彼女のカボチャは誰のもの?
ボクが故郷を離れてから、もう四年になる。
四年前、高校を卒業したボクは、地元を離れて都会の大学に進学した。
それ以来、ボクは故郷に戻ることなく、都会で暮らし続けている。
別に地元が嫌いになったとか、そういうわけじゃない。
けれど、帰るためにはお金と時間をたっぷり掛けて、何本も電車を乗り継がなければならない。しかも、行きと戻りで、二回分だ。
その苦労を考えると、どうしても足が重くなってしまうわけで。
それになにより、今は世界のどこだってネットワークが繋がっている。
父さんや母さん、それに地元の友達とも画面越しに会うことができるし、いつだって声も聞ける。
無理に帰らなくても、寂しいと思うことは、実のところあんまりなかったんだ。
※
そんなボクだけど、今まさに、故郷に向かう電車に乗っていた。
都会から出発したスマートな電車から、ちょっとくすんだローカルな路線に乗り換えたところ。
窓から見える景色に、見覚えはまったくない。
この辺りは、都会に出るときに一回通ったきりだから、それも仕方ないだろう。
電車を間違えていないか、ぼんやりとした不安感がある。
それでも、四年前、初めて都会に向かっていたときの緊張よりはずっとマシなはず。
都会から離れるほど、駅と駅との間隔が長くなってくる。
乗客も降りるばかりで、新たに乗り込んでくる人はまるでいなかった。
車内の空席が増える。窓の外も、ひと気のない畑や山林を通ることが多くなる。
肌に感じる空気が少し寒くなったような気がするのは、ボクの錯覚だろうか。
スマートフォンの路線図とにらめっこしながら、さらに電車を乗り換える。
ここまで来ると、運行する電車の本数も都会と比べたらずっと少なかった。
だいたい、一時間に一本。
十分ごとに新しい電車がホームにやって来る都会とは雲泥の差だ。
けれど、このどうしようもない待ち時間に、ボクは懐かしささえ感じてしまう。
車窓にも見慣れた風景が流れ始めた。
ボクの故郷は、もうすぐだ。
※
「うっそでしょ……」
電車から降りたボクは、思わず呟いた。
改札口の外が、真っ白だったのだ。
雪が降っている。
いや、降っているなんて生易しいものじゃない。
猛烈に、吹雪いている。
あんぐりと口を開けて駅前の駐車スペースを視線を向けると、ぼんやりと青い光が浮いているのが見えた。目を凝らして見つめていると、円形の霞んだ光が、青から黄色、それから赤に切り替わっていく。
記憶が確かなら、駅のすぐそばに交差点があって、そこに信号があったはず。
それが、もう、完全に雪に埋まってしまっているのだ。
咄嗟に改札を振り返るが、この駅はとっくの昔に無人駅になっている。改札の窓口はカーテンで締め切られていて、駅員の気配はまるきり感じられなかった。
付け加えるなら、この駅で降りた乗客もボクひとりだ。このショックを分かち合える相手は誰もいない。
「なにがショックって……、いや、雪とか降っちゃうの、ここ?」
そう。高校卒業まで過ごした故郷の町は、ボクの知る限り、積もるほど雪が降ったことなど、ただの一度もなかったのだ。
当然、こんな真っ白な光景など見たことがない。久しぶりの地元だというのに、全然懐かしい気分になれなかった。
帰ってきて早々、なんだか裏切られた気分である。
待合室のレトロな柱時計を見上げると、短針が午後の三時を指していた。
両親はまだ仕事に出ている時間だけど、流石にこれはSOSをコールするべきか。
そう思ってズボンのポケットからスマートフォンを取り出したボクは、その画面が真っ暗になっていることに気がついた。電源ボタンを何度か押してみても、頼れる相棒はノーリアクション。
「あらま。電車の中で使いすぎたかな?」
