ケベルの錬金鍛冶練習
今回のお話は、感想で頂いたご意見から思い付いたものですね。
錬金術師が作業に取り組む姿勢は、神の作り出した被造物から真理に迫るといった意味を持たせて行う人も居たようです。ユングはそれを「精神的な取り組み」だと考えた訳ですね。
ある日、鍛冶場で作業をしていると──徒弟のケベル少年が、錬成台の前で何やら小さな金属の欠片に錬成を行っている。
「何をしているんだ?」
すると少年は「錬成の練習をしている」と答えた。
「なるほど、そうした練習があるというのは聞いた事がある。──だが結局のところ、あまり意味は無いだろう」
小さな金属片に錬成素材を消費して行うのだから、結局は成功しようと失敗しようと、素材は無駄になるのである。
「錬金術にはこうした考えがある。──一つ一つの作業は自分自身の魂に取り組む真剣な『仕事』なのだと」
それは神への祈りから始まり、物質と向き合って行う、真剣で神聖な取り組みなのだ。
物質に囚われている魂を解放するなどの意味を持たせて行う作業。
錬金術を通して自らの意識を変容すると考えたのは、心理学者のユングだが──その根底には、心理学で言う「投影」という考えがある。
鉱物を分解し、その中から金属を取り出すなどの作業(不純物を取り除き、純粋な金属などを取り出す行為)は──そうした物質に心的な投影を行って、自身の心理的な均衡を整える事(物質からの魂の解放)に貢献していると考えるのである。
「いいか、ケベル。錬金術師にしろ鍛冶師にしろ、練習の為の練習はしないのが基本だ。一回、一回の取り組みに真剣に向き合い、失敗したとしても──そこから学び取る事が重要なんだ。失敗の経験から学ぶ。これが成長に一番必要な作業だと俺は思う」
ケベルは「確かにそうかもしれません」と認めてくれ、一つの素材から効果を付与したい複数の対象に行う錬成の実験だけやってもいいかと尋ねてくる。
「なるほど、そうした実験は意義深いと俺も思う。まずはやってみよう。複数の内──いくつが成功し、いくつが失敗するか。そうした事からも学ぶ事が出来るだろうから」
俺は少年の取り組みについて考え、彼の失敗からどういったものが見えてくるか、錬金鍛冶師として忠告する事にした。




