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四章・三節 顔合わせ

 夜鷹邸は典型的な日本屋敷だ。


 駅から数キロも離れれば土地を余らせる地方都市に相応しく、豪邸に分類されるこの屋敷はちょっとした旅館として運営できる程度の広さ。


 雀がまだ物心ついて間もなくの頃は、親戚の子供と庭で走り回ったほどだ。


 丘の上の洋館と違って、車さえあれば買い物にもそれほど不便はなく、キチンと手入れが行き届いた屋敷には妙な噂がささやかれる事もない。


 何も知らない他人から見れば、雀の住居はこっちだと勘違いしている者が圧倒的多数だ。実際、住居登録はこちらにしているので書類上は嘘ではないが。


 しかしながら雀が五輪に越してきてから夜鷹邸を訪れたのは、此度でわずか二回。


 親戚だからと言って気安く足を運ぶほど、雀は大叔母が得意ではなかった。


「お待ちしておりました雀殿、雨取殿。お荷物をお預かりしましょう」

「どうも……」

「私は結構よ」


 屋敷門前。道中に照と合流した雀を出迎えたのは初老の使用人だ。和服を隙なく着こなし、グレイヘアを丁寧にオールバッグに撫でつけている。


 雀は一式屋で買った菓子の袋だけを渡し、照はそもそも手荷物が殆どない。


「では昼食を用意しましたので、ご案内致します。奥様がお待ちですよ」


 踵を返し、使用人は屋敷へと雀たちを招いていく。


 無駄に長い石畳のアプローチの両脇には手入れの行き届いた竹林が背を伸ばし、等間隔に灯篭が立ち並んでいる。


 子供のころ、夜にここを通ることが無性に怖かったことを雀はよく覚えている。風で擦れる笹の音が、灯篭の頼りない明かりの下ではわけもなく不安をあおるのだ。


 鬱蒼とした原生林に囲まれる洋館と比較してしまえば、どっこいどっこいではあるが。


 アプローチを抜ければ夜鷹邸がすぐに顔を出す。


 古き良き木造建築の日本屋敷。典型的な西洋建築の洋館で一年以上過ごしたためか、玄関で靴を脱ぐという習慣にどこか違和感を覚えてしまった。


「こちらです。まずはお着替えを」


 使用人がまず案内したのは食事処ではなく、衣裳部屋であった。


 夜鷹の方針では客人を含めこの屋敷内では和装が命じられているのだ。なんでもこの屋敷そのものが一種の人払いの結果装置であり、内部の人間の服装に至るまで術式に組み込まれているらしい。