それとも、あまりの寒さにバッテリに不具合が生じたのか。
困ったことに予備の電源は持ってきていなかった。
自分の迂闊を呪いつつ、深々とため息。吐いた息はあっという間に真っ白に染まってしまった。
「うーん。家までは歩いて10分くらい……、だったよね」
吹雪の向こうを見つめながら、昔の記憶を思い起こしてみる。
……大丈夫。実家までの道順はちゃんと覚えている。
駅の待合室には暖房もない。
ぼんやり立っているだけでは足の先から寒さが這い上がってくる。
ここでじっとしているくらいなら、吹雪を突っ切ってでも実家を目指したほうがいいだろう。
そうだ。帰ったらすぐに熱いシャワーを浴びてしまおう。それがいい。
「歩いて10分なら、走れば5分! よし!」
その場で軽く跳ねてウォーミングアップ。
頬を軽く叩いて覚悟を決めて、ボクは駅のホームから飛び出した。
※
と、楽観的だった過去の自分をひっぱたいてやりたい。
「さ、さ、寒すぎる、って……!」
声が震える。体も震える。
スマホの画面は相変わらず真っ暗。時計機能も使えないが、体感ではすでに10分以上が経っているように思える。
その10分で雪中行軍がどこまで進んだかといえば、ボクはまだ、駅前の駐車場すら突破できずにいたのだった。とんでもない牛歩である。
「うぅ、せめて靴がまともだったら……」
積雪は(まだ)足首に届かない程度だけど、その下に埋もれたアスファルトはガチガチに凍っているらしく、ボクが一歩を踏み出すたびにツルリと滑ってしまいそうになる。普段履きのシューズのグリップが、今はなんとも心許ない。
天候は相変わらずの猛吹雪。分厚い雲が空を覆い、太陽の光を遮っている。吹雪のカーテンと相まって、周囲は日中とは思えないほど薄暗かった。
視界が狭い、というよりも短い。辛うじて捉えられるランドマークは、高い位置で三色に光る信号機だけだった。
あそこまで辿り着けば、道路(と、それに沿った歩道)を確認できるはず。
その希望的観測を心の支えにして、厚みを増しつつある雪の上をすっ転ばないように慎重に歩いていく。
氷柱のように冷たくなった足で残り数歩を踏破したボクは息も絶え絶えに、雪に覆われた信号機の支柱に手のひらを凭れさせた。
「って、え、あれ?」
しかし、腕に体重を掛けたその瞬間、ボクの体は空振って宙を泳いだ。
信号機の支柱だと思った雪の柱は、芯までが雪の塊で、手のひらに押されただけであっさりと崩れ去ってしまったのだ。
ぼふん、と重たい粉雪が舞う。
バランスを崩して雪の上に横倒しになったボクは、頭上の丸い光が、青・黄・赤と三色同時に点灯して、そのまま空の彼方にふわふわと飛び去っていくのを見た。
鳥とは違う、不規則な飛び方だった。
「信号機……、じゃなかった?」
呆然と見上げているうちに、三つの光は吹雪の向こうに消えていってしまう。
信号機モドキの足元にはボクだけが取り残されて、降り止まない雪の下にどんどん埋まりつつあった。
「……ッ、まずい!」
ハッとしてボクは雪の中から立ち上がる。
いつの間にか、積もった雪が膝の下あたりまで勢力を伸ばしていた。
慌てて周囲を見回しても、時既に遅し。ボクは完全に方向を見失ってしまっていた。
右も左も、前も後ろも。
白い雪原と止まない吹雪、それから鉛みたいな空しか見えない。
真っ白なベールに遮られて、駅のホームももう見つけることができない。
ここに至るまでの足跡も、吹雪に呑まれて消えてしまっていた。
「これって、まさか……、遭難?」
呟きが風の轟音に吹き飛ばされる。
非現実的な言葉を口にすると、現実感が一気に襲ってきた。
まずい。
どうにかして、吹雪から逃れないと。
でも、どっちに行けばいいの?
