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三章・二十一節 両儀至る常磐津

 光の津波に呑まれたことは、涼は覚えている。


 昼間に雀が冗談交じりに口にしたタイタニックの再演を本気で疑ってしまう程の衝撃が重なり、次いで腹を貫いた剣の様なものから流れ込む霊力が引き起こした激痛に、一転して意識は闇に引き摺り込まれてしまった。


 烙蛹魔術で受けた影に内臓を侵された痛みに匹敵するものであり、何の防護策も要していなかった故に体感としてはそれ以上だったかも知れない。意識を一瞬で刈り取られたのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。


 意識が引き戻された自分が落下中であると認識し、涼はそれなりに困惑した。状況に戸惑っているのではなく、生きている自分にだ。


 義手は両腕とも失われ、脇腹が噛み砕かれたようにごっそりと消えていた。脇腹の欠損は一部背骨にまで達しているのか、脚の感覚も碌にない。血を失い過ぎた身体は凍えそうなほど寒く、視線一つ動かす事さえ叶いそうにない。


 意識が細切れになっていく。快楽にさえ及ぶ闇色の重力に包み込まれ、宵波涼という個体が分解されていく。


 残念ながらこの感覚は幾度か覚えがある。そして死線をさまよう時はある日突然押し付けられた因果と対峙することになる。


 ──いつも決まって現れる闇に群生する彼岸花と、紅い華に似つかわしい百合のような女性。


 白い着物と濡羽色の黒髪。何気ない嫋やかな仕草から匂い立つ淑やかさ。老若男女が一度は理想として思い描くであろう女性像がそこにはあった。


 普段から涼が引き連れ、しかし彼以外に真に彼女と対峙する事は無い式神の女性。


 彼岸花に根を張られたように紅い紋様が裾から這い上がる女性の手には手折った彼岸花。ズズズっと赤い紋様が広がりを見せ、どこか虚ろだった女性に生気が増す。


「──、──、──」


 穏やかな笑みを浮かべ、何か言葉を紡ぐもその声は涼の鼓膜を震わせない。一度として涼は女性の声を耳にしたことが無いのだ。女性自身思う所があるのか、柔和な笑みに残念そうに影を落とす。


 初めて対峙した時から変わらないやり取り。女性が手にする彼岸花が萎れて跡形もなくなる頃には、無理矢理生かされた涼の意識が現実へと帰る。一度は殺しきったはずの“赤服”の呪詛をより深く涼へと根付かせて。


 それでも今回だけは些か勝手が違った。


 紛い物とはいえ権能……天使の力で撃ち抜かれた代償は大きかった。肉体の修復速度の問題ではなく、宵波涼の命は此処で終わりと、そう定義されてしまったのだ。ちっぽけな人間一人が世界そのものである権能に抗うというのは無理があるというもの。


 薄れていく自我を自覚しながら、恐怖はそこまで覚えなかった。任務で命を落とした仲間は顔見知りだけに限っても両手の指では足りず、自分もそこに名前を連ねるというだけだ。


 いつの間にか涼は倒れ伏しており、いつかに葬った故人たちと同じ様に彼岸花を見上げる。膝を貸してくる女性のひんやりとした腿の感触すら遠い。手に握らされた形代の糸きり鋏と扇子から馴染み深い呪詛が流れるも、命の解体は止まらない。


「          !」


 誰かの声が聞こえた気がした。

 だがもう命の灯は火種ごと消滅され、燻りすら霧散しようとしている。


「          ッ!」


 だからその声は肉体ではなく、もっと奥深く。数奇な運命に見舞われ、本来決して合間見えることのなかった迷子の同類へと叩き付けられたもの。


 半身を最奥の神秘に掠め取られた少女からの、人を外れた呪詛を押し付けられた青年への盛大なクレームだ。


「ふざけんな涼! そんな安上がりな終わりが許されるなら、私と照はアンタに出会ってない。最後までみっともなく足掻いてみせろッ!」


 権能がもたらした死を安上がりだと、神をも畏れぬ暴虐武人な言い分に──くくくっ、と死に絶えたはずの身体が笑みで震える。


 まったくもって彼女らしい発破だ。ああまで焚き付けられてしまっては、彼女達と一年相対した監視官の名が廃るというもの。


「憑りつけ、連鶴」


 文字通り死に体の身体から全霊力を掻き集め、最も信頼し因縁深き式神を呼び起こす。生と死の狭間で対峙する女性の生き写しである和服の貴人が涼へと憑依する。


 そうしている間にも身体の崩壊は進行するが、問題は無い。


 滅びの運命が涼を全て支配するより先に残りを支配し、宵波涼の枠から外れてしまえば済む話である。連鶴を通じて全霊力を掌握。カッと眼を見開き、懐の扇子の形代に眠る術式を呼び起こす。


