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四章・五節 七榊響

「あっははははははははは! なんだいそれ。それじゃあ結局君達はまんまと監視官に出し抜かれたってわけかい。三人も魔術師ががん首を揃えておきながら、滑稽だねぇ」


 夜の帳が下りた五輪市。


 魔女が住むと噂される古臭い洋館にその笑い声は木霊していた。


 声の出所は憩いの場となる居間に設けられた三人掛けのソファ。そこは今や零れるほどの大小様々なクッションで溢れ、そこに埋もれる様にして小さな人影が腹を捩っていた。


 その人物の印象を色で表せば、白、と誰もが答えるだろう。


 ソファの中で揉みくちゃされた髪はミディアムの銀色。丈が大きく余りワンピースのようになっているワイシャツから覗く肌は、太陽を知らないように白い。下手なアイドルなら裸足で逃げ出すほど整った容姿をしているが、その瞳には常に悪戯心が滲み出している。


 一見すれば女性と勘違いしてしまうほど可憐な出で立ちであるが、騙される事なかれ。雀は初見では見事に騙された。


 男である。


 その事実を知った時、雀は脳髄に今まで味わったことのない衝撃に膝を折りかけた。その美貌を一度は羨みさえした相手がまさかの男。


 彼こそは照と同じく雀が雑居生活を送るもう一人の同居人。照が招いた協力者である。


 先程から笑っているのは、夜鷹邸での事の顛末を雀から聞き出したため。目尻に大粒の涙を溜め込み、とっくの昔に限界を迎えた横隔膜の痛みに身体を折っている。


「あ~、傑作。くふふっ」

「喧しい! 誰だって犬が監視官なんて思わないでしょうが。精々が式神か軍用犬を疑う程度だってのっ」

「救助犬なら聞いた事あるけど、セント・バーナードの軍用犬なんて知らないなあ。まあ監視官が一枚上手だったって所かな。聞いた限りじゃ、霊術の技量以上に気配の誤魔化し方が上手かった感じだね。宵波監視官が開口一番に煙草の返却要求をしたのも、意識の誘導が目的だったのかも。ああ、やっぱり僕も行きたかったよ」

「白々しい。アンタの事だからどうせ何処かから見てたんでしょう」

「ああ、バレてた?」

「アンタのそのニヤケ面は肌に纏わりつくのよ」


 酷い言い分だと、身を起こす二人目の同居人。


 クッションの山を崩しながら現れた子供と見紛う程の矮躯は、しかしバランスを崩してまた沈んでいった。その弾みでまたクッションが崩れ、床に溜まっていく。


「雀~、起こして~」

「嫌よ。子供や病人じゃあるまいし」

「今日は朝から何も食べてないし、貧血気味で怠いんだって」


 クッションの中から力なく振られる歪な腕。金属と樹脂、そして錬金術で製造された人体の模造品、義手だ。最低限の機能と形を模したそれは一頻り雀に助けを求めたが、それもやがて力尽きる。


