四章・二節 花より紫煙
「雀さん、貴女達に監視官を付けます」
約半月前。神崎雀は大叔母である神崎夜鷹に一方的にそう告げられた。
夜鷹は神崎家の現当主だ。現在は半ば現役を引退しているものの、次期当主である雀のお目付け役として五輪市に住居を構えている。
試練と課題は与えても放任が神崎家の基本方針。夜鷹は魔術の基礎を雀に叩き込んだものの、五輪の管理者としての立ち振る舞いに大きく口を出してきたことはこれまで無かった。
そこに雀は何ら不満も不平も抱いていない。むしろそっちの方が色々と気楽だとさえ思っていた。
冬に口煩い同居人が増えてしまったが、無駄に広い屋敷では顔を合わせない日もザラである。
土地の管理者としての責務さえ除けばここでの生活は自由を謳歌できる理想の生活。
その理想郷もあと数日足らずで閉園に追い込まれるとなり、一人暮らしに華やいだ去年の春とは雲泥の差だ。
「あーもう監視官とか……随分窮屈な役者を送り込んで来たもんね」
夜鷹邸への道すがら、雀は思わず毒づいてしまう。
今まで他家との交流はおろか、組織との接触すら拒んで来たのが神崎家という魔術師の系譜だ。夜鷹は特にその傾向が強く、こと魔術絡みの案件であれば親族の介入すら許すことは無かった。
よく言えば厳格。悪く言えば閉鎖的といったところだろう。
魔術師であれば特段珍しいことではないが、一体どういう心境の変化なのか。
「ああ……いやいや、原因なんて明白か」
思い起こすのは二つ年下の同居人の顔──雨取照だ。
昨年末、突如五輪市に来訪した照との殺し合いの果てに、雀は王陵女学院周辺の霊地の利権を照に譲渡している。
代々神崎が管理してきた土地を雀の一存で切り分けるという暴挙。
それに留まらず現在は照が招いた協力者を屋敷に滞在させており、余罪は着々と積み上がっている。
この前代未聞の事態に親族一同は怒り心頭。反省する素振りもない雀はあわや殺される寸前であった。
結果として夜鷹の鶴の一声で雀は命を繋ぎ、処分は追って検討されることに落ち着いた。
てっきり雀は次期当主の立場を剥奪されるものとばかり思っていた。魔術師を辞めるつもりは無かったが、当主という面倒事から外れるならばそれはそれで大歓迎。
しかしその期待──やはり反省は無い──は裏切られ、雀は次期当主の立場に留められるばかりか、照に対しての制裁も一切無し。
さて一体どういう腹積もりなのかと首を捻っていた所に、先程の通告。
──政府公認執行機関アストレア、その監視官を四月から付けるという。
本日は派遣される監視官との顔合わせの日となっている。
夜鷹宅で夕方から会合予定が組まれており、監視についての詳細はそこで聞かされるらしい。
現時刻はまだ昼前だが、雀と照は早めに現地入りし準備せよと厳命されている。
制服姿のまま雀は帰路から大きく外れ、夜鷹邸へと向かっていた。
途中、小川沿いの老舗茶屋・一式屋で予約していた茶葉と和菓子を受け取りに寄る。
竹林を背負ったここは時代劇さながらの景観であり、今の時期は川沿いの桜との取り合わせでいっそう深みが増している。日が落ちればここで夜桜を楽しむ常連も多い。
団子や茶の味は勿論のこと、値段も手ごろであり、地元の学生や年輩にまで幅広く親しまれるこの店は雀も気に入っている。
夜鷹が指定した時間までまだ随分時間がある。どうせなら少し食べて行こうかと期間限定の桜餅か、王道のみたらし団子か決めかねている時だった。
鼻に染みるような臭気に雀の眉間が歪んだ。
臭いの元を辿れば、他の席とは大きく離されて竹林に埋もれる様にして設けられた席が一つ。喫煙席だ。
そこに一人、大型犬を連れて茶も団子にも手を付けずに紙煙草を口にする若者がいた。
日除けに設置された和傘に隠れて表情は見てとれないが、長く伸ばした髪を眼も覚めるような赤いリボンで結っている。温かくなって随分経つというのにロングコートを着込み、手袋まで着用して徹底的に露出を嫌った出で立ち。
だがそんなものはどうでも良かった。
雀の視線の先は若者の手元に置かれたマチ付き封筒、その口から書類と共にはみ出た生徒手帳。
