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三章・十九節 照応するホロスコープ

 時は少し遡り、視点はシャノンへと移る。


 爆撃の崩落によって穴に呑まれ、何十、何百メートルと落下したシャノン達を待ち受けていたのは広大な森林だった。それもどこか郷愁を覚えさせる光景。


「……──」

「シャノンちゃん、速度を落として!」


 耳元の警告に我に返り、今更のように空気を切り裂く音に心臓が鷲掴みにされる。


 何とか耐衝撃、反重力術式を展開してシャノンは落下死を免れたものの、地下空間に叩き落された半数ほどが身を起こす事無く息絶えた。


 人獣の爆心地はほぼ第三階位の参加者の頭上だったことが、彼等の不幸だった。原型を留めている亡骸は皆無に等しく、殆どが千切れたパーツだ。


 シャノンとて数百メートルの落下から生存できるかは怪しかっただろう。五体満足で地に脚が付いているのは、涼の高度な治療が故。損傷した経絡系が修復された結果、シャノンと涼の霊力が直接融け合い『両儀』の霊力が生まれていたのだ。


 幾度となく行使してきた術式であっても、両儀から得られる感覚はまるで別物だった。自分だけでなくまるで涼の感覚も借りた様に術式への理解が深まり、感覚が拡張されていったのだ。


 ただし、これは異性であれば誰でも良いわけではない。実際にGHCの仲間から治療を施された時には両儀など生まれなかった。


 相性がいいのだろう。左眼に宛がわれた義眼が数分と待たずに馴染み始めたのがその証拠。同じ様にして、主従契約の回路(パス)が切れ、刻印を奪われた事をどこか心細く感じる程に。


 そのような感傷は、すぐに吹き飛ぶことになる。


「伏せてシャノ!」

「──!?」


 警告と背筋に走る悪寒に従い、シャノンは伏せる。


 直後、背後から迫っていた人獣に飛来した魔弾が突き刺さり、ドドドッという炸裂音を轟かせ火炎の華を咲かせる。


 魔弾の直撃を受け悪魔のような山羊頭の人獣は倒れかけるも、諸手を地面に振り下ろすと獣の如く四足で地面を蹴る。捻じり曲った羊角を凶器に、獣人すら凌駕する膂力と瞬発力にものを言わせた突撃。


 土を跳ね上げ僅かもない距離を埋める羊角の人獣に対し、シャノンはいまだ身体を起こせていない。


 しかしてシャノンの顔に恐れはない。


「ふッ」


 限界まで引きつけ、寸での所で身を翻したシャノンの脚が羊角を掻い潜り人獣を捉える。鞭の如く撓り放たれた蹴りが人獣のこめかみを的確に抉った。


 こめかみというのは分厚い頭蓋骨の中でも薄く、脳に近い部位。強打されれば平衡感覚を喪失し、衝撃波は柔い脳を損傷させる事もある。それは人獣とて例外ではなかったらしく、短い呻き声を引いた後、昏倒した。


「これは……」

「人獣って奴よ。御覧の通り獣の因子を魔術で組み込まれているわけ。見た目通りタフだから気を付けないさいよ。早々今みたいにはいかない」

「雀!? 貴女今まで何処にいたのですかっ」


 木の影から現れた雀は開口一番のシャノンの批難にバツが悪そうに視線を逸らす。


「スーとかいう性別不詳の奴の嵌められて、気付けばここに放置されてたのよ。あんにゃろ、次があったらただじゃ置かないっての」

「……ではここが何処かのか、貴方も知らないのですか?」

「さあね。でもラヴュリンスの中だってことは確かよ。うんざりするほど広いけど、壁あったしね。それはそれとして、アンタは何でシータみたく空から降ってきたわけ?」

θ(シータ)? ギリシア文字の真似とは一体どういう……」

「ジブリはどれも傑作よ。アニオタじゃなくても楽しめる。無事に帰ることが出来たらTUTAYAで借りるといいわ。で、上はどうなってるわけ?」


 最初からそう聞けとシャノンは小言を突きそうになったが、寸前で言葉を呑んだ。


 口こそ平静を装っているが雀は服があちこち破け、顔や腕には擦り傷が目立つ。魔術で酷使したのか指先は血が滲み、爪が剥がれている指もある。彼女は彼女でずっと戦い通しだったのだろう。


 しかしどう説明したものだろうと、シャノンは頭を悩ませる。雀からしてみれば今回の件は巻き込まれ事故に遭ったようなもの。その張本人であるシャノンの口から『実はヴラドは元アストレア監視官のいい人でした』などど厚顔無恥甚だしいく伝える事が果たして許されるだろうか。


