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あまりにも想定外の言葉に僕が言葉を返せないでいると、フェリシアは寂しそうな顔で言った。
「信じられませんよね。私も始めは信じられませんでした。ただの夢だと思いたかった……。けれど、日が経つにつれ、どんどん記憶が鮮明になってくるのです。
いいですか。エルランド様。この学校にはじきに転校生がやって来ます。クリスティーナというとても可愛い少女です。あなたはその子に恋をします」
フェリシアは僕を真剣な目で見つめながら言う。可愛い。いや、そうじゃなくて。
僕が転校生に恋?フェリシアは何を言っているんだろう。僕が好きなのはフェリシアだけなのに。
「あの……フェリシアの言っていることが半分以上よくわからないんだけど、僕は転校生に恋なんてしないと思うよ?」
思ったままに伝えるが、フェリシアは聞く耳を持たない。
「いえ。今はそう思っていても、必ずそうなるのです。私にはわかります」
「ねぇ、フェリシア。おかしな夢でも見たんじゃないか?ほら、君はいつも頑張りすぎるから疲れているんだよ。少し休んだらどうだい」
僕はなだめるように言う。そうだ。きっとフェリシアは疲れているんだ。婚約破棄だなんておかしなことを言いだしたのもそのせいだ。
しっかり休めば冷静になって、いつものフェリシアに戻ってくれる。
「そうではないのです!!」
フェリシアは瞳に涙を溜めて叫ぶ。
「エルランド様は必ずクリスティーナを好きになります。そして私が邪魔になって、ダンスパーティーの夜に婚約破棄を言い渡すのです。クリスティーナをいじめた私の悪事をみんなの前でつきつけながら……」
「フェリシア?何を言ってるの?」
「私はそんなの耐えられません……!いつも優しいエルランド様から、軽蔑しきった目で見られて婚約破棄を言い渡されるなど……!」
フェリシアはとうとう顔を覆って泣きだした。僕はおろおろと彼女を見守るしかない。
「……それなら、今ここで婚約破棄された方がましです」
「え、ちょっとフェリシア……」
「悪役令嬢の私はいさぎよく身を引きますので、どうかエルランド様はヒロインと幸せになって下さい」
フェリシアは瞳に涙を溜めたまま笑顔で言った。
既に吹っ切ったかのような、爽やかな笑顔だった。冗談じゃない。僕は状況すら理解できていないというのに。
「それでは、今までありがとうございました!」
「待て!フェリシア!僕は認めてない!!」
彼女は僕の言葉も聞かず、軽やかに駆けていく。慌てて追いかけるが、廊下を歩く人混みに紛れて、彼女は見えなくなってしまった。
──
「……はぁ」
王宮の自室で僕は何度目かわからないため息を吐く。
一体僕が何をしたというんだ。兄たちには勝てないなりに勉強も公務も頑張って、人を害さずに生きてきたつもりなのに。
なぜフェリシアから婚約破棄を頼まれるなんていう、考えうる限り最も辛い現実を突きつけなければならないんだ。
考えていたら情けないことに涙まで滲んで来た。
「フェリシア……」
僕は机の上のリボンのついた小瓶に向かって呟いた。去年の冬、フェリシアからもらった飴が入っていたものだ。「宝石みたいでしょう?あんまり綺麗なのでエルランド様にも見せたくて」なんて言いながら渡してくれた。宝石のように綺麗な飴を食べ終わった後ももったいなくて捨てられず、小瓶は机の上に大事に飾ってある。
ああ、可愛いフェリシア。僕の何がいけなかったんだ。
僕はこんなにフェリシアが好きなのに、彼女は僕がこれからやって来る転校生に恋をするなどと言う。そんなわけないだろう。フェリシアよりも魅力的な女性などいるものか。フェリシアは一体なぜそんな突拍子もない勘違いをしたんだ。
「……突拍子もない勘違い……いや、僕はそう思わせられるほど、フェリシアに好意を伝えていたか……?」
ふと思い至り、背筋が凍った。
僕はフェリシアが好きだ。彼女以上の女性はいないと思っている。彼女の婚約者になれたのは僕の十七年の人生で一番の幸福だと思う。いや、この先の人生で一番の幸福かもしれない。
しかし、それを本人に伝えたことが一度だってあっただろうか。……記憶を辿る限り一度もない。
彼女が好きだと言ってくれるのを、素敵だと言ってくれるのを、ただ受け取るばかり。照れくさくて嬉しささえも表情から隠していた。
ああ、そんなのフェリシアに伝わらなくて当然だ。
フェリシアは僕がそんな曖昧な態度だったから、おかしな夢に引っ張られてしまったのだろう。僕がちゃんとわかりやすく愛情を示してさえいれば、ただの夢だと笑えたはずなのに。
「フェリシア……!僕が悪かった……!!」
僕は小瓶に向かって涙を浮かべながら謝る。
そして固く決意した。これからはもう二度と愚かな過ちを犯さないと。これからはストレートに愛情を示すのだ。婚約破棄など断じてするものか!!