独りぼっちで野ざらしなボクは途方に暮れてしまった。
積雪は膝を超えて太ももを呑み込みつつある。
もうほとんど身動きも取れそうにない。
ふっ、と意識が遠のきそうになる。
もうダメかも、と弱気になった、その瞬間だった。
「……あっ!」
吹雪の向こうから、光が近づいてきた。
※
吹雪を水平に貫いた光は白く輝いていて、目玉のように丸かった。
強い光量が二つ、横に並んで近づいてくる。
車のライトだと、すぐに気がついた。
ハイビームだ。眩しいけれど、今はそれが頼もしい。
ボクは冷たい体をどうにかフル稼働させて、ぴょんぴょんと跳ねながら両手を大きく振り、遭難者の存在を車に向けてアピールした。
「おーい! お願い! 止まってくださーい!」
願いは通じた。
ゆるゆると速度を落としたヘッドライトがボクの真横で停止する。
停まったのは年季の入った白の軽トラックだった。黄色のナンバプレートに、荷台を覆うブルーシート。子供の頃、地元でしょっちゅう見かけたタイプだ。
まだ現役で走ってるんだな、と妙に感慨深い。
車の左手で震えていると、目の前で助手席のドアが開いた。
積もった雪を押しのけて、四分の一くらいのスペースが作られる。
「ちょっとちょっと! あなた、こんな日に何やってるの!」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、若い女性の声だった。
車内は薄暗く、声の主の姿ははっきりとは見えない。けれど、このタイプの軽トラは二人乗りが標準だ。つまり、喋っているのは運転手のはず。
「すいません! えっと、道に迷ってしまって!」
「迷ったって……、あー、もう! いいから、早く乗っちゃいなよ!」
風の音がうるさくて、ボクも相手も自然と大声になっていた。
呆れたような女性の叫びに導かれて、半端に開いたドアを思い切り引っ張る。
腰の近くまで深くなっていた積雪を力尽くで動かし、大根みたいにスポッと体を持ち上げて、ボクは軽トラの助手席に飛び込んだ。
「わっ」
車内にはエアコンの暖気が満ちていた。前髪に積もっていた雪が、すぐさま水になって滴り落ちる。
と、同時に、開いたドアから暖かな空気がどんどん吸い出されているのに気づいて、ボクは慌てて助手席のドアを閉めた。
バタン、と車体が揺れて、ルーフの雪がサイドガラスの外を滑り落ちていく。
「はぁ……。あの、ありがとうございます。おかげで助かりまし――、た?」
ほっと息を吐き、運転席に目を向けてボクは、言葉を詰まらせた。
運転手が、こっちを見ている。
運転席の空間の、たっぷり三分の一くらいを、彼女の頭部が占領していた。
丸くてでこぼこ、橙色の、大きな頭。
逆三角形の目と、ギザギザの口。
カボチャだ。
ジャック・オ・ランタンの被り物だ。
ナイフでくり抜かれた瞳の奥から、オレンジ色の光がボクを見つめていた。
「ほら、発車するよ。シートベルト、忘れないで」
「あ、はい」
ぽかんと口を開けたボクを一瞥して、パンプキン・ヘッドはフロントガラスに向き直った。
耳に届いたのは、やっぱり、女性の声。
運転席の彼女(?)の首から下は、シンプルなジャケットに細いシルエットのパンツ・スタイル。スマートな着こなしが、なおさら巨大なカボチャとでアンバランスだった。
ボクがシートベルトを締めると、軽トラはのろのろと動き出した。
スピードはさほど出ていない。けれど、進み方に淀みはない。
フロントガラスは吹雪の一色だけど、ハンドルを握る彼女にははっきりと進路が見えているようだった。
真っ白なフロントガラスをじっと見つめながら、ボクは黙っていた。
隣の怪人(と言うのも失礼な話だけど)を相手に何を話せばいいのか、正直わからなかった。
芯まで冷えた体が暖房で温まってくる。
表皮の辺りが軽く痺れている。血の巡りが戻ってきた証拠だ。
ゆっくりと息を吐いたボクを、オレンジの視線がちらりと見た。
運転席のカボチャが首を傾げる。
「ひょっとして、いーちゃん?」
「え?」
彼女が口にしたのは、間違いなく、ボクのあだ名だった。
大学でそう呼ばれたことはない。地元だけのニックネームだ。
思わず首を向けたボクに、カボチャの彼女が笑みをこぼす。
目も口も決まった形から動いたわけじゃないけど、その奥でオレンジの光がちょっぴり揺れた気がした。
「やっぱりいーちゃんだ! なんだ、久しぶりじゃん! 今帰ってきたところ?」
「はい、あの、そうです」
「やだ、なんで敬語? 昔みたいにタメ口でいいってば」
そうは言われても。
当たり前だけど、普段からデフォルトでカボチャの被り物をしている友達なんて、地元にだっていやしない。
いったいなんと答えるべきか、目を丸くしたボクが困っていると、彼女が口を尖らせた。
「あれ、わたしのこと、覚えてない?」
「……ごめん」
「ありゃりゃ。まー、仕方ないか。もう何年も会ってないんだし」
運転席の彼女が肩をすくめる。
口振りからすると、同年代の女子だろうか。
頭の中の検索エンジンが記憶を掘り返してみるけれど、該当するトピックにヒットはない。
せめて素顔を見れればと思ったけれど、彼女が被り物を外す気配はなさそうで。
でも、そう……。