 シャノン自身知らなかった事とはいえ、あまりにも礼を欠いた振る舞いだ。


 言葉に詰まっていると、思わぬ所から助け船がきた。


「上では特大の奇襲を受けてしまってね。涼ちゃん達一部を残して、大部分が爆発に巻き込まれて此処へ落とされた。つまりアルベルト達の計画が本格的に始動したのさ」

「御義父様」

「涼の式神?」


 シャノンの髪に隠れていた直嗣AI搭載の栗鼠が現れ、簡潔に会場で起きた一幕を語る。


 栗鼠は自分の体躯以上の尻尾の格納スペースから咄嗟に涼が投げ渡したブローチを取り出し、シャノンへと渡す。


「はいこれ。ちゃんと持っていなさい。多分これが切り札になる」

「……有難う御座います」

「君が神崎雀ちゃんだね。わざわざ家まで出向いてくれたのに、当主として挨拶も出来ずに申し訳ない。この僕はAIに過ぎないけど、この場を借りてお詫び申し上げる」

「あー、いえ別に……。涼にはいつもお世話になっています」


 真面目な話をしているのだがシャノンの肩の上で栗鼠が頭を下げる何とも言えないシュールな光景に、雀も若干ズレた挨拶をかましてしまう。


 それでもやはり年長者というべきかAIというべきか。状況が殆ど読めない状況に置かれても、些かも焦った様子を見せず現状を整理する。


「雀ちゃん、さっき壁があったって言ってたよね。この空間がどういう場所か、知る限りでいいから詳細に教えてくれないかな?」

「誰が雀ちゃんよ、馴れ馴れしい。不用意に年頃の娘と距離を縮めようとすると最悪セクハラ扱いされるわよ。伊予とも全っ然上手くいってないそうじゃない」

「ぐはっ……!」

「ああ、御義父様っ。雀言葉が過ぎますよ。せめてもう少しオブラートに包まないと……。他人が不用意に踏み込んでいい問題でもないです」

「がはっ!!」


 容赦のない言葉の刃が中高年男性の胸を抉る。決してワザとではないが、シャノンの援護射撃も全弾ヒット。娘との距離感に四苦八苦する父親のガラスのハートを粉々に撃ち砕いた。


 よほどショックだったのか直嗣栗鼠は白目を剥いてシャノンの肩から転がり落ちてしまった。


「ええと何の話だっけ……。ああ、この空間ね。さっきもチラッと言ったけど、兎に角だだっ広いわ。おまけに人獣が野放しにされてて、見つかり次第襲われる。さっきの羊の奴も合わせれば五体潰した事になるわね。おまけにコレを見て頂戴」

「……え、嘘、どういうことですかこれは!?」


 雀は変身が解け人の姿に戻った人獣の瞼を持ち上げてみせ、シャノンは愕然とした。


 多少の色合いの違いこそあれど、間違いなくシズの眼だ。


 GHCの教義に乗っ取れば、即刻撃滅が推奨されるような怪物の正体が同族だという事実に、シャノンは眼の前が真っ暗になる。


「私を拐かしたスーって奴の言葉を信じるなら、この船には大量のシズの一族が運び込まれてるらしいわ。多分それがこいつ等ね。視た感じ体幹が妙だし経絡系もちぐはぐ……考えたくはないけど、無理矢理成長させられたのね」


