三章・十八節 権能収容する二重術式
「ハァ……ハァ……」
肩で息をしながら涼は排莢と装填を手早く済ませ、予備の銃にも弾薬を込める。
安全と思われる廊下から会場を油断なく見据えながら、残りの装備を確認し、並行して大きな傷を簡単に処置する。
人獣は全て倒されたものの、やはり涼単独で施せる呪詛封じは六体までが限界であった。半数以上の人獣の呪詛が術式へと流れ込み、会場の術式陣が励起しつつある。
可能な限り妨害術式を会場へ打ち込んではみたものの、焼け石に水程度にすらならなかった。
月光を仰ぐアルベルトの霊気は時を追うごとに濃く、そして異質なものへとなっていく。
今まで涼が感じたどの霊気・魔力とも違う経験のない感覚。強いて言うならば聖典儀礼の熾清気に似た一種の神々しさは感じるものの、やはり違う。
無理矢理表現するならば、普段何とも思わない気圧を理解させられている様な感覚とでも言えばいいのか。
いや。それはある意味当然かもしれない。
アルベルトがその眼に降ろそうとしているのは“権能の魔眼”。この世に敷かれたルールや概念が形を成した力なのだから。物理法則を知識として理解出来ても、明確な感覚として表せない事と同義だ。
しかしだからといって指を咥えて傍観するわけにもいかない。涼には術式陣の起動条件は勿論だが、さらにはいつ起動するかも分からないのだから。
「しかし、どうやってあれを止める……?」
自問自答を繰り返す。
圧倒的に情報が不足している立場にある涼は、何でもいいからとっかかりが欲しかった。
宵波涼が十九年間の間に蓄えた霊術、魔術知識を総動員して術式陣を観察する。観察に加えて涼は現状判明している情報を整理し、考察の材料にしていく。
「①あれは魔術じゃあない」
人獣の術式を応用はしているが、基礎となっているのは霊術だ。これに間違いはない。魔眼とは言うが、正確には魔術に匹敵する霊術の一種であるためだ。
「②術式の起点が不明」
人獣との戦闘中もすっと探ってはいたが、あのような大規模術式はまず間違いなく霊脈から力を吸い上げ、原動力としている。その為に術式陣の中には“起点”と呼ばれる小規模術式が必ずあるのだが、現状それが見当たらない。何処か別の場所に設けられていると推察出来る。
「③アルベルトからシャノンの霊気が観測できる」
これも観察で得られた情報。特にアルベルトの左眼と経絡系の一部に明らかにシャノンの霊気が視てとれた。十中八九、彼女から奪った左眼と体組織を移植したのだろう。
権能の魔眼がシャノンの血筋に依存するならが、彼女自身かその組織を簒奪したのは必然だろう。
時間を追う毎に左眼も経絡系もアルベルトに馴染んでいる事から、器としてまだアルベルトが成っていないと見るべきだろう。
「④熾清気に似た感覚が僅かにある」
これは先程考察した通り、熾清気が天使の力を模した力故だからだろう。神話の通り神がこの世の全てを創造したのなら、その御使いである天使の力に似る部分があっても不思議ではない。
「総括、くその役にも立たん」
乱暴に煙草を咥え、涼はそう結論付けた。結局分からない事が分かったというだけであり、何一つ進展していない。
もう一度攻勢を仕掛けようにも、アルベルトを囲う月光の結界は力技ではどうにもならないのは涼自身で証明済である。
やはり今ある情報だけでは行動に移すのは無理があるか。
「いいや。それだけあれば十分過ぎると拙者は背中を押すで候、若き監視官」
「──……候? 拙者?」
時代錯誤どころか現実で口にすれば恥ずかしいでは済まされない一人称と語尾を平然と口にする謎の声。
間抜けなオウム返しこそ口をついたが、涼は壁に這わせていたワイヤーを引き寄せ、声の主を即座に縛り上げた。
「んっ……」
「あらら、縛りプレイとはまた高尚な趣味で御座るな。しかし麗しのミレイはともかくとして、生首添えは流石にマニアに過ぎるぞ。人生の先輩からの忠告だ」