なんとなく、声には聞き覚えがある気がする。
「何年ぶりだっけ。今、20歳くらい?」
「今年で22歳、……だよ」
「22! じゃあ、大学も卒業かぁ」
年を聞く、ってことは同級生じゃないのかな。絞り込みワードに追加しておく。
軽トラの車内は仄かな橙色に染まっていた。
室内灯は点いていない。
柔らかな光を放っているのは、彼女の頭の、ジャック・オ・ランタンの灯火だけだ。
「あ! まさかまさか、卒業したらこっちで就職? それで帰ってきた感じ?」
「ううん。そうじゃなくて、院に進むのが決まったから。一応、ウチに顔を出しておこうかって」
「イン? 内側?」
「大学院。マスタ・コースのこと」
「はえー……」
気の抜けた声がカボチャから漏れた。
ジャンボ・カボチャがこてんと傾く。
「ふーん。そっか、ずっとこっちにいるってわけじゃないんだ」
「うん。二、三日したら、また大学に戻らないと」
「……別にいいけど、せっかく都会の大学を卒業するのに、まだ勉強しないといけないの? もう十分勉強したぜ、とか、これからはバリバリ働いて稼いでやるぜ、とか、思っちゃわないのかな?」
ちょっと拗ねた口調で彼女が言う。
ファンタジィな外見とギャップがあって、なんだか可笑しかった。
「そうだね。うん、ボクにはまだまだ勉強したいことがあるし、それに、院に進んだら研究もしたいんだ」
「研究? 勉強とはまた違うの?」
「うーん、何ていうのかな、今まではさ、誰かの発見をずっと後ろから追いかけてきたんだ。世界中の先人が築き上げてきた知識の山をちょっとずつ登ってきて、ボクもようやく、周りの風景を見渡せるくらいの高さまで到達したわけ」
ボクは喋りながら自然と頬を緩ませていた。
カボチャな彼女は静かにボクの話を聞いてくれている。
それが嬉しかった。
「ここから先、どんなルートで山を登っていくのか、それとも新しい山を自分で見つけに行くのか、そういうことを選べるようになりそうなんだ。それが楽しくて、もう、とてもじゃないけど立ち止まってなんかいられないんだよね」
「……道に迷っちゃうかもだし、新しい発見なんて見つけられないかもだよ?」
「その時はその時で、ボクより後に来る人の道しるべになれるでしょ? 結局、人類ってのはさ、そんな風に回り道を繰り返しながら、ここまで科学を発展させてきたんだから」
「それに」とボクは続ける。
「もしも行き止まりの道を選んじゃったとしても、どん詰まりに行き着くまではきっと楽しく歩いていけると思うんだ。結果が駄目でも過程が面白ければ、とりあえず飛び込んでみる価値はあるんじゃないかな」
「……なーるほど。そんな考え方だから、吹雪の中にも突撃しちゃうわけね?」
「うっ」
痛いところを突かれたボクが口ごもると、彼女はカラカラと笑った。
フロントのワイパがメトロノームみたいにリズムを刻んでいる。
ガラスを一枚隔てた外の世界は相変わらずの吹雪で、お先は真っ白。
それでもボクらは、今はまだ見えないさがしものを見つけるために、手探りでも歩いていくんだ。
「あれは反省してるよ、流石に」
「素直でよろしい。あんまり無鉄砲なことしちゃダメだよ」
「うん。気をつける」
「けど、ま、いーちゃんが楽しくやってるって聞けて、わたしもホッとしたかな」
彼女の言葉の距離の近さにドキリとした。
もどかしい。どうしてボクは彼女のことを思い出せないのだろう。
「……ねえ、キミとボクって」
「お、到着到着。ほら、見える? すぐそこがいーちゃんの家だよ」
シートベルトに軽い圧力。ボクが言い切る前に、軽トラックが停車した。
吹雪は続いている。けれど、サイドガラスの向こうにぼんやりと光りが見えた。
ハンドルを握ったまま運転席の彼女がボクをじっと見つめている。
アンバランスで危なっかしい頭部はぴくりとも動かない。
静止した彼女は本当に置物みたいで、生命の気配も感じられなくて、途端にジャック・オ・ランタンの灯りも無機質なものに変わってしまったようだった。
何の言葉もないけれど。
もうボクはここにいてはいけないのだと理解した。
シートベルトを外して助手席から車を降りる。
積雪は足首に届かないくらい。
振り返ってドアを閉めると、静かな雪原にやけに大きな音が響いた。
真っ暗な窓ガラスがボクの顔を映す。
車内を見通すことはもうできない。
それでも背を向けられないでいると、ため息のようにパワーウィンドが下がった。
遮断された世界の内側で、カボチャな彼女が小さく手を振るのが見えた。
「あの、送ってくれてありがとう」
「いいっていいって、お安い御用。勉強と研究、だっけ? 上手くいくといいね」
「うん、頑張ってみるよ」
「よしよし。たまにはお参りに来てよ?」
「え?」と問うよりも早く、軽トラックは発進してしまった。
そのときになってようやく、ボクは車からエンジン音がしていないことに気づいた。真っ白な軽トラックが音もなく雪の上を滑らかに走り去っていく。
「ちょっと待っ、わぷ!」
ひときわ強い風が吹いて、目もくらむような雪が顔を覆う。
咄嗟に袖で顔を拭ったけれど、たったのその一瞬で。
彼女の車はボクの視界から消えてしまっていた。
「タイヤの跡……も、無いじゃん」
お参りだって?