 最後は吐気を堪える様にして雀は断言する。


 手首に残る大量の注射痕が雀の推測を痛々しく裏付けるようだった。


 何のために彼等は、などと議論する必要はない。売られるか、さもなくばアルベルト達に利用されるためだ。


 祓魔師としての知識と経験が、これ以上クローンたちに関わるなと訴えて来る。それでもシャノンは口にせずにはいられなかった。


「……っ。彼等を助けられる方法は……」

「元の人間に戻すって話なら、私は完全に門外漢。彼等が抱えてる呪詛を封じる護符は一応あるけど、多分気休めよ。こいつらは爆弾。炸裂しないと意味がない」

「どんな目的があるにせよ、彼等の死にこそ用があるって事かい?」


 ダメージから復帰した直嗣栗鼠の言葉に、雀は一つ頷いて見せる。


 五輪市に現れた人獣たちもそうだった。三十年に迫る時間で蓄積された数十人分の莫大な呪詛を束ね、雀が管理する霊地を撃ち抜こうと何者かが企てたのだ。


 銃身と弾丸は人獣、引き金を死としてだ。


 ラヴュリンスに現れた人獣とて、最終目的こそ異なるだろうが、彼等が迎える結末に変わりはないと雀は推測していた。そうでなければ、狩りの真似事など強制する筈もない。


 シャノンと同じく、此処へと落とされた者たちが大人しく殺されるとも到底思えない。半刻と経たないうちに、アルベルト達の思惑通り人獣は狩られるだろう。


 この状況に陥った時点で、雀が弾き出した結論は単純明快。


「ダメね。多分“権能の魔眼”ってやつを手にされるのはもう時間の問題」

「……らしくないですね。貴女は負けを認めても、最後までみっともなく足掻くと思ってましたよ」

「ならどうするっての? こっちは完全に敵方の懐。術式の全容すら掴めてないし、涼と合流しようにも自分たちの位置さえ分かんないのよ?」

「それは……」


 反論できずにシャノンは悔し気に唇を噛む。


 最初から後手に回らされ続けたことで、雀たちは完全に劣勢に追い込まれている。悩ましい事に全容が視えない為にどれだけ不利な立場にあるのかも曖昧だ。


 しかして、シャノンが抱く雀の印象は決して間違ってはいない。寧ろ正鵠を射ていると言っていいだろう。


 俯くシャノンの前に立った雀は、こんな状況でありながら不敵に笑って見せた。


「というか私がいつ負けを認めたのよ。冗談じゃないし」

「えっ……」

「“権能の魔眼”がアルベルトに渡るって言っただけよ、私は。それとも何、アンタは女々しく此処で泣いてるつもりなわけ? 見た目通りお姫様なのね」


 見下すような視線も、挑発的な口調も全部わざとなのだろう。神崎雀を知る者ならば、あるいは全て本音でもおかしくないと頭痛を覚えるかも知れないが。


 雀は如何なる問題に直面しようとも、眼を背けることだけはしない。自分に許された全てを費やして全力で対処する。


 そうでなくては、自分に嘘をついた事になるから。そんな神崎雀は断じて許容できず、唾棄すべき宿敵だ。


 雀の在り方を『自分を誤魔化し、慰める事をしない』と一年に及ぶ監視期間を経て涼はそう評した。


 ある意味では、それはシャノンとは真逆の生き方だろう。


 血筋を隠し、人にも組織にも順応し続け自己を封じ続けてきたのがシャノン・コーデリオンという女性だ。これを善悪で語ることは出来ないが、人によっては憑代に人生を左右される危うい生き方と評価するかも知れない。


 だからこそ、自分でも気付かない心の奥でシャノンは雀に羨望の念を抱いていた。彼女のように胸を張って生きたいと。


 その雀に発破をかけられ、黙っているほどシャノンが生き抜いてきた道は甘くはない。


「言ってくれるッ!」


 カッと頭に火がついたようだった。


 即席の眼帯を剥ぎ取り両眼で睨んで来るシャノンに、雀は満足げにメンチを切り返す。


「そこまで大口を叩くぐらいです。何か考えがあるのでしょうね」

「まあね。といってもやるかやらないかはシャノン、アンタ次第よ。他力本願って貶したければどうぞご自由に」

「……貴女の事です。適材適所というやつでしょう」

「そんなところよ」


 適当な枝を拾ってきた雀は自分が視た範囲の森林の概略図を地面に描いていく。


 といってもそう複雑ではない。雀が見つけたという壁が円形に空間を切り取り、森林が広がっているだけの簡単な略図だ。そこに雀は幾つかのポイントを書き足す。


「そこら辺の高い木に登って確認した略図よ。本当にざっくりとだから精度は当てにしないで。この空間のだいたい中央付近に集落っぽいものが見えたんだけど、近づこうにも人獣が集って来るもんだから何があるかはまだ未確認」

「中心を囲むように位置してるこの十二個のマークは何だい? 一つは僕たちの位置から割と近いね」

「さあね。遠目に視た分には小規模な神殿にも視えたけど。ただ魔術にしろ霊術にしろ、十二分割される円が示すもんなんてそう多くはないと思うけど。私が真っ先に疑ったのは黄道十二宮だし」


