間章二・六節 決着
照とサディの模擬戦は佳境に突入していた。
形勢はやはりサディに大きく傾いている。
薄暗い林の中を照は鏡魔術を駆使し逃げ回り、それをサディが片っ端から蹴散らしていく構図だ。
「ちっ……ちょこまかと! 少し目を離せば分身だらけだ」
苛立たし気にサディは何体目とも知れない照の虚像を切り裂く。
戦況はサディが圧倒的に有利なのは間違いないが、しかしサディは照をあと一歩で捉え切れない。
周囲を見渡せば五人の照がバラバラに走り去って行くところだ。
またか、とサディは激しく舌打ちをする。
照は鏡魔術によって作り上げた虚像の分身でサディを攪乱していた。
分身は照自身を立体映像のように投影した虚像だ。魔力こそ伴っているものの分身に実体はない。
ただし照は呼吸音や靴音まで分身に反映している為に、魔法少女となったサディでも瞬時に本体を判別できない。
幻惑除けの術式を使うことも考えたが、それも照相手では効果は薄いだろう。
照は木の影に隠れた一瞬や、サディが他の分身に視線が移った瞬間に五、六体の分身を放つのだ。
その都度サディは電光石火の如く瞬発力で分身を潰すが、気付けばまた照が増えている。
拉致が明かない。
「屋敷から吹き飛ばしたのは失敗だったな」
魔術師の根城というのは絡繰り屋敷の様なもの。
罠を警戒したサディは接近戦に有無を言わせようと外へと照を追い出したが、裏目に出た。
このままでは鼬ごっこだ。
馬鹿正直に分身を相手にしていては照の思うつぼ。
(変身時間も残り少ない……一気に決める!)
即断即決。
サディはスカートの裏側からドロップ缶を掴みだすと、中身の飴玉を一粒噛み砕く。
飴玉に加工された即効性の強化薬。
バクンと心臓が跳ね上がり、サディは身体が膨張したような錯覚に陥る。
血流が急加速し、体温が跳ね上がり、噴き出した汗が瞬く間に蒸発しサディが白煙に隠れる。
「なに……!?」
火山噴火の如き霊力の増大に照の脚が止まる。
五人分の照が見たのはサディの第二段階変身。
魔法少女の衣装へと共に疑似形成される獣人の経絡系が唸りを上げ、白煙の向うで複雑な術式を青白く浮かび上がらせている。
サディは堪らず苦痛に膝を着いた。
通常の変身でさえ身体の負荷は途方もないものだ。
サディが摂取した強化薬はその身に宿した獣人の霊基を、更に深めるもの。
一歩間違えば霊力の暴走で自滅しかねない危険な状態。
莫大な力で暴れ回る獣性を、しかしサディは無理矢理その身に押し留め、我が身の血肉へと昇華させる。
涼も知らぬ魔法少女の第二段階変身。
類稀なる変身術式への適性と、常人が及びもつかない不断の努力によって開かれた、サディのみに許された領域。
両手両足で地面を蹴ったサディが木々を飛び越え、遥か頭上へと躍り出る。
照が、雀が、そして涼が一斉に天を仰ぐ。
白煙で霞むサディの身体に遅れて伸び上がって来た光の帯が絡みついていく。
現れる、まだ見ぬ魔法少女が。
──そして、涼たち三人は絶句した。
「サディ☆マギカ、獣神モードだニャアッ!」
煌びやかなライトエフェクトを散らし、魔女の箒のように浮遊するハルバードの上で、サディは昭和仮面〇イダーの様なポーズを決めた。
衣装はフリルの量が減り、ボディラインを浮き彫りにするタイトなものに変化している。
代わりに身体に留めきれない目に見える程の濃密な霊力が揺らぎたち、それ自体が一種の衣と化している。
だが照たちが驚愕を露わにしたのは衣装でも、ましてや魔族に比肩しようプレッシャーでもなく。
サディの頭上に屹立する二つの三角形、そして臀部より伸びる細長いシルエットであった。
生えている。
いわゆる、猫耳と尻尾!