学生だ。しかもデザインと学年カラーを見るに五輪高校の三年生。
雀の双眸が攻撃的な色を帯びる。
遠目からでも分かる落ち着いた雰囲気で店員は誤魔化されてしまったようだが、よく見ればコートの下は制服だ。
コソコソ隠れずに煙を堪能する度胸は認めようが、堂々たる未成年喫煙を見逃す甘さを雀は持ち合わせていない。
「おばちゃん、バケツ借りるね」
返事を聞かずに雀は窓拭きに使っていたバケツを引っ掴むと、大股で喫煙席に近づいていく。
勘のいい犬は雀を一目見た瞬間その場を離れ、飼い主を見捨てた。
「どうしたんですか、倉は──ん?」
ペットに気を取られた青年は近づく雀に気付くのに一瞬遅れた。
若者が不穏な気配に振りむき、和傘の影から顔を覗かせる、正にその瞬間。
「天誅!」
一切の躊躇なく、雀はバケツの汚水を勢いよくぶっかけた。
完璧なフォーム、完璧な踏み込み、そして完璧な振り抜き。
バケツから放たれた汚水は浴びせるというよりも、叩き付けると言った表現が相応しく、顔面を打つ快音を響かせた。
避ける暇などあるはずもなく。濡れ鼠のような有様になり、べっとりと髪を顔に張り付かせた若者は何が起きたのか分からず唖然としている。
青ざめる店員を他所に雀は毅然として若者を睨みつけた。
「煙草より花と団子の味を覚えろッ」
本来であれば名前を確認して学校に報告する所だが、学校にとんぼ返りするほどの時間はない。
若気の至りという今回はこれで黙認することにする。
無論文句の一つでもあれば雀は受けて立つ所存であるが、青年はまだ状況を飲み込めていないのか方針したままだ。
「一応、これは没収しておくから。文句があるなら月曜に生徒会室に来るように。相手になるから」
二年の神崎雀だと一方的に名乗り、雀は難を逃れた煙草の箱を没収し、踵を返す。
もう食事を摂る気分ではない。予約した和菓子だけ受け取り、そのまま夜鷹の自宅へ向かうことにする。
「いい機会だ。呪詛の充填器を煙草にすんのは止めとけ」
「……悪い遊びは大抵貴方に仕込まれましたが」
「忘れたな。そんな昔のこと」
「無責任な……はあ、財布までやられてしまった。多分ここはクレジットは駄目だろうし……」
「皿洗いでもしてけ」
店を出る時、そんな会話が喫煙席の方から聞こえて来た。
鼻を鳴らして雀は長い黒髪を翻して一式屋を後にする。
苛立ちを隠そうともせず、自然と歩調が早まる。
小川沿いから外れ、夜鷹の家まであと数分足らずといった所で、頭に昇っていた血もようやく引いてきた。
学校が始まったのならあの生徒は要注意しておかなければ。慣れた様子だったことから日常的に喫煙をしているに違いない。
「まったく……春ってのはどうして虫だけじゃなくてああいう馬鹿も出るんだか。こりゃ始業式と入学式の時に学校側からも注意喚起してもらわないとダメね」
同じ学年である百瀬に眼を光らせてもらいたいものだが、彼は彼で何かとやんちゃな所がある。上手く他の生徒会メンバーと連携して、眼を光らせておかなければなるまい。
そんな事を考えていると、ふとした疑問が浮上した。
「そう言えばアイツ、誰と話してたんだろ……?」
喫煙席にいたのは彼一人だけだったはず。しかし一式屋の店員を相手にしている様子ではなかった。
頭に血が上っていた上に、距離を開いていたために会話の内容は聞き取れなかったが、確かに声は二つあったはずだ。
しばらく首を傾げた雀は「まあいいか。あんなの事は考えたくないし」と疑問を切り捨てる。
この辺りが照から度々思慮足らずと詰られる雀の未熟な面であろう。
没収した煙草をよくよく精査すれば、充填される規格外の呪詛に気付けたはずだ。そうなれば自然とあの若者が何者であるかも辿り着くというもの。
しかしそうとは知らず、雀は道すがらのコンビニのゴミ箱に煙草を捨て去った。
清々したと、幾分気分が空いた彼女は知る由もない。
あるいはこの時にもっと違う出会いであれば、この先に待ち受ける事件も違う運命を辿っていたかも知れない事を。