 黄道十二宮。朝の占いで定番の十二星座の事だ。


 古くから人々は星々に神秘を見出してきたのは語るまでもないだろう。科学と同じ様にして和洋問わずに霊術・魔術に組み込まれたのも、また自然の流れだ。


 様々な天体術式の中で最も黄道十二星座と惑星配置の利用は基礎中の基礎となる。流派によって解釈の差異こそあるが、その形を大きく外れる事は無い。


 雀の見立てにはシャノンも直嗣栗鼠も同意を示す。


「んで、ここからが重要。木に登った時、三つの地点から術式の起点を見付けたわ。この図で言えば、こことココと此処」

「時期を考えれば、白羊宮、天秤宮、あとは支配星に月を持つ巨蟹(きょかい)宮辺りが怪しいかな」


 この空間全体を巨大な天体配置図(ホロスコープ)に見立てれば、実際の天体配置と照応する三つの神殿を霊脈との接続部、つまり起点とするのは理に適っている。


 占星術や天体魔術は星々の運行を緻密に観測し、各々が術式へ与える影響を全て掬い取らなければ成立しないからだ。


 起点となっているだろう白羊宮、天秤宮、巨蟹宮の各属性を考慮しても大きな偏りは見られず、一年の中でもかなりの好条件だと言える。


「あの羊の人獣から一番近い神殿を白羊宮と結びつけるのは安直かな?」

「……関係性は不明ですが、多分白羊宮の神殿で間違いないと思います」


 雀と直嗣栗鼠がシャノンを見やる。


 シャノンは図ではなく、周囲の木々に視線を投げていた。額に汗を浮かべ、小振りな唇を噛んでいる。その表情は厳しくブローチを固く握りしめている。


「なんで分かるの?」

「確証はありませんが、多分この空間は私達の故郷を模したもの……だと思います。此処はよく薪を拾いに来た辺りによく似ていますし」


 もう十四年前の記憶であるために、細部はかなり風化している。人生の大半をコンクリートで囲まれた街中で育てば、森の顔を判別する感覚も鈍っているというもの。


 それでも生まれ故郷というのは肌が覚えているものなのか、まさかという疑問を拭いきることは出来ず、それどころか疑念は強くなるばかりだ。


「でも人の手で作られた様な感じじゃない。ゲームとかでも、木々の配置には作り手の美学やこだわりが自然と繁栄されるものだ。でも此処はそう言った人工臭が無い」

「あんたの故郷にも十二の神殿はあったの?」

「……あった、と思います。近寄る事を禁じられていたので、実際に見たことは残念ながらありませんが」

「んん~、権能の魔眼を創るなら、シズの故郷以上に相応しい土地は無いか。なんで森林を地下に作ってるか疑問だったけど、それなら合点もいく」


 ようやく腑に落ちたと雀は手を叩く。対照的に他二人の面持ちは厳しいものになる。


 本当にシズの故郷を丸ごと再現しているのなら、アルベルト達革新派だけでは絶対に不可能な所業だ。まず間違いなくラヴュリンスの運営がバックに付いている。実質、この船全てがシャノン達の敵に回った事と同義だ。


 あっけからんと構えているのは雀だけだ。いまも鉛筆代わりの枝を放り捨てると、村がある方角を睨んでいる。


「さすがに吸血鬼と手を組むだけはあるって感じね。一筋縄じゃいかないのは分かってたけど、いよいよ混沌としてきたか」

「神崎ちゃん、何でそのことを……」

「私は私で情報屋のコネを持ってるのよ。あのコウモリ属には去年散々煮え湯を飲まされたし、個人的に色々と探りを入れてるの」


 それを聞き、直嗣栗鼠は大変嫌そうな顔をする。


 十四年前の一件はアストレアがヴラドの経歴と共に真実を闇に葬っている。大魔術家の娘とはいえ、それをこうもあっさり暴かれては堪ったものではない。


「それでどうします。起点となる神殿を破壊しにいきますか?」

「それじゃ遅い。私の見立てじゃもう必要量の霊力を吸い上げてる。それよりも権能へのカウンターを用意しておく方が先決。涼がそれを返したのも、多分その為よ。──シャノ、アンタが切り札なのよ」


