101 出発前日
翌日、一日の休みとした。休みと言ってもやることは多いので、交代しながらの半休だが。あんな事件もあったので、竜の狩場に向かう前に護衛の騎士たちや兵らに休息を取ってもらう。
一方で、私と秘書官のアンドレ、ラブリット二等書記官に休みは無く仕事だ。
明日からの竜の狩場内での旅程で補給は困難だから、今日中に必要な物を揃えなければならない。事前にラブリット二等書記官たちが必要な手配をしていてくれたため、必要な積み込む荷物の種類や量が確実に用意されているかのチェック作業である。
明日からは馬車ではなく、馬に騎乗しての移動なので飼葉などの飼料もたくさん用意しなければならない。
圧縮して持ち運びできれば…とは思うのだが、よくある『アイテムボックス』みたいな便利な魔法道具はこの世界には存在しない。
もし、そんなものがあったら一大物流革命が起こってしまうだろう。それはそれで面白いかもしれないが、未知のリスクも大きそうなので、開発は私の頭の中で構想するに留めた。
それと昨日の件については全員に緘口令を敷いた。
モンジェリン家の名誉に関わることだからでもあるが、それ以上に国防上の問題になるかもしれないので噂が広がるのは好ましく無いと考えたのだ。
報告書は秘書官のアンドレがほとんど寝ずにやってくれたので、午前中に王都に向けて早馬で送り出せた。ご褒美を兼ねて、秘書官には手持ちのちょっと良い回復薬を渡したのだが…。
「なんか、普段以上にみなぎってますっ!」
などど、爛々とした目をして言っていたのだが、アレ大丈夫だろうか?なんかこう、キマっちゃった感じなんだが。
昼前にエングルムの名所でもある、竜との交易所に足を向けた。
竜との交易所に竜が来ることはまず無いのだが、離発着可能な空き地があり牧草地のようになっている。
そこに金角の黒竜王グレンジャルスヴァールへ献じる牛を集めてあるはずなので、それがきちんと集められているか確認しなければいけない。交易所に竜たちの嗜好品である、スーラウアの枝も指定した数が納められているかも確かめねばならないし、儀礼に使う分が調えられているかも改めねばならない。
そして何よりも、明日から先導役として世話になるダヴィッド・ガンゲス殿にご挨拶しないわけにはいかない。
竜との交易所に来るのは初めてでは無いが、それでもここに来ると心が躍る。
竜鱗・竜爪・竜角・竜骨・竜の胃石・竜皮などの比較的馴染みの深いものから、竜血・竜の涙のような傷みやすいため確保が困難な素材、竜の目・竜の肝・竜の心臓・竜の胆石などのレア素材に至るまで、実にいろいろなものが揃う。
竜の狩場で竜と共に暮らす魔獣使いたちは竜の身の回りの世話や環境整備などをする代わりに、彼らが死んだ時に遺体を引き取って役立てるのである。
ものの性質上、量が採れるものでは無いからどれも大変高価だが、合法的に竜由来の素材が本物間違いなしで手に入るとあって、遠い国の異色ある装いの商人の姿も見受ける。
とは言え、入口近くの店にある酒精に漬けられた大きな竜の目なんか、私が学生の頃からあったような気がする。値段もさることながら、使用用途があまり無い部位ではあるが。
竜との交易所にいるのは、ほとんどが魔獣使いたちだ。
彼らが好む武器や防具を売る店、竜の狩場内では手に入らない道具類を売る店、竜以外の動物や魔物由来の素材・竜の狩場内で採集された薬草などを買い付けたりする商人の店などもあって、交易所の名にふさわしい活気ある商業の場となっている。
そんな交易所を見て回りたい誘惑に駆られるが、従者や護衛など20名ばかり引き連れて気ままに買い物を楽しむわけにはいかない。ある店のショーウィンドウに並べられていた、綺麗な瑪瑙でできた竜の胃石にちょっと心惹かれたが、ぐっと我慢した。
竜の狩場の連絡事務所は、この交易所のほぼ中央に位置している。裏手に大きな倉庫と広い空き地が隣接している。建物は周囲の商家の造りとそれほど差は無いが、黒地に金刺繍で竜の顔が描かれた大きな旗が掲げられているのでそれと分かる。
あと、入り口にいる巨狼の存在だ。どうも番犬代りらしい。倉庫の入り口前で横になっている。
「これはこれは、閣下。わざわざご足労いただき、ありがとうございます。」
事務所を訪問した我々を、ダヴィッド・ガンゲス殿は事務所の応接室で出迎えてくれた。
「こちらこそ、明日からはお世話になります。なにぶん我らにとっては不慣れな土地ですので、あなたに先導していただけるとは心強い限りです。」
「こちらこそ、安全に、道中ご不便が無いように心がけます。ご安心ください。」
握手をダヴィッド氏と交わす。
「まずは、金角の黒竜王への献上の品がこちらに納品されているか確かめたいのですが。」
「ええ、こちらへどうぞ。まずは倉庫に、それから裏の空き地に参りましょう。」
我々は倉庫に案内され、スーラウアの枝が指定した数のとおり納められているのを確認した。儀礼用の分も調えられているのをラブリット二等書記官が改める。
「閣下、問題ございません。」
「よし。ではダヴィッド殿、こちらを戻る時に持ってゆきます。」
私の言葉に、ダヴィッド氏はうなづくと、荷役の人夫を手配してくれた。続いて、倉庫の裏の戸から空き地に抜ける。そこの広がる牧草地では集められた50頭の牛がたむろしていた。
「数は…間違いありません。」
ラブリット二等書記官が数えた。私も目で数えていたが、間違いなさそうだ。
「牛の引き渡しは予定通りで?」
「はい。閣下のご一行が出発して2週間後、竜王様の元へ着いていると見なして竜の狩場に放ちます。」
「承知しました。それまでに病気や死亡で補充したら、ヴィナロスの外務大臣に請求書を回してください。」
「そうならないように、部下にしっかり世話しておくように申し伝えております。」
献上品に問題は無いようだったので、我々は事務所に戻って歓待を受けた。