「来ォい、常磐津ッ!」


 宵波涼にのみ許された式神の名を叫ぶ。


 肉体が全て霊子に分解され、常磐津という設計図を元に再構成されていく。肉体そのものを細胞レベルで組み直す涼/常磐津の前では、どれだけ深手を負っていようとも、天使の力に侵されようとも関係ない。


 無数の霊子が形を結び、パンツスーツ姿の女性──常磐津が姿を現す。


 意識は明瞭、五感良好、五体満足、血管・神経・筋系・骨格形成、経絡系の霊力伝達全て良し(オールグリーン)


 表裏存在顕現機構搭載式神・常磐津、起動。


「上々」


 運命の定義が崩れ、涼/常磐津に消滅が降り懸かる気配は見られない。


 それも当然だろう。常磐津は宵波涼であって彼ではないIFの存在。因果を辿り導いた別の可能性を緻密に再現した姿だ。いわばこの世界の外側の存在に等しい特上の異例(イレギュラー)


 もう一度権能を浴びようとも力の外側からの異邦人である常磐津に、此処(・・)でのルールは適用されない。


 それでも心臓や頭蓋を破壊されれば普通に死ぬことは依然として変わりはないが、そんなものは唯の常識である。臆する理由は何もない。


「んんっ、でもやはりこの感覚は慣れないな」


 男性とは何かと違う女性の肉体ゆえに、どうしても胸や腰回りに違和感を覚えてしまう。むず痒いようなこそばゆいような奇妙な戸惑いはある意味新鮮ではあるが、それも時と場合を弁えねばなるまい。


 180度景色が反転した視界に討つべき仇敵を捉え、今一度常磐津の経絡系が唸りを上げる。


 伸身を翻し、空中で猫のように身を捻った常磐津は木の枝に何度も脚を絡め落下エネルギーを殺すと、難なく着地しそのまま膝を大きく撓める。


「さあ不味い死を馳走になった返礼だ。たらふく腹に詰め込むといい」


 涼の陽の霊気、常磐津の陰の霊気が溶け合い循環し、陽を極め陰に変じ、陰を極め陽に転ず。大局から別れた二極を繋ぎ、事象の始まりである根源へと歩を進める。


「八卦を束ね四象を廻し、我両儀の高みへ」


 連綿と繋がる陰陽の転換は両儀の門へと涼/常磐津へと誘い、個人では絶対に成せない領域に安々と脚を踏み入れる。高み極め完璧な陰陽の到達点の一つ──両儀の霊力。


 周囲の樹木や藻類、花々が常磐津の両儀に感応し、森に満ち満ちる木気が雷気へと昇華し始める。雷雲の如く紫電を内包する森全てが常磐津の支配下であり、女王と君臨する領土そのものである。


 元来、両儀は異性との極めて精度の高い霊力の循環技術が求められるもの。単に異性の霊力を取り込むのではなく、鍵と鍵穴のように波長を合わせ一体と成らなければならない。譲渡と収受の循環を限りなくシームレスに近づけるには、熟練のコンビでさえ困難を極める。


 だが、此処に涼/常磐津に限りこれは例外となる。


 何しろ術者と式神とはいえ同化した同一人物。波長の調律は不要となり、要する工程は循環のみ。その循環さえ涼は常磐津の機構で霊力を練り上げる工程に組み込むよう設計している。


 ただ一点のデメリットを除けば、常人では踏み込む事さえ難しい力を常磐津は振い続ける。


 その威力はこの場に集った誰よりもシャノンが、そしてアルベルトが知るところだろう。


「ふッ!」


 発走する。


 数歩の助走距離で加速を終えた常磐津が電光石火の如くアルベルトへ肉薄。並外れた動体視力を有するシズの眼を置き去りに、常磐津は翼の一枚を掴むとアルベルトの背を蹴り付け力技で引き千切った。