「そのふざけた喋り方を今すぐ……っ!?」
たった今捕えた物を認識して、涼は途中で言葉を呑んだ。
ワイヤーに絡め捕られているのは年若い女性だ。年の頃は涼より五、六上といった辺りだろうが、眼を引くのは髪を掻き分け屹立する三角形の突起物。ド〇・キホーテのコスプレコーナーに置かれている紛いものとは違い、こちらは正真正銘の天然由来。
即ち、獣の因子を備えた魔族・獣人だ。
耳と束縛から運よく逃れた尻尾から推察するに、いわゆる猫人。
ミレイと呼ばれた少女は捕まったというのに殆ど表情を動かさず、逃げようともしない。
しかして涼が驚愕したのは珍しい獣人ではなく、彼女が手にする喋る生首。
呻くように、涼はその名を口にした。
「ヴラド・オルギア……生きていたのか」
涼の反応が気に入ったのか、生首のヴラドはニヤリとしたり顔を浮かべる。
「驚いてる驚いてる。これをやると皆阿呆のように口を開けるから愉快痛快、でござる。ちょっと死んだフリをしてやればコロッと騙されてくれるからなあ」
「如何に生命力に優れた吸血鬼といえど首を断たれれば絶命は免れない。それとも彼女が貴方を延命させているのか?」
「発想が安易なのは減点だぞ、監視官。非常が日常の術師なら、思考を柔軟に視野は広く持つべきだ。考えることは人間の最大武器だ。常に脳細胞を隅々まで使え、でござる」
「……どうでもいいが忍者は暗殺者だ。その『僕忍者』と暴露するような口調は使わない」
「………………まことで?」
「まことです」
「くう……手が無いから顔も隠せない。ミレイ、代わりにやってくれ」
「今は。不可能です」
「そうだったぁ、縛られてたんだったぁ……」
多分、素の反応なのだろう。本気で赤面し上唇を噛んでいるヴラドと、主の危機に焦るでもなく棒立ちするミレイ。
オークション会場でみた強者の威厳の欠片すら感じられず、危うく涼の気も緩みかける。
(思考を柔軟に視野は広く、か)
先輩監視官の由良にも似たようなアドバイスを幾度か受けたことがある。思考を止め、冷静さを失った者から戦場では死んでいくのが常だ。
差し当たってヴラドは自分の絡繰りで準備運動を済ませろと、暗に伝えているのだろう。
もっとも、最初こそ驚いたものの既に涼の中では検討が付いている。
吸血鬼といえど首を断たれれば絶命は必至だ。
発想を飛ばす必要がある。
例えば首を斬られても意味がない──もしくは最初から胴と首が離れている、などだ。
「首無し騎士……デュラハンかスリーピーホロウの血を引いているのか」
「ほほう。良い洞察力だ。流石は直嗣の息子なだけはある。そう拙者は首無し騎士の血族。首と胴は元々脱着可能なリアルDr.スランプ・アラレさ」
拍手代わりなのかヴラドはウィンクを飛ばし涼を称賛する。
──首無し騎士。
アイルランドに伝わる有名な妖精である。伝承ではその名の通り首が無い、もしくは自分の首を吊り下げ馬車を駆る騎士として描かれる。以前読んだデュラハンについての論文では、死を宣告する使者という死神の側面を有している為に、首無しの異形として成立しているのではと提言されていた。
実際に眼にするのは涼も初めてだ。それも、まさかヴラド・オルギアがそうだったとは。
「眷族の楔から貴方が外れているのも、その血筋のおかげか」
「そういう事だ。その件を知っているという事は、拙者の事情については聞いているんだな。いやそれにしても、養子をとったと風の噂で聞いてはいたが、直嗣とよく似ているな」
「そう言われたのは初めてだ。血は繋がってないし、容姿も似ているとは言い難いと思いますが?」
「いやあ、女たらしの素質がありまくりなところとか……ああ、痛い痛いッ! 何故だか拙者だけにワイヤーが喰い込んでっ!」
はあ、と紫煙と共に溜息を零し、涼はワイヤーを義手へと格納した。
『日ノ國巨人』の異名高き直嗣を臆せず女たらしと揶揄するのであれば、彼は間違いなくかつての直嗣の相棒ヴラドなのだろう。