 さながらター〇ネーター2のラストシーンの如く、これ見よがしに親指を立ててゆっくりと沈む。


「あ~、死んじゃう。このままじゃ餓死だよ」


 無視である。


 今日はこれ以上余計なストレスも疲労も願い下げである。今だって帰宅してそのまま風呂に入り、適当に食事を済ませて自室に引っ込むつもりだった。


 だというのに照にこの同居人の相手を押し付けられ、彼を招いた当人は浴室の住人となって早一時間。未だ入浴が終わる気配はない。


「雀ぇ、ねえ雀ったらぁ。せめて飲み物だけでも恵んでおくれよ」


 無視。


 滞在こそ許したものの、雀は慣れ合いも子守も御免である。


 最低限の義理だけは果たしたので、食事にしようとキッチンに脚を向ける。自炊は一人暮らしを初めて早々に投げ出したので、帰りに適当に買い込んだ冷凍食品が晩餐である。


「起こしてくれたら宵波と倉橋について僕が知ってる限りの事を教えてあげるよ」

「!」


 ソファを横切る間際に甘い声音が雀を絡め捕った。


 ほんの指先に触れるような蜘蛛の糸。引き千切ろうと思えば容易くも、僅かな逡巡の間も蜜のような甘い誘惑となって雀に伝っていく。


 本当であれば救けなど要らないであろうに。


 この同居人は強制させるのではなく、誘惑し、最後の一歩は雀自身に踏み込ませようとしている。


 今日の顔合わせで思い知った事だが、駆け引きというのは如何に相手を誘導するかだ。獲物を追い回すのではなく、罠に自ら飛び込ませる。


 その点で言えば、この同居人は尚質が悪い。


 人の感情を逆撫でるだけ逆撫で、今日の屈辱を利用しているのだから。


 クッションの隙間から覗く白い笑みが雀に義手を差し出してくる。


 監視官に付いては百瀬にでも頼めばそれなりの情報が集まるだろうが、絶対に大きな利子がつく。不必要に借りを作るのは御免だ。


「ちっ……」


 逡巡した後、雀はソファに向き直る。


 白い笑みの弧が更に弓なりに歪み、義手が雀に伸びる。


 その手を雀は切無視し──


「せいっ」


 脚でソファを豪快にひっくり返した。


 魔力で強化された脚力は小柄とはいえ人一人乗せたソファを軽々と蹴り上げ、器用に屹立させた。


 当然ながら同居人は派手に投げ出され、クッション共々床に散乱。影に隠れていた飲み物や雑誌も仲良く同じ運命である。


「はい、起こした(・・・・)わよ。これで文句ないでしょ」

「え~、乱暴だなあもう……」


 蹴り起こしたソファを叩き、したり顔で雀は床にキスする同居人に言い放つ。


 頓智にもなっていない力技の詭弁だが、主語を明文化していなかった同居人の失態である。


「さあ。アンタが知ってること洗いざらい吐いて貰うわよ、響」

「悪い顔だね。まあでも良いよ。今回は僕の負けだ」


 観念したように同居人──七榊響は身を起こし、やれやれと乱れた髪を整える。怠いのは本当なのか、適当にクッションを掻き集めると別のソファにまた寝転がる。


 響の四肢は片腕のみならず、両腕両脚に至るまでつけ根から機械仕掛けの代用品なのだ。


 一体如何なる経緯で四肢を無くしてしまったのか。理由を尋ねたことこそ無いが、その一挙手一投足は酷く緩慢だ。子供とさして変わらない矮躯には義手と義足はさぞ重い事だろう。


 外出の用事が無ければ大抵寝たきりであり、食事も一日一食が精々だ。


 稀有な美貌を有しながら、自らの重みで陸上に縛り付けられる。照は彼を指してさながら生きた標本か、あるいは羽化を奪われた蛹のようと称した。


「何だいそんなにジロジロと。僕を食べたいなら遠慮することは無い。まだ誰の唾も付けられていない新ぴ……冗談だよ。冗談だって」

「次下らない事を言ったら外に蹴り出すから」


 雀は先程の倍以上の魔力を注ぎ込んだソファから脚を退ける。


 魔弾の射手の通り名を持つ彼女だが、別段撃ち出す弾丸にはこだわりは無い。魔力であろうと人間であろうと、同じ結果であれば弾丸はどうでもいい。


 思春期真っ只中の少年少女が同じ屋根の下で暮らしながらも、ここの住人は未だに清廉潔白。要するに神崎邸はラブコメを一切受け付けていない。


 間違いが起き兼ねれば火種ごと消し飛ばすのが、家主である雀という少女だ。


 雀はクッションの下敷きになっていた未開封のバランス栄養食を拾うと、ソファを戻してどっかりと座った。


「それで? あんたは監視官について詳しいわけ?」

「ああ、そんな話だったね。監視官っていうより、その二人の家系が有名なだけさ。特に倉橋家は陰陽術の名門中の名門だし」

「初めてその名前を聞いた時にも思ったけど、倉橋ってあの土御門家の分家の倉橋?」

「だろうね。恐れ多くも平安の大陰陽師、安倍清明を祖に抱く由緒ある名家さ。血統だけで言えば、僕は愚か雀や照だって太刀打ちできない」


 随分な大物が出てきたものだと、響は愉快気に笑う。


 倉橋家。


 先に響が語ったように、その祖先は平安の大陰陽師・安倍清明にあたる。後に土御門と名を変え、魑魅魍魎が跋扈した平安の時代に安寧をもたらした人物だ。倉橋家はその分家だ。