「──ギャ、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 耳障りな悲鳴に構う事無く常磐津は絡めていたワイヤーを手繰り、振り子のようにアルベルトの頭上に躍り出る。慣性力と万有引力が打ち消し合い、一秒にも満たない時間空中に留まる。


 絶叫し無茶苦茶に暴れ回っていたアルベルトは偶然にもそれを見た。


 自身に加護を授けた満月を背負い、権能を宿した己の頭上に君臨する狩人を。


 始まるのは時代錯誤の断頭刑。


 万有引力を味方に、高圧電流の激発で更に加速。体操選手の如き回転運動で振り抜かれる両儀の雷撃纏う踵落し。


 腐ってもGHCの祓魔師か。衝撃を逃がすよう斜めに構えられた右腕で頭部への直撃だけは回避したのは流石と言えよう。


 狙いが逸れた蹴りはしかしアルベルトの右肩を腕ごと粉砕し、肺を圧潰させ、周辺組織の細胞を焼き飛ばす。アルベルトの身体は落雷のように吹き飛ばされ、直線上の枝を残らず砕き折る凄まじい速度で地面に激突し、小規模ながらクレーターを形成した。


「がはっ……!」


 大量の喀血。たった数秒で一翼と右腕を消し飛ばされた事に、アルベルトは理解が追いつかない。電熱で焼き焦げた右腕からは出血こそないものの、経験したの事ない激痛に叫び声さえ碌に上げられない。


 普通であればショック死しかねない深手であるが、常磐津がそうであるように彼もまた簡単には死なない。耳を聾する残る二翼の口から奇怪な絶叫が空間全体をわななかせた。


「KYARAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


 翼を捥ぎ取られた傷口から新たに形成された神経網が伸び始める。大きく減衰した霊力に似合わず、その形成速度は遅い。再生そのものは可能なようだが、見た目通り失えば簡単には取り戻せないのだろう。


 木の上から様子を伺っていた常磐津は、多少の時間的猶予はあるだろうと判断し背後の気配に呼びかける。


「そこにいるか、ヴラドさん」

「なんだ?」


 さして驚いた素振りもなく、従者のミレイに抱えられたヴラドが幹の影から姿を現す。第一級指定魔族の名は伊達ではないらしく、あの光撃に合っても二人には汚れ一つ見当たらない。まあこの場合、真に褒めるべきはミレイの方なのだろうが。


「あそこにいる二人に我々が見た術式の情報を伝えたい。頼めるか?」

「引き受けよう。ミレイ」

「はい。ご武運を」


 連絡用の簡易式神を共有したヴラドは最低限のやり取りで要件を済ませ、従者ミレイと共に音もなく消える。


 数百メートルと先に木々の合間に見える黒髪と金髪の少女。迷いなく空間の中心部へ直走っているのは常磐津と考えを同じくしているからだろう。


 翼をもぎ取った際、アルベルトを蹴り飛ばし出来得る限り中心部から離しておいて正解だったようだ。


 そのアルベルトは今も翼の再生に苦しんでいる。


 やはり再生そのものには無茶があるのか、中途半端に伸びた翼の骨には薄く肉がつくばかりでとても元に戻る気配は見られない。形成された神経網も蔦のようにぶら下がりその役割を殆ど果たしていないのは明らかだろう。


 そもそも少なからずシャノンが持つ権能の魔眼に触れてきた常磐津にはアルベルトのあの姿が正当な権能の保有者とは到底信じられない。


 理由は勿論、あの翼である。


 アルベルトの左眼からはシャノンのブローチと類似した力は感じられるものの、翼への神経網の集中や修復に力を割いている事を見るに歪という所感はどうしても拭い難い。会場で感じた熾清気に類似した霊気も今では名残りすら見られない。


「……一体何を降ろしたのやら」


 天使の力に類するものである事には間違いはない筈だ。それは短いながらヴラドとも考察を重ね、権能を操るに足る素質や条件も十分にあったと常磐津は推察した。


 だが蓋を開けてみれば現れたのは堕天使とも言えない紛い物。


 それもアルベルトの自我はどうにも薄いように感じられてならない。常磐津の攻撃を碌な反撃すら取れずに受けてしまったのがその証拠だろう。祓魔師としての彼が如何に優れているかは二度殺されかけた涼/常磐津が身に染みてよく理解している。


 三度邂逅したアルベルトにその脅威が健在かと自問すれば、常磐津は首を捻るしかない。神経網があの三翼に引き摺られているとも見て取れるが、常磐津の印象としては汚染に近い。アルベルトをしても想定外の何かが混じり、権能の魔眼が正しい力に成っていないのでは無いのだろうか。