 雀はブローチを指差し涼の機転を代弁する。暗にそれは、涼が雀と同じ結論に至っているという証左でもあった。


 権能の魔眼の降臨は止められない。


 ならばその次の手を先んじて打っておかなければならない。


 壊れかけとはいえ、ブローチに封じ込められているのもまた“権能の魔眼”。唯一有効な対抗手段と見込めるカードなのだ。担い手はシャノン以外有り得ない。


「旦那様……」


 シャノンは涼のコートに包まれる我が身を抱く。コートにはすっかり鼻に馴染んでしまった煙草の匂いが染み込んでいる。


 あの爆発の最中であっても、涼は彼に出来る最大限の選択肢を取った。


 託されたのなら、従者として応えなければ主の顔に泥を塗ることになる。主従の象徴であった首の刻印はもうないが、忠誠を誓う理由はもう十分すぎる。


 シャノン・コーデリオンにもはや一片の迷いもない。そこに立つのは確固たる意志を胸に抱いた一人の女傑。


「アストレアの意匠がよく似合ってるよ、シャノンちゃん」

「え? あ……いえ、有難う御座います」


 コートの背の刺繍──天秤と剣の女神(アストレア)意匠に遅ればせながら気付き、しかしすぐにシャノンは笑みを浮かべる。


 惚気紛いなやり取りに雀は胸やけしそうになる。


「はいはい、続きは後にして頂戴。シャノン、そのブローチを起動するには何処が最適か見当はつく?」


 雀の問いに頤に手を添えてシャノンはしばし熟考する。


 故郷の記憶は懐かしきものではあるが、同時にシャノンに耐え難い傷を残した場所でもある。あの日から意図的に蓋をした傷をシャノンはこの日、初めて直視した。


 それは苦痛などという生易しい言葉では到底足りない。否応に無く家族たちの無残な最期を想起させ、手足を悪寒に支配される。


 その全てを意思の力で捻じ伏せ、シャノンは記憶に深く深く潜り込んでいく。


 きっと両親がシャノンにブローチを託したのはこの日のためなのだ。この日のために泥水を啜る思いで生きてきた。ならそれもあとわずかだ。あと少しで両親や同郷の一族の無念を晴らせる。


 やがて二つの候補に行き付き、迷った末にシャノンは中央へと指をさす。


「……やはり集落でしょうか。アルベルトは新たな権能を創造しようとしている筈ですが、この空間は故郷を模しているとはいえ、全てが偽物ではやはり正しく力は宿らないとも思いますし」

「まあ、順当な判断よね。人獣たちもあそこを中心に蔓延ってたし」


 やるべき事は定まった。ならば後は行動あるのみだ。


 シャノンが指し示す方向へ雀たちが踏み出そうとした時だった。


「御待ち頂きたい」


 それまで一切気配を気取られる事無く潜伏していた一人の男が堂々と木の影から姿を現し、雀たちの進路を塞ぐように立つ。


 典型的な軍人の出で立ちだ。夜戦服を初めタクティカルベストやライフルマグポーチを装備し、劣悪な環境にも耐えうるミリタリーブーツ。ベルトで肩から吊り下げているのはアメリカ陸軍も採用している小銃、M4カービン。


 短く刈り込まれた髪は金髪、虹彩は深い碧を示している。シズの一族だ。人獣に変貌させられたクローンではなく、本物の。


 軍人の男以外にも、十数人のシズの一族が姿を見せる。服装に統一性こそないものの皆例外なく武装し、雀たちと距離を置いて対峙している。


「一応聞いておきますが、貴方達は?」

「アルベルトと志を同じくする同士です」


 軍人の男が一歩前へ踏み出し答える。シャノンが捕えられている時にみた顔を何人かいるに、彼等の要件はまたシャノンなのだろう。


「シャノン様。これが最後のチャンスです。我々と歩みを共にする想いが少しでもあるのなら、此方へ御出で下さいませ。貴方こそが権能の魔眼の正当後継者なのだから」

「……この勧誘はアルベルトの命令ですか?」

「いいえ。我々一同の総意によるものです。計画は極めて順調ですが……実を言えば我々はアルベルトが正しく権能を振えるか疑問なのです。確実に衰退の呪いを祓う事が出来るのは、一族を悪意から護る事が出来るのはこの世でただ一人、貴女だけです。今一度問いますシャノン様。我々と歩みを共に……」


 全ての同士の想いを束ね、手を差し伸べる軍人の言葉を──シャノンは皆まで聞かずに切って捨てた。


「──いいえ。最早言葉は不要です。私と貴方たちの道はもう二度と交わることは無い。あってはならない。無辜の命を消費してでも大願成就に走るなら、私という甘えは最初に捨てるべきですよ」


