107 草原の道標
青空に白地に青い線の入った上衣を着た銀竜騎士団の魔法剣士が、バンザイのようなポーズで宙に飛んだ。腰からは長い荷作り用のロープが伸びている。
“重量軽減”の魔術による、高く飛んでの周囲への哨戒である。
正午の大休止の前に魔獣使いたちによる偵察と合わせて、それはさっそく実行されていた。
私はそれを馬に乗ったまま眺めている。
「いいなぁ…。」
「やらせませんよ、閣下。」
「分かっているよ。しないって。」
さっそく、秘書官に睨まれた。
実を言うと『自由に空を飛ぶ魔術』自体は存在するのだが、いろんな意味で非常に高度な魔術なので実用に耐えるように習得できている魔術師は稀である。私はできない。
その魔術を知ってはいるのだが、やってみたら姿勢の制御ができなくて空中で酔って盛大に吐いた。上空から撒き散らされる吐瀉物の雨に、周囲が阿鼻叫喚の騒ぎになったことは言うまでもない。
魔術を極めるには知識や魔力だけではダメなのだと言うのを、嫌というほど思い知った学生時代の黒歴史である。
そう言う意味では“重量軽減”の魔術でやるこれは、それと比べればだいぶ自由度が低いが簡便で実用的なものとして悪くない思いつきのはずである。
将来的には“重量軽減”の魔術を付与した資材などを使って、鳥人間コンテストに出てきたような超軽量動力機を作ってみても面白いかもしれない。私には航空力学の知識が無いから、文字通り手探りで進めることになるだろうが。
地上に降りてきた銀竜騎士団の魔法剣士と戻ってきた魔獣使いたちによって、周囲に敵影は無いことが確認されたので、予定通り大休止をここで取ることになった。
竜の棲家まで伸びる道は、竜の狩場を網の目のように伸びている。
これは無軌道なのではなく、見晴らしが良く、雨が降っても道が乾きやすい尾根筋をたどり、野営しやすい場所をつなぎ、また危険な動物・魔物の通り道や縄張りを回避するうちに、複数の道が自然発生的に生じたのだ。
この道自体が魔獣使いたちが自然と向き合ってきた歴史の証明とも言える。
この正午の大休止の場所は小高い丘の頂上に位置し、平坦で短い草が密生している。中央付近には表面が平らな石が敷き詰められ、不可解で神秘的な何かのシンボルが線刻された高さ2mほどの石が輪をえがくように立てられていた。いわゆる、ストーンサークルと呼ばれるものだ。
「これは…?」
空を飛ぶのにそれほど執着しなかったのは、このストーンサークルに興味を惹かれたからだった。
父の記録でこれの存在や、おおよその形などについては知識として身につけていたが、こうして実物に触れる機会を得るのは大いに学べるところがある。この建てられた石はもちろん、この石が敷かれた場所自体に、時間をかけて丁寧にいくつもの魔術がかけられている。
(あまり観たことの無い魔術式の構成…、霊素の流れがとてもスムーズだ。周囲の環境霊素をうまく汲み上げて効果を持続させている。)
私がこれの前でうんうん唸りながら眺めていたので、興味を持ったのかラブリット二等書記官が隣にやってきた。
「閣下、やはりこれは魔術師の方からすると興味深いのですか?」
「うん?そうだな。やはり見たことの無い魔術には興味を惹かれるな。」
「私どもでは魔獣使いたちの信仰に関わるもの、ぐらいの認識なのですが。」
ふむ、彼女の言うとおり、そんな感じもしないでは無い。だが、例えばヴィナロス王国など多くの人間の国家でみられる神殿とはまた違う感じだ。
「ダヴィッド殿、これはいったい?」
詳しそうな人物が側にいるのだから、直接訊くことにした。
「ああ、それは『道標』です。」
彼は巨狼に肉塊を与えると、こちらにきて答えた。
「これはあなた方の信仰に関わるものですか?」
「それもありますが、それだけではありません。」
彼は列石の中に立ち入ると、手近な石に手を触れた。その時、霊素の活性化が起こった。
「道標は我らにとって、外敵から身を守れる砦であり、安全な野営地であり、狩った獲物を捌く場であり、神々に祈る場であり、先祖の言葉を聞く場であり、ここに来た者に同胞が情報を残す場です。」
彼はそう説明して、周囲の石を調べ始めた。
「例えば…これは古いですが、ここから東にある水場を縄張りにしている剣歯虎が代替わりした、とあります。」
彼が指差した先には、風雨に掠れた、直線でつながれている複数の円の中に絵と記号の中間のようなものがかすかに見て取れた。知らないと落書きなのか模様なのか、それともある種の表意文字なのか、判断に苦しむ形だ。
「こちらには…この近辺で大角獣の親子、母親と仔2頭を見かけた、とありますね。」
「まったく読めない…。」
私とラブリット二等書記官は顔をその『模様』に近づけて眺めたが、まったく理解できなかった。動物の形はわかるが、抽象化された絵のようなもので、その周囲を同心円状の模様が囲っている。
「ここは、このように今に生きる我らが交わる場所であり、巫者たちを介して祖先の知恵を教わる場所であり、神々の意志を伺う場所です。あらゆるものの生きる、または生きた『道』が交わる場所にあるので道標と言うわけです。」
 




