108 野営と食事
ダヴィッド殿の説明で、この道標がどう言った位置付けの施設なのかが理解できた。
「複合的な施設なのですね。どうりで、いろいろな魔術がかけてあるわけだ。」
「特使閣下にはお分かりになりましたか。それと、立ててある石の下には昔の偉大な魔獣使いも眠っています。」
「え、ではそばに立ってはまずかったのでは?」
私が慌てて後ずさると、彼は大笑して言った。
「ははは、我らなど、背もたれにして寝たり、獲物を解体するときの支柱がわりにしておりますぞ。むしろ、後世の者の役に立って満足しているでしょう!」
魔獣使いたちの感覚は、どうも我らとは違うようだ。
「我々の間では、敬うことはただ崇め奉ることではございません。疲れ果てた時に背もたれにするのや、支柱がわりにするのは悪意があってするのではなく、そうした使い方も敬意があることが前提でございます。」
彼の言う事はもっともだ。同じ文言、同じ行動でも、意図やその行動をとった人物の属人性によって意味は異なってくる。
ここで立っている石は17個。自然に板状に割れる岩を長方形に整えただけの簡素なものだ。ダヴィッド殿によると、場所によるがすべての道標は素数で構成されるのだと言う。一番少ない場所で2個、一番多い所で100個以上の石が立っているのだとか。
私の見たところ、すべての石に“保護”の魔術が付与されているようで、薄い苔が生えていたりはするが割れたりひどい磨耗は見られない。他にも何か防御系や感知系の魔術がかけられているが、詳細を読み取ることができなかった。
(う〜ん、ひょっとして、これが巫者の使う『精霊魔術』?)
精霊魔術を使う巫者は厳格な徒弟制度だが、血統ではなく素質のある者を弟子にとるのだとか。その素質は『なるべき者が選ばれる』そうで、文化人類学で言うところの『召命型の巫者』に相当するようだ。
よく知られていないのは、広い意味での人類社会では巫者のいる社会が限定的なためだ。魔獣使いたちはその例外のひとつであり、他ではエルフの社会に知られている。
ヴィナロス王国以外で魔獣使いたちと友好的に接するのは難しいし、エルフとヒトが交流があったのは遠い昔で、今では接触が無い。ヒトの魔術師が巫者の精霊魔術に触れようと思っても難しいのである。
私が通った学院にも精霊魔術関係のものは、ほとんど置いていなかったと思う。
父はもちろん、この道標に興味を抱き、行った先々でスケッチして記録している。しかし、やはり十分に調べる時間は無かったようだ。
私も興味深く思ったのでスケッチをして、先ほど聞いた話などを書きとめておいた。観察事例が溜まればわかる事もあるだろう。それは遠い未来かもしれないが。
昼の大休止はもちろん昼飯の時間なので食事の支度が始まる。もっとも昼食は軽めで、しっかりした食事は夕方になる。
日除け程度の簡便な天幕が貼られ、随行している料理人がさっそくガレットを焼き始めた。できた端から、どんどん皿の上に積んでいくが、腹をすかせた者たちが次々持っていくから置いた次の瞬間には無くなってしまうほどだ。
そして各人でガレットにチーズを乗せて包み、また干し肉だのドライフルーツの類をかじるだけなのだった。
「閣下の分の昼食を持ってきましたよ。早く食べましょう。」
「ん?おお、ありがとう。」
道標の観察に見中になっていた私の肩を秘書官が叩いた。私は彼に礼を言うと、すでに食卓が調えられているでは無いか。
折りたたみ式の机と椅子が用意され、デーブルにはクロスが掛けられて食器がセットされている。脇には従者の一人が給仕として立っている。皿にはすでに薄切りにしたリンゴを軽く焼いて、蜂蜜を塗り、その上に砕いたアーモンドをふりかけたものを乗せたガレットと数種のチーズ、干し肉を細かく切って数種のハーブの粉とともに煮た簡素なスープまでが用意されていた。
「他の兵士たちの手前、私だけ豪華な食事になっているのは気がひけるな。」
「そうはおっしゃっても、閣下が体調崩すと全部ダメになるんですから。しっかり食べてください。」
秘書官はそう促してくれるが、支えてくれる部下たちあっての上級職だ。
「アンドレ秘書官、ラブリット二等書記官、君たちは?」
私は二人に問いかけ、さらに振り返って給仕役の従者にも問いかけた。
「私どももいただきますよ。ガレットにチーズ乗せて、あと干し肉ですけど。」
「ええ、ちょっと簡素だとは思いますけれど、こうした土地では仕方ありませんから。」
「僕も秘書官さんと同じですけど…。」
給仕役の従者はヴィクトルだった。食べ盛りなのに。
「それに、こうした食事が前提で予定を組んでおりますから、全員分を閣下と同様にしたら途中で食料が切れて飢えてします。」
「そ、そうか…。皆、済まないな。」
「何、夜はその分、しっかりした内容らしいですよ。夕食を楽しみにしましょう。」
人間、楽しみが先に待っていると考えると少々の辛くても耐えられるから大丈夫だと秘書官は言ったが、なんとなく彼の実感が入っているような気がした。
屋敷で出される家族用のおやつのような昼食を終え、およそ1時間ほどで昼の大休止を終えた。
私たちは再び原野を道を進み始めた。3時間ほど進んで小休止。夏なので日が長いのでもう3時間ほど進んだところで、今夜の野営地点に到着した。
陽は斜めに傾き、空にはうっすらと赤みがさしている。ここにも道標があり、昼の大休止の場所にあったものよりすっと大きく41個の石が立っている。
主だった者の野営の天幕や食料などは、この道標の内側に置かれた。
「冒涜にあたるのでは?」
「昼にも申し上げましたが、こうした使い方は本来のものなのです。我々も野営する時はこうしますよ。」
私は少々気が引けたが、ダヴィッド殿がそれで良いと言うのなら良いのであろう。
この石で囲われた中は、詳細不明だが防御的な魔術が掛けられているから無防備に眠るよりマシだろう。
最初の野営は問題なく進められていった。
 