煙草をもみ消した涼は左膝と拳を握った左手を着き、右手を水平に胸に添えるアストレアの敬礼を取る。
「非礼とご挨拶が遅れましたこと深くお詫び致します。自分は宵波涼三等監視官と申します。お会いできて光栄です、ヴラド殿」
「楽にしろ。俺はアストレアから除名された身。蝙蝠たちに出し抜かれた挙句に、その後の御役目も碌に果たせない無力な男だ。貴殿が礼を尽くすには役不足というもの」
「いいえ。貴方が抑止力として立たなければ、今より多くの血が流れていたでしょう。これで礼を示さなければアストレアの名が廃る。自分でなくとも、皆こうするでしょう」
「……勿体無いお言葉だ。少し報われた気分だよ」
ハハハ、とヴラドは笑って見せる。それも僅かな時間であり、直ぐに表情を引き締めた。いつの間にかふざけた口調も何処かへ行っている。
「本当なら直嗣の近況でも聞いておきたいが、いまは時間が無い。涼監視官。我々はこれより協力体制を敷くという理解で構わないか」
「異論はありません。それよりシャノンを救って頂いたようで、改めて礼を」
「……いや。結局は十四年前の二の舞いだ。誇れるようなものではない。彼女はさっきの爆発で?」
「申し訳ない、その通りです。ただ自分の式神がいま彼女に付いているので、無事だという事だけは分かります」
術式を用いた主従契約は期限が過ぎ切れてしまったが、式神栗鼠から間接的に無事は確認できる。かなり下層まで落ちてしまったらしく正確な位置までは判然としないが、少なくともシャノンの霊力を感じることは出来る。
「容態は?」
「治療は済ませています。無理は禁物ですが、身を護るぐらいは出来るはず。それより貴方の身体は?」
「革新派に潜伏している仲間が回収している。交渉時にそれなりに痛め付けられたから、復帰には時間を要するが、とりあえず問題は無い。いまはあの男を止めることが最優先だ」
会場を見やりヴラドは視線を厳しくする。
会場全域を占拠する術式陣はいまも起動準備を着々と進めており、一秒ごとに発する光を強めている。もうあまり時間は無いだろう。
「先程君は興味深い事を言っていただろう」
「……というと?」
「術式の起点が視えない。確かにこの耳はそう聞き取ったぞ」
「確かに言いましたが、そんなもの少し観察すれば……」
「いいや。少なくとも俺には無い事すら視えなかった。より正確に述べるなら、あの術式陣そのものが元より理解の外なのだ。だが君は術理の一端に触れ、既に四点もの足掛かりを得ている」
「!」
「思考を回せ。この世で最も多くの魔眼に触れてきた、この魔眼公ヴラド・オルギアが貴殿の考察を推挙する」
涼が要らないと切って捨てた情報こそが鍵だとヴラドは太鼓判を押す。
もう一本煙草に火を点け、戦闘で消耗した霊力を補う。疲労こそ回復しないが、生命力そのものである霊力が身体に満ち、気分も幾分落ち着く。
四つの鍵の内、何から深堀していくべきか逡巡し、選び取る。
「貴方たちはあの術式陣の全体像をもう把握しましたか?」
「ミレイ」
「現在地を十二時の位置と定義した場合、三時から九時の約半分の領域をチェック済です」
「俺が視て取ったのは丁度残りの半分だ。悪いが書き起こして貰いたい」
「承知致しました」
適当な紙が無いので、涼達は直接床に術式陣を摸写していく。それぞれ自前のペンを走らせ、床だというのに器用に複雑な線と図形を引いていく。
五分もしない内に術式陣の全容が明らかになり、三者三様にこれを囲んで覗き込む。
「どうだ?」
「……」
返事を忘れ涼はいまある全ての情報を嚥下し、噛み砕く。
尊敬する直嗣と肩を並べた大先輩がここまで背中を推したのなら、知恵熱で脳が焼けようと答えを導かなければ男ではない。
主観と客観を入れ替え、発想を転換し、手にした鍵を差し込むに相応しい穴を探り当てる。
「ミレイさん。こことココは確かにこの通りだろうか?」
