110 野営地での最初の夜
2022年3月20日の日刊ランキングで176位になっておりました。
皆さま、お読みいただき、ありがとうございます。
感想、ありがとうございます。励みになります。
“柵を建てる”で造りだした柵は高さ4mほど、10cmほどの間を置いた格子状になっていて、上の先端は尖らせてある。高さ2mぐらいまでは横にも格子を作ったので十分な強度があるはずだ。それを支える控え壁と、そして出入りの必要があった場合に備えて門を1ヶ所設けた。
「なんと…。」
エズアール隊長は私が魔術で造った柵に近寄ると、支柱の一本を掴んで揺すって確かめていた。
「これならば、十分に防御の用を果たせます。閣下、ありがとうございます。」
「礼には及ばないさ。護衛してくれる君たちを、無駄に危険に晒すわけにはいかないしね。選りすぐりの精鋭を惜しげなく付けてくださったカステル卿にも申し訳ないし。」
「ありがたいお言葉です。隊を率いる者として、部下をみすみす危険に晒さずに居れることほど、嬉しいことはありません。」
エズアール隊長はひざまづいての敬礼を取るが、私はすぐに立たせて、それには及ばないと言った。
「教えて欲しいのだが、近衛三軍では工兵や、こうした陣地構築に使える魔術を習得している者はいないのか?」
「先ほども申し上げましたが、専門の工兵もそうした魔術を使える者も少のうございます。」
彼の話によれば、白金竜騎士団は拠点防衛特化のためそうした者が元から少なく、金竜騎士団は物理攻撃特化の傾向があり、銀竜騎士団は同様に魔法攻撃特化であるので、必要な人員は青竜騎士団・赤竜騎士団から、時には農務省などから派遣してもらっていると言う。
(人材を融通し合って柔軟な部隊運営がヴィナロス王国の騎士団の強みだとは言うが、これはいくらなんでもマズくないか?)
私にとって軍事は専門でもなければ、管轄外もいいところだ。むしろ、軍事に今の私の立場から物申すのは越権行為である。ただ、そうした事情を差し引いた上で、私の乏しい軍事知識でも、工兵が弱い軍隊というのは問題だと感じる。
幸い、陣地の防御などに使える土属性の魔術を効率よく扱える魔術属性『土』は一番ありふれたものだ。今進めている私の計画によって、優れた魔術属性『土』の持ち主が見つかるだろう。
「そうか…。アーノルドやカステル卿とよく話し合ってみる。迅速な解決は難しいだろうが…。」
「私からも上官に進言してみます。今回のこのことで、たとえ戦闘はできずとも優秀な建築技術者か、陣地作成の能力を持つ魔術師は部隊に必須だと感じました。」
「時と場合に応じて、どちらも合ったほうが良いだろうな。」
この竜の狩場のように、資材が乏しく運搬も難しいならば魔術師の方が便利だし、資材の補給が容易で運搬もしやすいならば結果が安定しやすい土木・建設技術者の方が良い。
子供たちを教育していては今の緊張した情勢にとても間に合わないから、騎士団の若い兵員の中から土の魔術属性を持つ者たちを選び、教育と訓練を課して育てた方が良いだろう。
(また厄介な案件を自分で作ってしまった気が…。過労死しそう。)
大まかなロードマップだけ作って、あとはアーノルドとカステル卿にやってもらおう。これはあいつらの仕事なんだから、立場分は働いてもらわないとな。
天幕の方に戻ると、夕食の支度ができていた。魔獣使いたちはいつの間にか野生の牛を狩ってきていたそうで、その成果も反映されている。
血抜きしたそれを、内臓を取り除いて、解体し、食肉にするのだ。
また抜いた血は細かく刻んだギョウジャニンニクに似た野生のネギの仲間、町で手に入れたらしい香辛料の粉末と塩、何かの穀物、そして脂身を大きな鍋で混ぜていた。彼らはいわゆるブラッド ソーセージを作っているようだ。すでに腸に詰めて煮られたものも吊るされている。
さらに即席の燻製の炉までいくつか組まれ、薄切りにした肉が次々にその中に入れられていた。
その傍らで肉を細かく刻んで野生のネギの仲間とハーブを混ぜて挽肉にして、それを串に巻きつけて焼いている。
「実に素晴らしい手際ですね。」
私が彼らの動きを褒めると、ダヴィッド殿はにこやかに応えた。
「我々は子供の時から慣れておりますから。この串焼きなど、目隠ししていても作れる自信がございますよ。」
「それはすごい。」