「月を触媒にしたのなら、サリエルの死神としての側面が強く出たか?」


 月の支配者である大天使・サリエルは魔眼の始祖であると同時に魂の管理者でもある。死を司る故に死神としての性質を併せ持つサリエルの月を術式陣に据えたのなら、それが悪い方向に出た可能性は十分に考えられる。


 しかしこれは天体魔術が専門外の常磐津がこうして容易に辿り着く程度の問題でもある。ラビュリンスまで巻き込むほどの大掛かりの計画を仕組むぐらいだ、アルベルト達も熟考と議論を重ねて実行に移しているのは大前提だろう。


「是非とも国枝博士の意見を聞きたいものだ」


 くたびれた白衣姿の天文台の魔術師を思い浮かべる。

 独学で天使の研究を進める国枝ならば何かしらの知見を得ることも期待できただろうが、無いものねだりである。


 観察を切り上げ追撃を仕掛けようと常磐津が重心を傾けた時、よろよろと覚束ない足取りでアルベルトが身を起こした。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「──!」


 大穴の向うで鎮座する月へと絶叫を上げ、もがき苦しむように白化した髪を振り乱す。血溜まりに何度も脚を取られる死に体でありながら、血みどろの双眸には見覚えのある光が戻っていた。


「天使風情がつけあがるなよ。相応しい玉座を持ち合わせない未熟を承知で私達はこの力に手を伸ばしたのだッ」


 文字通り血を吐きながら自身に宣言するように、アルベルトは残った左腕で翼を掴む。指が喰い込む万力の握力で翼を固定したアルベルトは、そのまま力任せに翼を引き千切り始めた。


「GYU……GYURAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!??」

「ぐうッ……罪科の証のつもりだろうが、人間というのは翼を失って久しい。従う気が無いなら用はない。神罰気取りのこれは捨てさせて貰うぞッ!」


 奇声を上げる翼に構う事無く、アルベルトは馬鹿力で千切れかけた翼に穿剣の魔眼で突き立て、自らと翼を切断した。もう一翼も邪気の剣によって串刺しにされ完全に沈黙。


「私達に従えッ! さもなくば悉く滅してくれる」


 数十の剣に貫かれた翼の口が壮絶な笑みを浮かべる。


 途端翼に侵食され乱れていたアルベルトの霊力に芯が通り、統制を取り戻していく。邪気はそのままに横取りされた神経網を再び左眼へと集約。大きく裂けた背中の傷口から噴き出す血飛沫が邪気にあてられ、意思を持ったように残りの一翼に絡み付き、支配する。


 穿剣の魔眼で形成された大剣を口に携えた翼は、失った右腕を補う第二の左腕と化した。


 高濃度の邪気が正しく神経網に流れていき、闇色に没していた権能の魔眼の機能が歪に変化しながらも解放されていく。埋没していた術式が表出し、虹彩から同心円状に広がっていく魔眼特有の術式模様が三次元的に展開。スコープのようにして術式が左眼に付き従う。


 歪んだ月の寵愛を一身に受け、偽・権能の魔眼の開眼である。


「郷に入っては郷に従え──とは貴様の国の格言だったな。感謝しよう宵波涼……常磐津。貴様が余分を削ったお蔭で、私達はようやく悲願の力を手に入れることが出来た」


 壮絶な笑みを浮かべアルベルトは鷹揚に左腕を広げて見せる。大きく霊力は減衰しているが、いまだ常磐津のそれを大きく上回って余りある。ハッタリでも何でもなく、右腕と二翼を失ったことでアルベルトの支配領域に偽・権能の魔眼が収まったのだろう。


 これは判断を逸ったかと常磐津は危惧を覚えたのも束の間、アルベルトが仕掛ける。

 偽・権能の魔眼にスコープ状の術式がガシャリと回転し、中心付近に黒い染みの様なものが発生。邪気密度が急速に高まっていく。


「ッ!」


 考えるよりも先に常磐津は指の腹を噛み切ると木の幹に血で縦四行、横五列の格子、即ち九字護身法の簡易印を切る。木に吸わせた血を触媒にすることで、掌握していた森の木気の支配を更に強固にし、一帯の森林を語法術式に仕立て上げる。