 平安時代は陰陽寮、近代においては日本中枢で戦時の激動の時代を奔走し、影ながらその辣腕を振るってきた。


 時代こそ違えばそれこそ貴族の血筋。行き止りの技術と称される霊術であるが、彼の家系が操るそれは凡百を鎧袖一触にするという。


 その洗練された技術を求め、国内外の大物政治家が護衛に雇っているという噂もあるほど。


 アストレアに所属している事も頷けるというもの。


「分からないわね。そんな有名どころが何でヨー〇フになっているんだか」


 雀が視た限りではあるが、倉橋監視官は使い魔でも式神の類でも無かった。


 確かに人間特有の霊力が視て取れ、凡そ常人のそれとは比較にならない程に鍛え抜かれていた。


「まず間違いなく憑依能力者だろうね。他者や動物の身体に乗り移って、一時的に意のままに操る霊術さ」

「そんな事は魔術師の私だって分かってるっての。どうしてわざわざ犬で来たかって事よ。あの魔女(よたか)の恐ろしさが分からない訳でもあるまいし」


 本気で倉橋の存在を隠匿したいのであればそもそも姿を現す必要すらない。


 しかし憑依先を寄越し、雀たちの反感を買いかねない愚行を犯す意味が見当たらない。そもそも憑依能力を有するのであれば、あのような回りくどいやり取りをせずとも、やり様は幾らでもあったであろうに。


「出来なかったんでしょ」

「……どういうこと?」

「憑依能力者にはよくある事でね。別の身体に乗り移っている間に、なんらかのトラブルで自分の身体を(・・・・・・)無くしちゃう(・・・・・・)のは」

「何それ……じゃああの倉橋って──」


 一瞬、雀はその先を口にすることを躊躇った。


 言葉に詰まる雀の純心な反応を楽しむかのように、響は言葉を引き継ぐ。


「うん。多分例に漏れず倉橋って人も帰る身体を無くしたんだろうね。世にも奇妙な喋るワンちゃんはそうして生まれたんだ」


 中身は人間。器は犬。


 雀は想像しようとして、直ぐに止めた。


 当然だが彼女には憑依の経験などあるはずもなく、理解の範疇を遥かに超えている。


 なるほど。夜鷹が不覚を取るわけである。


 思い返せば倉橋は自らを監視官と名乗らなかった。そう呼んでいたのは確か涼であったはず。


 恐らく肉体を失ったことで監視官の地位を剥奪されたか、もしくは純粋な力量の低下で降格されたか。


 そもそもアストレアの仲介人である夜鷹に監視官の派遣人数が知らされていない筈がない。


 もっと言えば、アストレアの構成員として登録されているかも怪しいものだ。監視官でないならば頭数に入ることもない。


 詭弁に近い理屈だ。尊厳も何もあったものではない。


「──」


 どうしてだが、雀は無性に腹立たしい気分に襲われた。


 それがアストレアに対してなのか、倉橋の悲運に対してなのかは彼女自身でも判別がつかない。ただ一つ、それが回り回って自身に矛先が向くものである事だけは自覚した。


「さてさて。そうなると果たして犬の倉橋さんはどういう存在になるのか。中身は人、肉体は犬。彼を人間と定義するれば、人を人たらしめるのは魂とでも言うべき中身って事になるけど、どう思う雀?」

「さあね。哲学は門外漢。他を当たって頂戴。ちょうど照がお風呂から上がったみたいだし、一日の疲れを洗い落とすことにするわ。有益な情報どうも」


 何処かこちらの内情を覗き込むような響の眼から視線を切り、雀は入浴準備へ向けて早足に居間を出て行った。


 本音のところはこれ以上この話題に触れ続けたくなかった。


 それが今に至る数奇な運命を引き寄せた因果に起因し、神崎雀という魔術師の始まりを起源にすることを、彼女はまだ知らない。


 ただ一つ明らかなのは、正体不明の激情に身を任せた結果、肝心の宵波監視官については何一つ聞けなかったという事。


 風呂場でその事に思い至り、翌朝それとなく響に話を振ってもはぐらかされる始末。


 そうして残り短かった春休みも終わり、新年度。


 五輪高校に転校してきた涼による監視期間が開始された。


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