 これは宣言だった。


 今を生きる二分されたシズの一族が、決定的に決裂した瞬間。


 シャノンの言葉通り、最早彼等の心が重なることは永遠に訪れる事は無いだろう。


 後世にはシャノン・コーデリオンは重罪人として一族の記憶に刻み付けられるかも知れないが、シャノンは彼等の描く理想を否定する未来を望んだ。


 シャノンと同年代の同族が何かを言おうと口を開きかけるも、言葉を紡ぐことなく唇を引き結んだ。皆浮かべる反応こそ違うが、動揺は無かった。


 リーダー核と思われる軍人も静かに瞑目を挟む。次に彼の碧眼と対峙した時には、そこには敵意以外宿っていなかった。


「貴女の仰る通りだ。我々はまだ淡い夢物語に縋ろうとしていたらしい。どっちに転ぼうとも待つのは修羅の道だけだというのに……」


 軍人の手が小銃に伸び、他の者も各々の得物を構える。


 たった二人のシャノン達に対し、五倍以上の碧の双眸が立ち塞がる。


 人数差で勝敗が決するわけではないが、大きなアドバンテージである事には変わりない。加えて言えばシャノンは武装すらしていない。身一つで行使できる術式などたかが知れている。非常に不味い状況だ。


「馬鹿シャノ。何馬鹿正直に和睦を突っぱねてんのよ、状況分かってんのっ。どうせ断るなら闇討ちしてからでしょ、馬鹿!」

「三回も馬鹿って言いましたね!? これでも騎士の名を冠する組織の祓魔師です。その様な卑怯な真似は看過できません」

「騎士か祓魔師かどっちかにしろ。あとコートのせいでアストレア属性も入ってるから」

「いや二人とも状況分かってる? これ結構なピンチだよ」


 小声でギャイギャイ口喧嘩を始める二人。シャノンとて彼等の手を払ったことが危険な事であるかなど正しく理解している。それでも嘘でも彼等の申し出を受ける気にはならないのだ。


 建前で協力を承諾してしまえば覚悟が鈍り、結局は何かに迎合するしかないシャノンに戻ってしまう。それはシャノンによって決して許されない事だ。


 もっとも雀も本気で文句を付けたわけではない。一度アルベルトがシャノンを拉致したように、軍人らの手を取っても体よく利用されただけだろう。難癖を付けたのは単に相談もなく選択肢を狭まれたからである。


「さあ、どうしようかしらねこの状況。即効仕掛けても瞬殺出来るのは精々一人か、甘々な見立てて三人が限度よ」

「……逃げるしかないでしょうが、それも難しいでしょうね。工夫をしないと。左から二番目の槍か、右から五番目の剣が欲しいです」

「OK。じゃあ私に合わせて。どっちを狙うかは、あっちの出方で臨機応変にやるしかない」


 腹を括り、雀は魔力の手綱を握り、シャノンは僅かに腰を落とす。どちらかが一手しくじればもう一方が死に絶える四面楚歌。


 それでも敵一人一人は、二人かかりで掠り傷一つ付けられなかった宵波安芸の厚みには到底届かない。稽古で散々連携を強いられてきた成果か、雀とシャノンの呼吸はピタリと合い、死地を感じ取り練磨された感覚は気配だけでお互いの次の一手が読める。


 五感を極限まで張り詰めていた故に──軍人たちの次の行動には雀たちは意表を突かれ、動けなかった。


 軍人が小銃ではなく、コンバットナイフを逆手に抜くと真っ直ぐに腕を伸ばす。切先を自分に向けて(・・・・・・・・・)


「一つ、撤回をお願いしたい」


 ナイフにもう片方の手が重なり、固くグリップが握られる。嫌な予感がした。


「先程シャノン様は言いましたね。無辜の命を消費してでも大願成就に走るなら、と。あの哀れなクローンたちを眼にして我々が何の感情も抱いていないとお思いですか。悲願の礎だと都合のよい解釈で彼等に犠牲を強いると、その程度の覚悟で我々が此処に立っていると?」


 誰一人、雀たちに武器を向けない。


 拳銃をこめかみに、剣を首に、槍を心臓に自らの差し向け、彼等は祈る様に瞼を伏せる。


「まっ──」


 シャノンの制止は、間に合わない。


「──いいやッ。彼等の命を踏み躙った我らは罪人なれば、明日を迎える資格は無し! だが我らの眼は新たに降臨する権能の魔眼に束ねられ、一族の未来が切り開くその日を見届ける。託したぞアルベルト、必ずや一族の呪いを解体し、二度と奪われることの無い力を取り戻せ。行くぞ同志たちよ。欲望に穢された一族の運命を断ち切るためにッ! さらばです、シャノン・コーデリオン!!」


 鬼気迫る軍人の胸を自ら振り下ろしたコンバットナイフが深々と貫く。大量の血塊を吐き出した軍人は事切れるその瞬間までシャノンを捉え、血で汚れた口元は笑みを刻んでいた。


