですからね。」
「ほう。どのようなルートを辿って?」
「それは私は知りません。宮廷魔術師長は国内の治安維持問題は管轄外ですので。」
適当にごまかす私に対して、ダヴィッド殿は容赦無い。
「『回廊』以外に侵入した者は、竜に喰われてもおかしく無いのに?」
ヴィナロスから東のヤー=ハーン王国へ抜ける東街道は竜の狩場を横切る。この街道とその周辺を合わせた幅1キロ足らずの細長い部分がヴィナロス王国の一部、人間の領域として竜から許された領域だ。
ここから外れて竜の狩場に入った者は、竜の餌食になってもおかしくない。
「何がおっしゃりたいのでしょう?」
「そうした侵入の痕跡を、我々は把握していないのですよ。」
それを聞いて、私は黙るしかなかった。完敗だ。
黙っている私をよそに、そのまま彼は話を続ける。
「街道しか通らないあなた方の領域の住人はそれでごまかせるでしょうが、我々には効きません。」
「それを言うために、同乗を申し出たのですか?」
「いいえ。もうひとつ、我々と取引するのはヴィナロス王国の商人だけでは無いので。とは言え、ヤー=ハーン王国の商人との取引はここ10年で激減しました。」
「そうでしょうね。とても景気が悪いようですから。」
「そうでしょう?ならば、なおのこと危険を冒してまで『不法越境』などする必要は無いでしょう。そこまで旨味のある商品ならば、ヴィナロスから北へ行く街道を回っても十分利益が上がるはずです。」
さすがは交易所の責任者。情報収集と分析は十分にしていたようだ。
「…お手上げですね。」
私は白旗を上げるしかなかった。そこまで理解しているなら、あれは意図的に流した虚偽情報なのはもう分かっているだろう。
「何も、特使閣下を責めているわけではありません。お立場上、あまりむやみに話せない事はおありでしょうから。ですがあまり秘密にされるのも悲しいものがあります。」
「嘘を吐いていたのを謝罪します。お話していない目的があります。ヴィナロス王国の目的は金角の黒竜王グレンジャルスヴァールとの盟約の確認です。特に軍事面での。」
私は正直に話すことにした。
「侵略を受けた場合、相互に助力する、と言う内容の部分です。本人が覚えていれば良いのですが。」
「それは…ヴィナロス王国が侵略を受ける可能性が高いと言う意味に取って、間違いありませんか?」
「そのとおりです。最短3年先、最長で10年先、恐らくは5年ほどで戦争状態になるおそれが高いと予想しています。」
それを聞いて、ダヴィッド殿は沈黙した。考えているのだろう。私は彼の言葉を待った。
「竜の力を借りねばならぬほど、彼我の差が大きいのですか?」
「予想される兵力差は、わが国で動員可能な兵力のおよそ3倍です。」
「なんと!」
ダヴィッド殿は驚きの声をあげた。
「問題はその1/3はアンデッドの可能性すらあることです。」
「…にわかには信じられません。」
私もすぐには信じられなかったのだから、無理もない。
「国境付近のゾンビ騒ぎも、モンジェリン公のお屋敷の一件も、その関係ですか?」
「可能性はありますが、まだ調べている段階です。しかし、モンジェリン卿の城館での事件は敵の策略である可能性を否定できませんね。」
「なんとも陰湿ですな。」
ダヴィッド殿は嘆息した。私も気が重い。
「そんなわけで、国境付近の防御設備の建造はヤー=ハーン王国との戦争の勃発に備えてのものです。兵力を頼みに、予想より早く侵略を開始する可能性は排除しきれませんので。」
「すぐにでも攻めてくる可能性は?」
「スカール一世王の即位30周年記念式典がこの秋にあるので、それが済むまでは無いだろう、と言うのが我が国の見立てです。」
これとて希望的観測だと言われればそのとおりだが、記念碑的な国家行事の機会をわざわざ潰すとは考えにくい。また、王太子への禅譲を発表する良い機会でもある。
常識的に考えれば、その前に戦争を起こすとは考えにくいのだ。
だが、その常識が通じなかったら?それが一番恐れていることだ。
「どう出てくるにせよ、できる限りの備えをしておきたい、と言うのが我が国の国王陛下、ガイウス2世王のお考えです。」