呆然と立ちすくみながら、ボクは呟き、そして思い出した。
※
小学生の頃、だったと思う。
近所の友達とその家族とでハロウィンのイベントをやることになった。
仮装したみんなで集まったのは、小さな小さな、辻のお社。
苔むした石造りの祠は氏神様を祀っているものだって、誰かが言ってたっけ。
氏神さまが何の神様なのか、あの頃のボクにはわかっていなかったけど。
「そうだ。あのカボチャは、確か……」
あの日、小学生のボクはジャンボ・カボチャの被り物で仮装をしていた。
両親にねだって材料を買ってもらって、どうにか自作したコスチュームだ。
凝り性だったボクは妙に熱が入っていて、完成した被り物はみんなの仮装の中でも抜群の出来栄えになっていたと思う。
辻から出発して近所を回ったボクたちは、お菓子でポケットを膨らませて、またお社のところに戻ってきた。
みんなでおしゃべりをして、そろそろ帰ろうか、ってなったとき、ボクはひとつのアイディアを思いついた。
場所を使わせてくれた神さまに、なにかお礼をしないといけない、って思ったんだ。
引率の大人から提灯のロウソクを分けてもらったボクは、祠の前にカボチャの被り物を置いて、その中にロウソクの灯火を点けた。
ジャック・オ・ランタンの橙色の優しい灯りが夜の辻を薄っすらと照らして、子どもたちの百鬼夜行が小さな影を作る。
その光景を、たった今、はっきりと思い出した。
「……あのとき、女の子の声がしたんだ」
他のみんなは何も聞こえなかった、って言ってたけど。
ボクは確かに、コロコロと笑う彼女の声を聞いたんだ。
※
車窓から見えた雪原の光は、飾り気のないドアから漏れたものだった。
雪の中にぽつんと立ったそれは、記憶の中の実家の玄関と一致していた。
ノブを捻ると、鍵は掛かっていない。
息を一つ吐いて引っ張ると、ステンレスの扉は抵抗もなくあっさりと開いた。
「ただいま」
「あら、おかえり……、って、アンタ! いったいどうしたの、それ!」
玄関に入ってすぐに、ボクは母さんと鉢合わせた。
目を丸くした母さんは、ぽかんとしながらボクの肩を指差している。
服の上に積もった雪を払いながら、ボクは首を傾げた。
「どうした、って、そりゃ、雪に降られただけだけど」
「雪ぃ? ちょっとちょっと、いつそんなのが降ったっていうの?」
「いや、いつって……」
開けっ放しの玄関から外を振り返る。
夕焼けの眩しさが目を差した。
見上げれば、空はからりとした秋晴れ。
地面は乾いていて、雪どころか雨が降った気配すらない。
さっきまでの真っ白な世界は、どこにもなかった。
母さんが背中で何事か喋っているけど、ボクはまるで聞いていなかった。
カボチャな彼女の最後の言葉が何度も頭の中をくるくると空転している。
彼女がどこにお参りに来て欲しかったのか、それはもうわかっている。
けれど、ただ祠を拝んだだけでは、彼女にもう一度会うことはきっとできないだろう。
会いたい。
覚えているよ、思い出したよ、って伝えたい。
そのためにはどうすればいいのか。
いくつものアイディアがシャボン玉のように次々と浮かんでは消えていった。
思わず、ため息。
「アンタ、本当にどうしたの? 勉強のし過ぎで疲れてんじゃない?」
「……大丈夫、平気だってば」
本当に。
世界は広くて、不思議で。
勉強も研究も経験も、まだまだ足りないのかもしれないけれど。
だからこそ、ボクの胸は躍るんだ。
「さがしものがひとつ増えたな、って。そう思っただけだよ」