 常磐津の防御術式が組み上がるとほぼ同時にアルベルトの魔眼が牙を剥く。


「一族の旗揚げ、その最初の屍を曝せッ」


 見開かれた左眼から恐ろしい勢いで邪気が押し寄せる。


 九字護身法に導かれ土中から飛び出した根が幾重にも絡まり、常磐津を守護する楯となり邪気と衝突する。


 両儀と邪気。


 超高位の二つの霊気が正面から激突し、衝撃波で周囲の草地が剥離し残らず吹き飛んだ。木気の澄んだ青と邪気の底なし黒が鬩ぎあい、極彩色のスパーク現象で空間が明滅する。


 楯と矛の攻防は拮抗している。常磐津が仕掛けた扇状に展開された木の根には絶えず森中から木木が供給され、際限なく防御術式の硬度を高め続ける。植物というのは生殖器官を同一個体で完結させる雌雄同体が殆どゆえに、常磐津の両儀の霊気とも相性が抜群にいい。


 即席の防御術式とはいえ、例え十人がかりでインドラの槍弾の斉射を受けようとも凌ぎ切る自信が常磐津にはあった。だというのに──


「なっ……貫いてるっ!?」


 木の根の楯をまばらにだが、しかし着実に貫き始めた邪気に気付き常磐津は戦慄した。この邪気は森そのものを滅するとでも言うのか。


 次の瞬間、根の楯を押しのけて邪気が殺到する。


 間一髪で飛び退いた事で常磐津は難を免れたが、引き換えに邪気を浴びた木々は一瞬にして干乾びた様に枯れ果てた。烙蛹魔術が生み出す影に似た現象ではあるが、威力も規模も桁違い。生命を根底から否定するような“死”そのものを思わせる。


「ハハハッ! 素晴らしい、素晴らしい力だ権能の魔眼。これさえあればかつての魔眼部隊の再興も容易というもの。一族の呪いを取り払えれば我らが一族に敵はない!」

「ほざけッ」


 悦に浸るアルベルトへ向け常磐津は前に突き出した腕を勢いよく引き寄せる。地中の微粒金属を金行符で束ね精製したワイヤーがアルベルトの足元から飛び出し、近くの樹木に縛りつける。


 このワイヤーも両儀の霊力の恩恵を十全に受けた逸品。即席であろうと簡単には切れない。その隙を逃さず常磐津は一気に距離を詰めにかかる。


「ぬっ……小細工を弄したところでこの眼の前では無力。舐めるなッ」


 真正面から接近してくる常磐津へ再び邪気の矛が差し向けられる。魔眼の照準と弾丸は視線そのもの。先の一射で障害物となる粗方の樹木は消し飛んだ。楯となる木が死滅した荒涼に身を曝す常磐津など格好の的。


 ──死ね。


 権能の魔眼が閃く。

 同じくして常磐津がショルダーホルスターへと手を伸ばし、霊力を高める。


「いまさら迎撃など──」


 無意味だと、内心でアルベルトは冷笑した。それが不可能であることは先程常磐津本人が痛感しているだろうに。功を焦ったかと憐憫の笑みさえ口元に浮かべて。


 しかして常磐津が抜き放ったのは銃にあらず。軍用の品ではあるが武器ではなく、細い円柱型の装備品。


「しまっ……」


 カチッというスイッチオンとほぼ同じくして、アルベルトの左眼を強烈な光が襲う。


 なんてことはない。常磐津が浴びせたのは懐中電灯の光。ただし500メートル先まで照らす3500ルーメンスの超強力な光の槍だ。


 生物というのは突然強い光を浴びせかけられると怯み、条件反射で眼を背ける。如何に強力な魔眼を有していようとも、アルベルトとてその例外からは漏れない。


 一瞬の怯みを逃す事無く常磐津は数歩で肉薄。畳み掛ける。


「ハアッ」

「がっ……!」


 雷撃を纏った掬い上げの掌底がアルベルトの顎に炸裂。零距離からの超高圧電流が顎先から脳天を突き抜け、吐血すら焼き焦げアルベルトの口から黒煙が吐かれる。追撃の手を緩めず常磐津は掌底で突き上げた腕で肘打ちをアルベルトの横面へと打ち込むが、脳髄まで駆け抜けた激痛に顔を歪める。


「──なああめぇるなああああああああああああ!!」


 アルベルトは常磐津の肘打ちを噛んで止めた(・・・・・・)