私は素直に感心した。きっと、こうした料理は魔獣使いたちのソウルフードとでも言うべき料理なのだろう。
大きな骨や肉のついた肋骨などは適当に割られて、臓物の一部と共に巨狼たちの夕食のようだ。棍棒のような牛の大腿骨を、巨狼たちは嬉々として噛み砕いている。
あの大きな口に噛まれたらひとたまりも無いというのは、それを見ただけで十分すぎるほど理解できた。
魔獣使いたちのおかげで、道中、ガレットと干し肉と玉ねぎなどの根菜類だけの食事にならなくて済みそうなのはありがたい。
だがやはり、保存法は燻製と乾燥と塩漬け程度なので、やはり瓶詰めの技法の確立と普及を急いだ方が良さそうだ。それはきっと、魔獣使いたちの食生活をも豊かにしてくれるだろう。彼らの食事には、野菜と果物の量が足りない感じがするし。
私と使節の主だった者たち、護衛隊の部隊長たち、案内役のダヴィッド殿で火を囲んで夕食とした。
「やはり現地に来ねばわからぬ事もあったが、解決できないものではなさそうだ。首尾よく初日を乗り切れた。今日のように問題なく無事に旅することを願おうでは無いか。大地に、大海に、天に、我らは献酒して、乾杯!」
私は魔獣使いたちの風習を取り入れて、夕食の席の音頭を取った。三回、酒を大地にこぼして捧げる彼らの風習は、星降る無辺の天地の夕餉の席に実に似つかわしいものだった。
「閣下って、あんなすごい魔術が使えたんですね!すごいです!」
秘書官のアンドレは、えらく私を褒めたてた。“柵を建てる”で野営地を囲ったのに感動したらしい。
「褒めても何にも出ないぞ。」
だが私のツッコミも気にせず、彼は続ける。
「能ある鷹は爪を隠すってやつですか?こんなすごい事できるなら、もっとやれば良いのに!」
「そんなにすごく無いって。“柵を建てる”なんて、訓練すればできるようになる魔術だ。」
「僕にはできないですよ。」
「君は魔術師じゃ無いだろう。」
高度な魔術というと、もはや概念が独特すぎるか、非常に複雑で限られた人しか理解できなかったり、そうでなくても制御が難しくて使いこなす事自体が名人技というものが少なく無い。
例えば、私が『学ぶことはできても、使い物にできなかった』自由に空を飛ぶ魔術なんかがそれだ。
複数の魔術の組み合わせがベースにあり魔力の出力制御が難しい。その上で実際に飛ぶ際の肉体的なバランス感覚に鋭敏な感覚が必要とされるのがわかった。
私には前者はともかく、後者が無理だった。あれにはオリンピックへの出場権をかけた大会に出られるレベルの体操選手並みの運動神経と肉体が要ると思う。そんな魔術師は少ない。
大規模な儀式魔術の場合は担当ごとに割り振るのだが、儀式を司る長となる者は魔術師としての才能の他に統率能力も要求される。
歴史上の『大魔術師』と呼ばれるような人がだいたい変人だったり、ひどく偏屈な人物だったり、異様なカリスマ性を発揮する人物だったりするのは、そういう事情がある。
「そもそも魔術には『永続的じゃ無い』という前提がある。霊素界の存在がそうであるように、魔術で生み出した存在はいずれ消えてしまう。」
永久付与化のような魔術は存在するが、最低でも普通に使う場合の数倍の魔力量を要求されるし、それとて対象が破壊されたりしたら効果は失せてしまう。魔術の種類によっては永久付与化自体が無理なものもある。
霊素から創られたものは、いずれ霊素に還るのだ。この世のものはいずれ朽ちて塵になるように。
「それにだ。魔術は行使する人物によって出来栄えに差がある。今回は土属性の魔術だし、何度も使った経験があるから上手くできたが、魔術師なら皆がこう上手くいくと思ったら間違いだぞ。」
「そうなんですか。」
秘書官のように、高位の魔術師ならなんでも魔術で解決できる、と思っている人は教養ある層でも珍しくは無い。だが実際はそうでは無いのだ。
これが私が魔術に頼らない、あれやこれやを計画している理由だ。
やる人によって、出来不出来の差が大きいと困るものは多い。
『その人にしか、ある集団にしかできない』というのが有っても良いが、社会インフラや基本的な社会制度を支えるものがそうであっては困る。そうしたものは誰にでも一定レベルでできる、使えるものであることが望ましい。
「そもそも魔術の力量や上手い下手を問題にすれば、もっと上には上がいるしな。」
そんな話をしながら、最初の野営の夜は更けていった。




