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僕には婚約者がいる。
彼女の名前はフェリシア・レーンバリ。ウェーブがかった黒髪に、サファイアのように輝く青い瞳を持つそれはそれは美しい女性だ。
彼女のことをキツい顔立ちだとか、意地悪そうだとか言う奴もいるけれど、僕は全くそう思わない。いや、違う。あの凛とした顔立ちが素敵なんだ。とにかく彼女は世界一綺麗な人だと思う。
「エルランド様!」
フェリシアのことを考えながら王立学校の廊下を歩いていたら、ちょうど友達と談笑しているフェリシアの姿が目に入ってきた。彼女は僕に気が付くと、会話を中断して駆け寄ってきてくれる。
「エルランド様、後で会いに行こうと思っていたところですの!先日父が新しい絵画を手に入れたので、今日エルランド様をうちに招待したいと言っているんです。魔法で動く珍しい絵画ですわ。来てくださいますわよね?」
「うん。必ず行くよ。フェリシア」
僕は頬が緩みそうになるのを何とかこらえながら、平静を装って返事をした。フェリシアは今日も本当に可愛い。
「約束ですわよ。父もエルランド王子ならこの絵画の価値をわかってくれるはずだって楽しみにしているんです」
「それは光栄だな」
僕が言うと、フェリシアは嬉しそうに笑った。
僕はこの国の王子だ。
王子と言っても、第三王子だし、上に二人の優秀な兄がいるから王位を継ぐ可能性はまずないけれど。
僕は兄二人と比べると、優秀さでも人望でも一段劣っていると言わざるを得ない。けれど、フェリシアはこんな僕をいつも大好きだと言ってくれる。
フェリシアがいてくれるなら、僕は兄たちよりも、いや他の誰よりも幸せだと思えるんだ。
──
しかし、大好きなフェリシアの態度がある日突然変わってしまった。
僕を見かけるとすぐに駆け寄ってきて華奢な腕を回してきたフェリシアが、すれ違っても小さく微笑んでお辞儀をするだけになった。
週に数回はあったレーンバリ公爵家へのお誘いもぴたりとなくなった。
一体どうしたというのだろう。僕は彼女を怒らせることをしてしまったのだろうか。
「いえ、エルランド様は何も悪くありませんわ」
耐えかねて思わず問い詰めると、フェリシアは笑顔で首を横に振った。
しかし、その笑顔は以前と違ってどこか他人行儀なものに見える。前はもっと甘えるような、こちらの好意を疑わないような、打ち解けた笑みを見せてくれたのに。
「じゃあ最近どうして素っ気ないんだ?」
「今までが異常でしたの。王子様にみっともなくしがみついたりして。それにお忙しい方なのに図々しく週に何度も家に誘ってしまって。私、反省したのですわ」
フェリシアはそう言って困ったような笑みを浮かべる。
みっともなくも図々しくもない。僕はフェリシアが駆け寄ってくる度、家に誘ってくれる度、とても嬉しかったのに。しかし、素直にそう言えばいいというのになかなか言葉が出てこない。
好意を示してもらうのに慣れ過ぎて、こちらから愛情を伝える機会があまりなかったのだ。
「反省なんかすることないよ。今まで通りでいいんだ」
僕はやっとそれだけ言った。
しかし、フェリシアは俯いて黙り込んでしまう。
「フェリシア?」
不思議に思って尋ねると、フェリシアは決意を決めたような顔で言った。
「エルランド様。……どうか私との婚約を破棄していただけませんか」
「え?」
僕は唖然として彼女の顔を見た。言葉の意味がよく理解できない。
今、婚約破棄と言った?なぜ?僕はいつのまにかそこまで彼女に嫌われていたのだろうか。
「……どういうこと?僕はフェリシアにそこまで嫌われることをしちゃったのかな。それなら謝るよ。だから、考え直してくれないか」
僕は内心心臓をバクバク言わせながら、何とか言葉を紡ぐ。顔だけは必死で冷静を装いながら。どうかただの冗談であってくれ。
しかし、僕の願いは簡単に打ち砕かれる。
「いいえ。さっきも言いましたように、エルランド様は何も悪くありませんわ」
「それならどうして」
みっともなく縋り付いて止めたいのをこらえて尋ねると、フェリシアはしばらく迷った後、静かに告げた。
「……思い出したんです。自分がどんな存在なのかを」
「思い出した?」
「ええ、私が前世でプレイした乙女ゲームのライバルキャラ……フェリシア・レーンバリだったということを!」
フェリシアは高らかに宣言する。しかし、そう言われても全く理解できない。
前世?乙女ゲーム?前世ってのは、生まれる前の人生ってことだよな。僕は信じてないけど……。でも乙女ゲームってなんだ?
それにライバルキャラとはなんだ。何のライバルなんだ。だいたい、君がフェリシア・レーンバリなのは初めからじゃないか。