「なんて捻りのない……」
査定を忘却し、涼は身内の恥さらしに真赤に顔を伏せた。
雀は何も言わずに涼の肩を叩き、照は師匠と仰がれる涼に同情を覚えた。
魔法少女+猫耳尻尾という組み合わせは現代では珍しい部類ではないだろう。
裏を返せば俗物的とも捉えられるわけであり。
式神職人としての一面を有する涼からすれば、サディ本人の魅力を押し出さず、魔法少女+猫耳尻尾という可愛いの力技は受け入れがたい。
というか普通に恥ずかしい。
なまじ調律に携わっただけに《涼の趣味》とも捉えられかねないのだ。
涼がサディの弟子入りを断る理由の一つである。
「ふふん、驚いてる驚いてる。とっておきの超必殺モードだけど、その新鮮なリアクションを見られただけでご満悦だニャン」
そんな涼の心境を知ってか知らずか、サディは満足げである。
浮足立つ彼女の内心を表すように猫耳がぴくぴく動き、尻尾はぶんぶん左右に振れる。
「なんて余裕こいてる暇はないんだよニャア。獣神モードは兎に角キツイし、時間も短い。その代わり──今のアタシは野性味が強いぜ」
スウ、とサディの瞳孔が縦に狭まる。猫科特有のスリット状の瞳孔だ。
ハルバードに諸手を突き、腰を高く浮かせた構えを取ると、サディから浮かれた表情が削ぎ落される。
途端、サディから放たれるプレッシャーが重くなる。
「──ッ!」
その敵意を一身に受ける照は巨人に両肩を抑えつけられている様な錯覚に襲われた。
外見に惑わされがちであるが、魔法少女の基幹となっているのは獣人の模倣術式。
獣神モードは安全措置である術式の封印機構を解除し、身体への負荷と引き換えに術式本来の真価を発揮する形態。
それ即ち、真に迫る事を意味する。
典型的な魔術師である照にとっては天敵である、天性の肉体であらゆる術式を捻じ伏せる肉弾戦最強の魔族、獣人へと。
照は慌てて防御術式を組み上げようとするも、あまりにも遅い。
「行くぞ」
次の瞬間、大気に大穴が穿たれた。
サディの唯の踏み込み、しかし馬鹿げた膂力は空気をも踏み締め、大気にすり鉢状の足跡を残した。
その場に居合わせた誰もがサディの姿を追う事さえ叶わない。
全てはまさしく一瞬であった。
照の四体の分身の内、一体はサディの着弾で蒸発、付近の二体の分身もその余波で消し飛んだ。
更にサディの霊力が一帯を放射された事で、磁気嵐を浴びた電子機器が故障するように、残る一体の分身も崩壊した。
あとに残るは剥き出しの照一人。
人を超えた領域に立つサディはあらゆる事象がノロく見え、研ぎ澄まされた五感は舞い上がる土砂の小石、散った木の葉の挙動の全てが手に取るように分かる。
獣神モードとなったサディは生きる時間さえ違うと言えよう。
そのゆったりとした時間の中で、サディは確かに照と眼が合った。
照の眼には焦燥はあっても、諦観も、恐怖さえ微塵も存在せず。
交戦に些かの迷いもない。
歯を剥き出しにして笑ったサディは一瞬で距離を詰めると、ハルバードとは逆の手で、照の腹をそっと撫でた。
それだけで照の矮躯は吹き飛ぶ。
「……ッ!?」
何が起きたのか照は理解が追いつかなかった。
彼女の主観ではサディの姿が消えた途端、途方もない衝撃に襲われたのだ。
吹き飛ばされたのだと理解したのは、何十メートルと転がり木に叩き付けられた後だった。
息苦しさを覚えたと同時に激しく咳き込むと、ドロッとした血が吐き出された。
身体中が痛み、特に腹の辺りは身動ぎ一つで激痛が奔った。立つどころか、身を起こすことさえ出来そうにない。
服に忍ばせていた身代わりの鏡も残らず砕けた。
「悪りぃ悪りぃ。かなり手加減したつもりだったんだけど、やり過ぎたみたいだニャア」
照が苦痛に耐えながら顔を上げると、直ぐ傍に手を合わせるサディが立っていた。
ただし片腕はハルバードを油断なく照に付きつけており、尻尾を代用した変則的なもの。
「……乱、暴ね」
「獣神モードは制御が難しいんだニャア。ちょっとでも気を抜くと霊力が暴走して自滅しかねないニャン。それで、まだやるかニャア?」
「……どうせなら、最後まで師匠……宵波君に能力を示すのも……いいと思うけれど?」