 当然それは雀たちとて例外ではない。


 せめてもの配慮か着物も帯も実に様々な柄が用意されており、手に取れば極上の肌触り。この部屋にある着物だけで家一軒が余裕で建ちそうだ。


「今時着付けができる日本人がどれだけいることやら」


 思わずそんな溜息を雀は突く。


 雀は一人で和服を着れないこともないが、あまり自信はない。他人に着替えに立ち会われるのは気が進まないが、使用人に頼るほかないだろう。


 雀が初老の使用人に振り返ると、いつの間にか彼の隣に見知らぬ少女が立っており、雀は軽く眼を剥いた。まるで気配が無かった。


「お手伝いが必要であればこの者に申し付け下さい」

「使い魔……いえ、式神かしら?」

「は? これが式神って……そんな馬鹿な」


 照にしては珍しく迷うように言葉を絞り出し、雀は疑念を抱きながらも注意深く少女に視線を走らせ、驚愕に眼を見開く。


 確かに式神だ。そうと言われなければ人間と遜色のない──いや、人間以上に人間らしい人形が其処で息づいている。


 処女雪に一滴の紅を刺したような肌と透ける血管、小振りな唇から微かに聞こえる息遣い、春のそよ風に乗る少女の甘い匂いが、雀に生命さえ感じさせる。


 一瞬、雀はこれが人工物であると認識してしまった、己の魔術師としての感覚を呪った。


「こちらは本日来訪するアストレアの使者の式神です。奥様が大変気に入られまして、本日まで貸与契約を結んでおります」

「淑艶と申します。何なりとお申し付け下さい、御嬢様」


 両手を重ね、淑艶と名乗った式神は恭しく腰を折る。


 中学生かそこいらの背格好の絶世の美少女が首を垂れるその光景に、雀は何やら倒錯的なものを覚えそうになる。


 わざわざ未成熟な少女をモデルに貞淑な性格を設定するとは、製作者は随分と良い趣味をしている。人形蒐集家の一面を持つ夜鷹が気に入りそうな式神だ。


「ねえ、あんたの使役者ってどんな奴なの?」

「神崎様より一つ年上の男性です」


 聞かなければ良かった。


 式神というのは術者との感覚共有能力を備えている事が多く、その中でも視覚共有は基礎中の基礎。


 霊術・魔術を覚えたての術者がこれを悪用して覗きや盗撮に手を出す、そんなくだらない例は枚挙に暇がない。


「ご安心下さい。今現在の私は夜鷹様に使役されている身。主との経路(パス)は繋がっておりません。特にこのお部屋は外部と遮断されているようですし」

「ああ、そうそうだったわね」

「気にするなら初めから確認するべきね」

「……うっさいわね」


 危機意識がなっていない、という衝立の向う照の正論を受け流しつつ、既に着付けが終わった雀は飴色のバレッタで髪を纏める。


 淑艶自体が着物を着用しているためか、着付けは手間取ることなく終わった。姿見に映せば藍を基調にした菊柄の着物に、鶯色の帯を合わせている。本当は動きやすい袴が良かったが、あれは最近急成長してきた胸がやたらと強調されるので、あえなく断念した。


 若干苦しい襟元を微調整していると、照の準備も整った。


 こちらはシンプルな白の紬に若葉模様の入った帯。寒がりな照はその上から少々厚手の羽織を合わせている。


 表情の乏しい照が和装すれば座敷童のような出で立ちになるかと危惧したが、唯の日本美人が衝立から姿を現して雀は拍子抜けした。


「顔に出てる、雀」

「あら。ごめんあそばせ」


 軽口もそこそこに勝手知ったる様子の淑艶に二人は夜鷹が待つ部屋へ案内される。


 ちょうど使用人が膳を運び込むところであり、雀たちを見るなり使用人は脇に控え、先を譲るように会釈する。この手の対応には未だになれない。


「大奥様。雀様と雨取様が御目見えになられました」

「──入りなさい」


 淑艶の呼び掛けに、襖の奥から低く皺枯れ、しかし厳格な声が応じる。


 襖が明けられると、三十畳は下らない大広間の上座にその人物は鎮座していた。


「壮健そうで何よりです、雀さん」


 魔女。夜鷹以上にこの言葉が似合う人物を雀は知らない。


 今年で齢七十をとうに超えるというのに、その外見は二十代のそれ。雀たちが身に着けるもと異なり、彼女が身にまとうのは簡素な白長衣。純白の衣服と対照的に、一切の光を跳ね返さない黒髪は流れる様に畳へと広がっている。骨董品の煙管を口にする唇は驚くほど瑞々しい。


 水墨画のような印象さえ抱く出で立ちの一方で、彼女の双眸に否応に無く視線が吸い寄せられる。椿色素から製作した特製のアイシャドーの赤の下で怪しい光を称える、黄昏色の瞳。


 昔から雀はあの眼が苦手であった。迂闊に直視してしまうと、全身が飴細工に変わりはて、自分も知らない奥の奥まで舐め溶かされるような気分になる。


 歴代神崎家頭首の中でも異質中の異質と呼ばれるのが、神崎夜鷹という女性だ。


「……お久しぶりです、夜鷹大叔母様。脚を悪くされたと半年ほど前に父から聞きましたが、その後の調子は如何です?」

「若い男の精気をたらふく頂いたお蔭で大分良くなりまし……嘘ですよ。貴女は仏頂面の割には直ぐに顔に出てしまう」

「冗談も人を選ぶってことです、大叔母様」

「至言ですね。ともあれ昼餉にしましょう。雨取さんも遠慮なくお座りなさい」

「お招きいただき光栄です」


 夜鷹に促され、雀たちは用意された下座へと腰を下ろす。


 使用人たちが漆塗りのお膳を直ぐに運び込み、立ち昇る香気が実に食欲をそそる。


 オリーブオイルで引き出されたニンニクと鷹の爪のエキスがよく麺に絡まっている。丁寧に下茹で処理をされたキャベツをベッドに香味野菜と炒めたキノコが添えられていた。


 つまり、ペペロンチーノである。


 お好みでとばかりにドヤ顔で添えられた卵黄とフォークが腹立たしい。


「うん、美味しそうね」


 食べたいものを好きに食べるのが夜鷹という女性。場所と食事の和洋折衷甚だしいが、家主の好意を無下にするわけにもいくまい。


 夜鷹が手を付けた事を確認して、雀と照も食事を始めた。微妙に納得いかないが美味い。


「さて、食べながらで構わないから、貴方達に付ける監視役の話をしましょう。淑艶とはもう顔を合わせましたね?」

「今日来るっていう監視官の式神でしょ」

「ええ。実際の監視がどのように行われるのか、事前に私の方で確認するって名目でしたが、手元から離すのが名残り惜しくて仕方がありません」


 幾度か使用人を通してそれとなく買取を申し出たが、全て断られたと夜鷹は肩を竦める。


 よほど気に入ったのか今も淑艶を脇に控えさせており、月でも愛でるかのように軽めの酒を注がせ、夜鷹は上機嫌だ。


「いっそ貴女達にここで住んでもらえば、向う一年は愛でられるのだけれど」

「次期当主はあの洋館に住む習わしでしょう…………は?」


 聞き捨てならない言葉に遅れて気付き、雀は間抜けな声を上げた。


「一年……一年って言いました?」

「ええ。伝えて無かったかしら」

「初耳です。何だってそんな長期間が必要なんですか!?」

「それを貴女が言うのかしら雀さん。神崎、雨取、そして例の彼。短期間でキワモノが三人も集まっていれば、妥当な脅威判定だと思いますよ。まあ、確かにここまで長期間の監視はあまり聞いたことはありませんが」