「勝利をッ」

「子供たちを頼んだぞ」

「向うで会おうぞ!」


 先陣を切った軍人を追うように、他の者たちも次々に自害していく。


 恐ろしい事に彼等は誰一人恐怖を抱いていない。意思の力一つで死の恐怖を克服し、命を擲っている。誰もが勝利を疑う事無く自刃する光景は、凶器と言わずに何と言えばいい。


 瞬く間に雀たちの眼前は血の海となった。


「なんて、ことを……」


 故郷を模した森で、同族が命の灯を失い倒れ伏している。


 これではまるで十四年前の再来だ。


 否応に無く過去と今が重なり、膝が震えてシャノンは脚から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになる。


「ショック受けてる場合じゃないわよ! 何か始まる」


 血の気が引きながらも雀は気丈に振る舞い厳しく周囲を睨む。


 彼女の危惧は正しく、異変は直ぐに起きた。


「……地震?」

「一応此処は船の上よ。それに揺れ方が地震と違う。どうやら彼等の死が最後のピースだったみたいね」


 上を見てという雀の声に顔を上げると、故郷の空を模した天井に巨大な術式が展開されていた。


 それはオークション会場で涼達が眼にしていた三環の術式陣。


 どんなに察しが悪くても理解出来る。アレが権能の魔眼を降臨する為の装置だという事が。


 涼達が仮称する“月天の儀”に呼応し“地母の儀”の術式が起動する。


 白羊宮、巨蟹宮、天秤宮の起点から光のラインが走り、術式陣の全容が明らかになる。


 莫大な霊力が龍の如く月天の儀へと昇るなか、雀とシャノンはそれを見た。


 地母の儀の出現と同じくし、たった今自害したシズの一族達の亡骸が淡く光り出し、薄いネットのようなものが剥離し始める。──シズの一族の視神経である。


「一族の、ネットワーク……っ!」


 権能の魔眼を起源に持つシズの眼から神経網が剥ぎ取られ、莫大な霊力に溶けて“月天の儀”に待つアルベルトへと集約していく。


 胎動にも似た激震が空間全体を揺らし、雀たちは近くの幹にしがみつき転倒を免れる。


 霊脈から、人獣の呪詛を、そしてこの船に集った全てのシズの一族の命を集約し、彼等が求めた再興の象徴が現れようとした。


 術式陣の中央で光の繭のようなものが形成され、徐々に人の形へと洗練されていく。繭から発せられる特殊な霊気を視て取り、空を見る直嗣栗鼠が眼を剥く。


「熾清気……いや、神気!? 嘘だろ、聖遺物を幾つ賄える量だよ。こんな技術が世の中に存在していたなんて」

「権能って言えば天使の力みたいなもんでしょ。此れぐらいが普通なんじゃないの?」

「……いえ待って。何か様子がおかしいです」


 いち早くその異変に気付いたシャノンが、呆然と呟く。


 神々しく三環の中心で巨大な満月の様であった繭に、赤黒い染みの様なものが蠢いていた。最初こそ涼の“赤服”の呪詛かと三人は疑ったが、明らかに彼の力とは違う。あの染みは繭から発生したものだ。


 まるでシステムの綻びから生れた致命的なバグによって、機械そのものが蝕まれる様に。


 染みは瞬く間に繭を侵食していき、地下空間を暗き赤で染め上げ──ビシッと、繭に亀裂が奔った。


 亀裂から這い出る禍々しい神気……邪気とでも言うべき霊気が空間を侵し穢していく。邪気に触れた木々が朽ち枯れ、土は恵みを失い。空気が澱む。まるで命の根幹を揺るがす様な光景だ。


