間章二・二節 涼からの依頼
それは宵波涼が神崎雀、雨取照の監視任務終了を約二ヶ月後に控えた二月初旬。
バレンタインデーが間近になり、日本全国が最もカカオの香りに満たされている中、涼たちに小さな嵐が迫りつつあった。
その日、王陵女学院が創設記念日で休日であった照は涼の夕飯の買い出しに同伴していた。
「模擬戦?」
「ああ。アストレアの攻城官適性査定、その試験科目の内の模擬戦闘で候補生の相手を君と神崎にしてもらいたい。引き受けてくれるか?」
野菜コーナーでかぼちゃを吟味する涼から切り出された提案に、照は西洋人形の様な端正な顔を控えめながら面倒臭げに歪める。
ここ一年近く少なくない艱難辛苦を共にし、三人の間柄はただ監視官と魔術師のそれから友人と呼ぶに相応しいものになりつつある。
だがあからさまな面倒事を安請け合いする義理はやはり照には無い。
「それは貴方じゃ問題なのかしら?」
遠回しの拒否に対し、涼は色艶のよいかぼちゃを選ぶと、カートを押しながら事情を説明する。
「模擬戦闘は毎年外部の人間に外注しているものでな。候補生の実力を正確に測る為に、なるべく実戦に近い形式で執り行うようにしている。その為には上下関係や憧憬、畏敬、先入観の類は極力排したい」
「それなら私や雀じゃなくともいいのではなくて? 協力機関からもっと適任の術師がいると思うけれど」
アストレアは自衛隊と警察に次ぐ第三の国家組織でもある。
術師を中心に構成され、秘匿性の高い任務で裏社会から治安維持に貢献しているが、警察や自衛隊とのコネクションも細いながら当然ある。
照のような個人で魔術師を営む小娘にわざわざ依頼する理由が、彼女には思い至らなかったのだ。
「言っただろ、実戦に近づけたいと。例えば今の君みたいに疎まし気に……いや、いっそ殺すぐらいの気概で相手して貰えるのが丁度いい。どうあれ絶対に手心を加えない相手というのは、中々いるもんではない。その点君たちは申し分ないと、俺が上に推挙したというわけだ」
「……そう」
確かに照も雀も社交辞令とは無縁の性格だ。
仮に大金を積まれようとも、わざと負けてやる事など彼女達のプライドが許さない。戦いとなれば容赦なく相手を叩きのめす自信がある。
雀に至っては負かした相手の上でほくそ笑む画が眼に浮かぶようだ。
ただやはり照は気乗りしない。
監視期間でばれているとはいえ、他者に己が手の内を曝すなど愚行もいいところだ。
そしてなにより、面倒である。大変に面倒だ。ぶっちゃけ話を聞いた時点でやる気がない。
そもそもの話。照から見ても、涼は例え後輩だからといって手を抜く様な男ではない。
組織のしがらみは確かに問題だが、変装や認識阻害の術式など手は幾らでもある。
その事を指摘すると──
「俺ならまず候補生らの移動中を奇襲する。というより、以前人手不足で俺が模擬戦を引き受けた時に、実際にそれをやって瞬殺したもんだから、俺は模擬戦への参加を禁じられている」
という身も蓋もない事情を明かされた。
流石の照も当時の候補生には同情を覚えた。
限りなく実戦に近い形式というだけあって、よーいドンで始める戦闘など涼には眼中に無かったのだろう。
果し合いでも無ければ戦いというのは突発的だ。
そういった意味では涼は正しいのだろうが、最低限の形式が無くては査定にすらならないだろう。
生活を共にしていると照も忘れがちになるが、宵波涼という青年は凄腕の戦闘員なのだ。
主婦に混じって買い物している姿からは想像しづらいが、いざ銃を握れば命の奪い合いに些かの躊躇いも見せないプロそのもの。
その彼が今回の案件を照に持ち出したのだから、安易な思い付きではなく吟味と熟考を重ねての事だろう。
悪い気はしない。
しないが、妙な違和感を照は覚えていた。
……いや、違和感程度ではない。
「ところで宵波君」
「なんだ?」
「つかぬことを聞くけれど、貴方が請け負うその候補生はお弟子さんかしら?」
「なぜそう思う?」
「だって貴方──」
一度言葉を切って、照はカートの買い物かごに視線を向ける。
話の間に店内をほぼ一周し終えかけ、後はレジに並ぶだけとなった買い物かごは、山盛りとなっていた。
「貴方、とっても浮かれている様に見えるけど?」
冗談の様に高く積まれた食品の山に周りの客たちも唖然としている。身長180cmを超える涼さえ上回る食料品は、無論全て涼が積んだものだ。
どう考えても照たち三人分で消費し切れる量ではない。普段の彼であればきちんとメニューと消費量、賞味期限まで計算したうえで買い物するのに。
見れば普段は滅多に買って来ないスナック菓子やジュースまで入っているではないか。
そもそも普段の彼なら模擬戦の様な話はもっと腰を落ち着かせられる場で切り出してきたはずだ。
表情こそ普段と変わりないが、目に見えて浮かれている。
「むう……やはり分るものか」
丸わかりである。
「実は俺が請け負うことになる候補生は俺の義理の弟と妹でな。ちょうど君と同い年だ。久々に会うと思うと、自然とな、うん」
「連絡はとってないの?」
「まあ、なんというか……俺は彼等が一番甘えたがりな時期に宵波家の養子となったからな。少し……ほんの少し上手くいっていないというか……」
全然上手くいってい無いようだ。
「だが一年近く会っていない二人の成長を眼に出来ると思うと、何だか心がふわふわする。フフフ、男子三日会わざれば括目して見よとはいうが、陸奥も伊予もきっと見違えるようになっているに違いない。伊予は女だが」
「そう……」
一方的に溺愛しているのか、そう涼はポーカーフェイスを崩して嬉しそうに語る。
無防備に涼がこうして感情を表に出した事は、少なくとも照の記憶にはない。
まだ引き受けたわけではないが、こうも嬉しそうな顔をされては無下には出来ないではないか。
丸め込まれた気分だが、仕方がない。
「……はあ。いいわ、さっきの話、あとで詳しく聞かせて頂戴」
「! 引き受けてくれるか?」
ぱあと涼の表情に花が咲く。
「……女たらし」
「何か言ったか?」
「いいえ、何でも。報酬は出るのでしょう?」
「無論だ」
「ならいいわ」
この分では雀も簡単に落とされそうである。
可能な限り手の内を明かさないように、照は事前準備のスケジュールをざっと頭の中で組み上げていく。
やるとなれば術師としてプライドがある。
最近は外来術師との戦闘もサッパリだったので、術戦の勘を鈍らせない為にもいい機会でもあるだろう。
弟と妹君達には悪いが、サンドバッグ代わりになって貰おう。
「よし。ではもう一軒買い物に行こう」
「……まだ買うの?」
やっぱり貴方、浮かれているのね。
その日は結局五軒のもスーパーを巡る羽目になった。
弟たちとは上手くいっていないと言っていたが、今からこんな温度差があって大丈夫であろうか。
照の一抹の不安は的中する事となる。
何やかんやで雀もほだされ、迎えた模擬戦当日。
攻城官候補生、宵波陸奥と同じく宵波伊予の双子は──バックレた。




