青春ノスタルジー
地元の駅舎で下りたのは久しぶりだった。
短い連休をもらって帰省することになったのだ。
今年は働き方にも大きく変動があって、いきなり長期に渡る休暇をもらえたと思ったら、土日も残業をさせられるなんてことが当たり前のようにあって、僕の生活リズムは大きく乱れていた。その疲れもあってか、移動中の列車内では車窓の景色を眺めることもしないで眠ってしまっていた。
僕が下りた駅は相変わらず無人のままで自動改札機すらない。
申し訳程度に作られた待合室の中では、大口を開けて日本酒を飲んでいる老人がいた。目を合わせると焦点の合わない目つきで、「おめーはどこの子だ。見ねえ顔だな。あ?」といきり立っている。これもよくある光景だ。新宿駅の前で段ボールを敷いて始発の電車が出発するまで雑魚寝しているホームレスがいるように、田舎の無人駅では待合室を宿代わりにしている者だっているのだ。僕が無視を決め込むと、その老人は満足したようにまた酒をあおった。
公衆電話のある道を右に曲がると、ちょうど列車の走行音が重なった。線路の上を我が物顔で独走していく姿を横目で見届ける。繋ぎの部分がアコーディオンのように伸びたり縮んだりしていて、その継ぎ目が割けてしまいそうだった。
夜風が着崩したスーツを撫でまわす。
僕は首元のボタンを開けて風通りをよくした。
ネクタイを緩めて、もっとラフな格好をする。
「ふーっ。ここは変わらねえな」
そう言って地下通路を横断する。
その中は薄暗く湿っていてカエルが跳ねていた。
電灯の中には小さな虫が入っている。
駐輪場まで出ると、自転車が2台しかないかった。
僕のと、誰かの。その2つしかない。
ナンバー式のワイヤーロックを開錠していると、後ろから誰かがやって来た。
彼はスマートフォンで会話をしながら、そのまま通り過ぎる。
生ぬるい夜風に草花や近くの稲穂が揺れていた。
赤みがかった夕日が、無機質なアスファルトに哀愁を漂わせる。
僕は自転車の前かごに手提げ鞄を放った。
ハンドルの位置にあるライトのスイッチを入れる。
サドルの低い自転車を漕いでいると、昔にタイムスリップした気分になった。
見慣れた中学校が見える。僕の母校だ。
嫌なことも楽しい思い出もぎゅっと詰まってる。
かけがえのない時間をこの学び舎で過ごしてきた。
僕はどんな気持ちで入学して、登下校を繰り返し、卒業していったのか。そんなことも思い出せなくなった。あの頃のクラスメイトは母親だったり、父親だったりしている者が多くて、何も変わっていないように見える校舎だったり景色は、実はちょっとずつ変化しているのかもしれない。僕だけがその流れに取り残されているんじゃないかと思うと、少しだけ心配になった。
田んぼで挟まれた狭い道を自転車で走り抜ける。
台風が吹き荒れる日に、「自分だけは大丈夫だから」と豪語して、見事に吹っ飛ばされて運動靴を片方なくした記憶がよみがえる。あのときは底なし沼みたいに足が田んぼに埋まって大変だったな。そう思って振り返ると、馴染みのあるピンク色の小学校が夕日に照らされていた。僕が通っていた頃よりも改築されて立派になっている。
なんだかノスタルジックだ。ひどく懐かしい気分になる。
道を折れて、どんどんとペダルを漕いだ。
理髪店や保育園。見慣れた景色が今も続いている。
人々は変わらぬ生活をしている。家々に明かりがともっている。
肉じゃがの匂い、カレーライスの匂い。煮物の匂い、鍋の匂い。
何も変わっていない。
ただ、世代が変わるだけだ。
今までは子どもだった。
これからは父親になり、祖父になる。
それだけのことなのになんだか寂しい。悲しい。
理由はわからないけど、今すぐにでも泣き出したい気分になった。わんわんと子どものように泣き喚きたくなった。けれどもそうはいかない。僕は大人になったのだ。実感は何もないけど大人になったのだ。久しぶりに中学生の同級生と電話がしたくなってきた。外灯の明かりに照らされながらそう思う。
「僕は大人になれただろうか?」
友人にそう聞いてみるつもりだ。
信号待ちをしていると、イライラした。
そこは今も昔も変わっていない。