「ああっ……!」


 口元を血塗れにするアルベルトは翼の邪剣を滅茶苦茶に振り回し樹木ごとワイヤーを引き千切ると、肉食獣のように常磐津を地面に叩き付けた。


 そして今度零距離から仕掛けるのは彼である。穿剣の魔眼が大きく見開かれ、今度こそ常磐津を視界に捉える。


「死ね!」

「……っ……んんッ」


 背中を強打し肺の空気が押し出されるも常磐津は苦痛を押し殺し、常磐津は半ば勘で首を勢いよく振り、長い髪を鞭代わりに眼前の魔眼を打つ。


「があっ!」


 目論み通り毛先が眼球を捉え、不可視の剣は常磐津から数センチずれて空撃ち。手を緩める事無く常磐津は噛まれた手でアルベルトの胸倉を掴み、反対の手で首に指を喰い込ませ片足を互いの隙間に潜り込ませると、みぞおちを蹴り上げ後方へと投げ飛ばす。


 常磐津は勢いを殺す事無くバク転気味に跳ね起きると、足裏が地面に着くや真上へ跳躍。枝を掴み鉄棒選手のように身体を一回転し、再び自らを一条の矢へと化す。


 体制を立て直しきれていないアルベルトの延髄へ、常磐津の踵落しが再び迫る。


「同じ手が、二度通じると思うなよッ」


 恩讐の化身たる男は翼の剣を地面に突き立て力技で体制を保持すると、なりふり構わず権能の魔眼を迫る差し向ける。火口の如き熱量を秘めた左眼が暗き光を膨らませる。


 僅かに、しかし確実に、アルベルトの魔眼の照射が早かっただろう。


 放たれた邪気の奔流が常磐津を呑み込むも、意に反してアルベルトに手応えを与えない。残像を撃ち抜いたのだと悟ったのは、視界右側に赤い線が走り、直後に灼熱を残して右眼が暗転した後だった。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!??」


 パキンッと翼の邪剣が砕け散り、滂沱の朱がアルベルトの顔面から滴り落ちる。


 権能の魔眼が牙を剥く刹那の前、常磐津は身を捻りアルベルトの右眼側へ回避していた。反射神経にものを言わせた判断能力ではなく、アルベルトが火力勝負で権能の魔眼を使うと読みきっていた。


 そうなれば魔眼を手にして間もないアルベルトなど恰好の鴨も同然。擦れ違いざまに意識が散漫になる右眼をナイフで斬り裂き、穿剣の魔眼を破壊したのだ。


「眼に頼り過ぎだな」

「がっ……!」


 足払いで空を泳いだアルベルトの鳩尾に二度目の踵落しが見舞われる。地面が陥没し巻き上がった大量の土煙が、次には高電圧の電流によって吹き飛ばされた。


「うああああああああああああああああああッ!!?」


 迸る紫電は物理的に内外から体組織を焼き、貫き、ズタズタに引き裂いていく。


 鍛え抜かれた肉体も魔眼も無力。肉体への電気信号は全て掻き消され、弾丸となる視線を電光で阻害し神経網を焼き潰していく。


 翼を捥がれ、右腕を失い、右眼を壊され電気椅子めいた拘束で全身を焼かれる。命の灯火を保つ事さえ困難な有様でありながら、杭となる常磐津の脚を掴む手があった。


「アス……トレアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

「まだ動くかっ……」


 電光の帳を切り裂いて、殆ど炭化寸前の腕が信じ難い怪力で常磐津を無茶苦茶に投げ飛ばす。一体どこからこれほどの力を残していたのか、常磐津に風圧が重く圧し掛かり身を翻す事すら出来ない。インドラの槍弾を背後に撃つことで勢いを殺し、木の影に身を隠す。


 息を整えつつ油断なくアルベルトを見据え……ようとしたがアルベルトの姿が無い。


 一体何処へ。


「──ッ!」


 その時、ゾクリと背中に悪寒が込上げ、その場から全速力で離れる。損傷も厭わず脚力を強化しなりふり構わず。監視官としての直感がこの場に留まる事に危険信号を発していた。