 悪びれる様子もなく、淡々と事実を語って見せる夜鷹に雀は奥歯を噛み締める。


 アストレアを招くこと自体には雀は不平を挟む立場にないが、長くとも半年程度のお目付け役が付く程度と高を括っていた。


 何しろア監視官といえばアストレアの最高戦力。たかだか地方都市の田舎魔術師相手に其処までの時間を割く事など、普通は有り得ない。


「監視期間の長さは雨取さん、貴女にも大きな要因がありますよ。なんでも、貴女が雨取家の養子に迎え入れられる以前の足取りが、彼等をしても全く辿れないと」

「政府公認っといっても、その実大したことは無いという証左でしょう」

「あら、御上手」


 夜鷹の探りを照はさらりと受け流し、くるくるとフォークにパスタを巻き付けている。


 普段であればその胆力に頼もしさを覚える所だが、今は文句の一つでも言えと、雀は小さく舌を打った。


 それも束の間。


 照は夜鷹の賛美を聞き流し、尤もらしい言い訳を隠れ蓑にした、一年の長期監視に至った事情に斬り込んで見せる。


「寧ろ神崎家の“鏡海”の真偽を探るために、アストレアはそれらしい口実で一年の長期監視を決定したのではなくて?」

「どうでしょうね。私はあちらの申請を神崎家頭首として了承しただけですので、アストレアの事情には踏み入っていない。ただ、私としてはこれ以上何処の馬の骨とも分からない輩が庭をうろつくのは我慢ならなくてね。躾の行き届いた番犬なら、多少の我が儘を許容する余裕はあるよ」

「鼻が良すぎてうっかりこの地の財宝を嗅ぎ当てないように気を配らないといけませんね」

「御上手」

「痛み入ります」


 口調こそ穏やかであるが談笑とは程遠く、夜鷹も照もその眼は一切笑っていない。


 両者ともに一級の魔術師。両者の恐ろしさを身をもって知る雀は背筋に大量の冷や汗が浮かぶ。


 一年間という長期監視は予想外であるが、なんにせよ雀たちに拒否権は無いらしい。無理に跳ね退ければ夜鷹に盾突く事と同義。全て身から出た錆である以上は、大人しく受け入れる他に選択肢はない。


 先に概要を聞かされた夜鷹の話によれば、別段法に抵触しなければアストレアが雀たちに干渉してくる事は無いという。不平不満がない訳ではないが、それを口にしたところで状況は動かない。


 夜鷹自身も立ち位置を変える気は無いらしく、これから訪れる監視官と雀たちの動向を見守る事に徹するという。


 味なんてもう全く感じられないペペロンチーノを口に押し込んで、雀は無理矢理食事を終わらせた。


 その後は準備に追われている内に約束の時間を迎えた。


「監視官が御目見えになられました」


 会合の間で待つ雀たちに使用人が告げる。


 その報告からそう時間を置かずに、使用人に案内された監視官が襖の向うに到着した。


「大奥様」

「お入り頂いて」


 襖が開けられると、そこに座して控える若者に雀の表情が険しくなる。


 この屋敷のルールに反した洋装。鼻に付く派手な服装ではないが、黒で統一されたシャツとスラックスに使い古したロングコートを合わせている。手袋を着用し、首筋から上以外一切肌を露出しない閉塞感すら覚える服装。


 何より眼を引くのが長い髪を結う真紅のリボン。


 セントバーナードを連れたその若者は、先刻雀が泥水を浴びせかけた一学年上の先輩であった。


「御機嫌よう神崎夫人。このような場を設けて頂き、有難う御座います」

「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。こちらの生活には慣れましたか?」

「引っ越しから初めてでしたので、恥ずかしながら色々と手間取っております」

「お若いのに大変ですね。どうぞ此方にお座りください」


 夜鷹に薦められ、若者は雀と照と相対する位置に腰下ろす。


 徹底した教育が成されているためか、キッチリと膝を合わせて正座する様子は、洋装にも関わらず不思議と畳張りのこの部屋に馴染んでいる様に見える。


 しかしそんな事は雀にはどうでもよく。


「……アンタが監視官?」

「残念ながらな。はじめまして、監視官の宵波涼だ。早速だが煙草を返してくれ、神崎」


 初めて交わされた会話。雀はにべもなくNOを突き返し、監視官から深い溜息が零れた。


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