「……違う」

「シャノ?」

「違います、アレは権能の魔眼なんかじゃないっ。あんなのが私達一族の秘宝のわけがない。もっと別の何かです!」


 悲鳴のようにシャノンは頭上で生まれようとする“権能の魔眼”を否定する。


 ブローチから感じられる力は、もっと大きな掌の様な温かさがあった。少なくともあの黒い繭のような、背骨を泥の縄で掻き毟られるような嫌悪感は抱かなかった。


「どっちみち碌なもんじゃないでしょ! 私達は集落に……」

「雀──!」


 揺れが少し収まってきたタイミングで、雀が動き出した時だった。


 繭の亀裂から安々と空気の壁を突き破って、何か雀目掛けて射出された。その事を雀が認識したのは、既に雀の胸に突き刺さろうという間際。不可避だ。


 永遠に引き延ばされた時間の中で雀が見たものは走馬燈ではなく、自分と飛来する何かに割り込んだ大きな尻尾を持った小さな影。


 ──直嗣栗鼠だ。


「ぐぅ……これは、きつ……!!」

「馬鹿……なにしてっ……!」


 小さな体躯を貫いているのは、黒い陽炎を立ち昇らせる長剣だった。正確に言えば刀身自体は不可視であるが、剣が纏うどす黒い邪気で輪郭が露わになっている。


 見識用に調整された式神の機体など紙切れ同然。楯と成れたのは奇跡に等しい。


「くそ……父親の不始末を息子に押し付けるなんて、なんて不甲斐ない……っ。ゴメン、二人とも、涼ちゃんを頼んだ……」

「御義父様!」

「……っ!! 走ってシャノ! まだ来る。掠っただけでもただじゃ済まないッ!」


 悔やみを覚える暇もなく雀は全力で地面を蹴り付け、集落へ向けて走り出した。ボロ屑になった式神の形代を回収する猶予さえない。此処にはいない涼と直嗣へ小さく謝罪を残し、眼を付けていた槍と長剣だけを手にシャノンも雀の背中を追う。


「──何あれ、気色悪い」

「アルベルト達は、本当は何を企んでいるのです……っ」


 雀たちは地下空間の端よりにいる為に、中央天井の繭、その亀裂の隙間から覗く巨大な眼球(・・・・・)の全容が嫌でも目に入ってしまう。


 黒い膿の様な眼球内部を三環が回転し、吸い上げた霊力と神経網が中心へ向けて急速に束ねられていく。


 繭に亀裂が奔る。


 雀に仕向けれらた黒剣が再び地上へと降り注ぐ。


 シャノンと同じく会場から堕ちてきた他の参加者や出品者の悲鳴が森へ木霊する。黒剣は雀たちにも容赦なく降り注ぐ。


「数が多過ぎる……!」


 手数重視の魔弾で雀が迎撃しシャノンは致命傷になる剣だけを弾くも、やっている事は雨を一粒一粒弾く事と何ら変わらない。すぐに限界は直ぐに来る。


 しかし予想を裏切り、剣の雨はパタリと止んだ。

 それに合わせて眼球内部の三環が動きを止め、術式の発光が止まり暗転する。


 ほんの僅かな時間地下空間が静寂に支配される。


 失敗か?


 期待にも似た淡い疑問は、直後に木端微塵に打ち砕かれる。


 再び激震が地下空間を揺るがし、それは現れた。


 母親の腹を突き破る様に、巨大な眼玉を天井ごと崩落させた『アルベルト』は、ゆっくりと降下してくる。


「アルベルト……」


 畏怖と驚愕が憐憫が綯い交ぜになり、シャノンは呆然とアルベルトを見上げる。地下空間を睥睨する双眸も姿も、もはや人であった彼の面影すらない。


 全身を支配する邪気の影響で皮膚が全て剥がれ落ちた様に赤黒くなっており、同族から束ねた神経網が左眼を中心に浮き出ている。眩かった金髪は色素を失ったように白化している。


 シャノンから奪った左眼のアレが、権能の魔眼なのだろうか。


 右眼の魔眼と比較すれば一見変化は比較的小さいように思える。神経網が集約していることで些か肥大化しているも、魔眼特有の白目まで侵食した術式模様は見られない。虹彩まで闇色に没した眼球に螺鈿の様な光の揺らめきが見える程度。


 故にシャノン達の畏怖の対象は他にあった。


 アルベルトの左肩甲骨から伸び上がる三枚の翼竜の様な翼と、そこに開いた口だ。左眼と幾重もの神経網で繋がり、独立した器官として蠢いている。


 グジュリと、肉が噛み砕かれる音が降って来たのははたしてシャノンの錯覚か。


 赤銅色の翼を口から垂れた人型が切取っており、口の端から肉と血が零れている。


 うっ、と味が気に食わなかったのか一枚の翼が人形を吐き出した。

 緩い放物線を描いて空に投げ出された人型に、暗闇でも鮮やかに網膜に焼き付く赤いリボン(・・・・・)があった。


「嘘……」


 シズの一族は皆人並み外れて視力が優れている。シャノンも例外ではなく、しかし生まれて初めて彼女は自分の血筋を恨んだ。


 何の抵抗もなく落ちていく──主と慕った青年をシャノンは眼に焼き付けてしまった。かつて此処ではない故郷で命を奪われた同族のように。


「いや……いやあああああああああああああああああああああ」


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