 足裏に微震を感じ取った常磐津の背後で、眼を疑う光景が飛び込んできた。


 火山噴火のように地面が膨らんだ一瞬後、当たり一帯が爆発した。


 樹木を根元から容易く引き千切り、大量の土砂を巻き上げたのはこれまでで最大の邪気の照射によるもの。地中に潜ったアルベルトによる波状攻撃だ。


 常磐津は直撃こそ免れたがものの、大量の岩石と樹木を含んだ土石流と邪気の奔流に追われ堪らず大きく跳躍。空中へと逃げる。


「常ォ磐ィィ津ウウウウウウウウウウウウウウ!」

「くっ……!」


 失態だ。


 地中にアルベルトがいると知りながら、常盤宇は空中に自ら身を曝してしまった。


 巻き上がる土砂は遮蔽物には不十分、だが視線を通す分には十二分。


 爆心地の中心で、アルベルトの血走った左眼が常磐津を補足する。もう懐中電灯による目暗ましも程度では身を守れない。


 ならば渾身の力を持って迎撃するのみ。


 常磐津は残り少ない呪符から木火土金水全ての呪符を前方にばら撒く。呪力で数珠繋がりになった呪符が、常磐津が紡ぐ呪文で励起。陰陽術においてもっとも有名な刻印描き出す。


 五芒星(セーマン)。彼の大陰陽師・安倍清明の家紋であり、九字と並んで霊術の総称と称して過言ではない陰陽五行の総称印。


「バン・ウン・タラク・キリク・アク! 五大虚空蔵菩薩の威をもって、厄災退ける不動の楯と成れ」


 呪符と呪符が強固に接合し強固な障壁を形成する。


 しかしながら、これでは先の焼き増しにすら成り得ない。常磐津が渾身の力で楯を構えた所でアルベルトの邪気は容易くこれを破ることは立証済。


 攻めを欠いては常磐津に勝機は無い。


「死ィィィネエエエエエエエエエエエエエエ!」


 ドンッ、と空中の瓦礫群を消し飛ばして邪気が放たれる。


 五芒星(セーマン)の障壁が邪気に触れた直後に罅割れ、二秒後には呪符が全て半分以上焼失しかける。


 ──問題ないッ!


 常磐津の意識は既に五芒星(セーマン)ではなく、上空に放った手持ちほぼ全ての雷行符群に注がれる。


 術式は初めてアルベルトと邂逅した時に打ち込んだもの。しかし威力はその遥か彼方だ。


 熱膨張で雷鳴轟かせる幾百幾千の稲妻を束ね、太陽神の息子が黄金の鎧と引き換えに帝釈天から授かった神武具。


 大量生産のレプリカの銃弾ではない。真言を捧げ、身命を賭し、苦難を撃ち貫く必殺を形成する。


 虚影・必勝の槍──ヴァサヴィ・シャクティ・レプリカ。アストレアでも屈指の破壊力を誇る攻撃術式であり、いまの常磐津が放てる最高火力。


「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・インドラヤ・ソワカ──堕ちて消えろッ!」


 逆手に構えられた雷の槍を構え常磐津は五芒星を足場に反転(・・)。頭上の瓦礫にしがみつくアルベルトへ向け、裂帛の気合いと共に撃ち出す。


 地上からの邪気を陽動に常磐津の頭上へと迫っていたアルベルトは驚愕に左眼を見開くも、憤怒の形相で権能の魔眼を振う。


 莫大な雷気と邪気が至近距離で衝突し、拮抗する。


「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 先に常磐津の五芒星が崩壊し常磐津を足元から邪気が飲み込む。一拍遅れて虚栄・必勝の槍が二射目の邪気を貫きアルベルトの脇腹を捉える


 電光と闇。二つの激烈な術式が炸裂。両儀と邪気の霊力が干渉し合い、圧力限界に達したことで地下空間を揺るがす程の大爆発を引き起こす。


 散弾のように土砂が四方へと吹き飛ぶ中、爆煙を引いてアルベルトが、次いで常磐津が弾き飛ばされる。


 右足が欠損し爆轟に身体を持っていかれる常磐津だが、満身創痍であるはずのアルベルトが折れかけの翼を羽ばたかせているのを眼にし、強く奥歯を噛み鳴らす。


 信じ難い事に脇腹に大穴を開けて尚、アルベルトは生命を維持している。恐らく……いや間違いなく、今の彼を繋ぎ止めている命の定義が通常とは大きく逸脱しているのだ。


 常磐津がどれだけ彼に深手を負わせようとも、根本的な対抗手段には成り得ない。


「……急げよ神崎、シャノン。あれを倒せるのは、同じ力を降ろせる君達だけだ」


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