仰向けになり、多少気分がマシになった照は細い声でそういう。
ふと、何十倍にも強化されたサディの嗅覚が煙草の匂いにひくつく。
匂いに導かれ顔を上げれば、少し離れた木の上に涼を見付けた。
自然とサディは胸が躍るようだった。
涼は此度の模擬戦の査定役だ。
彼の監視対象である照を圧倒した様子はしっかりと記録されていた事だろう。
強くなった自信はあった。
そしてそれを証明できた。
もしかすれば、今度こそ弟子入りを認めてくれるかもしれない。
「ふふん。じゃあ、悪いけどチェックメイトだニャ」
サディは手錠を取り出し、照の傍らへと屈む。
この模擬戦は実戦を想定している以上、ルールに基づいた決着は存在しない。
相手を無力化、もしくはどちらかの降伏で勝敗が決する。
サディが持つ手錠は霊力・魔力問わず封じ込める呪具だ。現場でも使用される代物であり、輪の内側には微細な棘が並び、神経を狂わせる麻痺毒が塗られている。
過剰な演出かも知れないと思いつつも、サディは照の手首へ手錠を──
「出来ればこれは使いたく無かったわ」
か細い照の声に、サディの手が止まる。
盛り上がりに水を差されたようで、サディはやや不機嫌になる。
「今更出し惜しみか? あんまりダサい真似はしないでほしいニャ」
監視官である涼が当てられただけあって、照の魔術師としての技量はサディの遥か高みにあった。今回は偶々相性がよく、命のやり取りにまで至らなかったからこその結果。
短い戦いではあったがサディは照に尊敬の念をさえ抱いていた。
「……耳が痛いわ、ね。貴女の強さは……想定外だったもの。でも貴女、詰めが甘いわ」
「あ?」
客観的に見ても追い詰められているのは照の方だ。
あと数十秒で変身も解けるとはいえ、サディは未だ獣神モード。
どう考えても逆転の芽は無いと、サディは疑わなかった。
──故に、決定的な隙に気付けなかった。
吐血で汚れた口で小さく、しかしハッキリと照は口にした。
「──変身」
「なにぃ!?」
反射的に距離を取ったサディの眼前で慣れ親しんだ術式が展開されていく。
光に覆われた照の裸体へ銀色の帯が巻きついていく、その光景。
間違いなく、位相幾何侵食式多重身体強化術式──魔法少女への変身術式。
馬鹿な。あの術式はアストレア独自のもの。照が知るはずがない。
ありえないと首を振りながらも、サディは思い至る。
鏡魔術だ。
鏡が眼の前の物を正確に映し出すように、照はこの短い戦闘の中で変身術式を分析・解析し、更には式をサディから自らに投影したのではないか。
その可能性に至り、サディは焦燥に駆られた。
もう獣神モードは解除間近。変身が解けても動けなくなることは無いが、動きは格段に鈍る。焦って距離を置いたのは完全に失敗だ。
焦りが焦りを生み、平静を欠いたことで視野が狭まる。
そして、あっけなくそれはサディの首に突き立てられた。
「え?」
間抜けな声が漏れる。
背後より首筋に打ち込まれたのはか細い注射針。
手にするのは照であった。
「詰めが甘いわ」
「な、……ん、で」
即効性の麻酔か何かを打ち込まれ、サディは急速に意識が遠のいていく。
倒れながら、サディの頭の中では「何故?」が羅列されていく。
照は魔法少女へ変身していなかった。
衝撃波でズタズタになった服装のまま、なんとか立っているだけ。
つまり先の変身はまたもや鏡魔術による映像。
しかしサディは確実に照を追い詰めていた。魔術を行使する隙など無かった筈。
「あ……」
意識が途切れる間際、また間抜けな声が漏れた。
倒れ、閉じ逝く視界の中で、横倒しになった涼が呆れたように肩を竦めていた。
そして僅か数十秒前の照の言葉を思い出す。
──どうせなら、最後まで師匠宵波君に能力を示すのもいいと思うけれど?
あの時だ。
サディは照の誘導にまんまと引っ掛かり、照から視線を切ってしまった。
一瞬の隙を突いて照は身体強化の術式で身を隠し、更には変身の派手な演出でサディの狼狽を誘ったのだ。
術師としての技量よりも、涼への尊敬の念をも利用し切った照の駆け引きに軍配が上がった形だろう。
詰めが甘い。
その通りだ。
「まいった、にゃあ……」
完全に麻酔が回り、サディの意識は落ちた。