「はい。不安でしたら、もう一度確認致しますが」
「いや。疑っている訳じゃない。寧ろこうでなくては困る」
「何か掴んだのか?」
一つ頷いて見せ、涼は考えを纏めながら陣のある点を指で指す。
「最初に俺はこの術式陣は霊術だと見立てましたが、所々で星辰魔術や錬金術のエッセンスが組み込まれて、絶妙なバランスで成立している。例えばこのあたりは比較的分かり易い筈です。一見しただけではかなり分かりにくいですが」
「………………本当だ。だがかなり古い。下手をすれば古文書レベルだぞ。よく気付いたな」
「俺は今回のオークションで貴方とパイプを作るために、シズの一族を似せた人形を製作しました」
「? ああ、閲覧したが素晴らしい出来だったぞ。だがそれがどうした?」
「アルベルトとシャノンをモデルに眼の解析をしていく中で、俺はシズの眼に宿る術式の輪郭程度は解明したと自負しています」
「何ッ!?」
驚愕の声を上げるヴラドの横で、涼は解析途中のシズの眼、その構造式を儀式人の横に書き記す。
「少し、似ていますね」
「確かに。だがこちらの方が遥かに複雑で広大だ。どういうことだ?」
ミレイに同調しつつも、ヴラドは元々悩めていた頭を更に悩める。自他共に最も多くのシズの眼と魔眼に触れてきた彼でさえ、答えの糸口さえ掴めずに足踏みしている。
涼とて考察に考察を重ね、仮説で切り張りした継ぎ接ぎの推察を述べているだけであり、当然自信はない。
間違っているかも知れない、という恐れを撥ね退けてもう一歩前人未到の叡智へと手を伸ばし続ける。
「これは持論ですが、恐らくシズの起源は権能の魔眼なのでしょう。世代を経るごとに様々な能力が入り混じり、いつしか能力は素質へと変質していった。魔眼は正確にはシズの眼を加工したのではなく、能力を抽出したというのが正しい表現なのでしょう」
「確かに、祖先は一世代毎に累乗的に増えていく。能力の原型を留めるのは困難だろう」
術師がその技術を伝承するに相応しい子孫を求める様に、同じ術式だろうと継ぎ手が変われば変化は免れない。
「ならあの術式陣は、過去の再現。そうか! 星座の力を借りる星辰魔術が組み込まれているのは、当時の空を再現する為かっ」
「恐らくは。ただそうなると、起点が視えない理由もわかる気がします。ほら、妙な所に地球の記号がある。魔眼公ならこの意味分かりますでしょう?」
「んん……──なるほど、月か。月を中心とした空で術式が組まれている」
頷いて涼は肯定してみせる。
月というのは古くから魔術の象徴とされてきた衛星でもある。潮の満ち引きや出産が月齢に影響される事などが理由に挙げられるが、宗教信仰が厚い地域では更に別のファクターがある。
──それが魔眼だ。
旧約聖書エクノ書によれば、月の支配者たる大天使サリエルは魔眼の始祖とされている。見咎めた者のを一瞥で殺める強大な力。死そのものに等しい強大な力を持つゆえにサリエルは堕天使に部類される事もあるが、どちらにせよアルベルト達が求める力の象徴である事には変わりない。
「天使……そう天使だ」
起点が無いと直ぐに見抜けたのは、正に天使に縁ある術式を眼にした事があったから。
思い起こすのは五輪市の天文台にひっそりと隠れ住んでいた魔術師、国枝忠隆。
彼はほぼ独力で天使の創生の研究を行い、不完全ではあるが一定の成果を収めている。彼の存在を知り一応工房の査察はしたが、あの時は人獣事件の後始末に追われじっくりと検分している時間が無かった。
国枝が構築していた術理は、部分的に会場の術式陣と共通する点が多い。例えば国枝は三つの円環を用いていた。オークション会場も第一から第三に区分けされており、同じく三環構造を取っている。
偶然の一致ではあるまい。
主の力を権能と定義するならば、天使は主の御業を運ぶ御使い、器に過ぎない。ならば権能と天使を結び付ける事も頷ける。
「整理しよう。会場に展開されている術式陣はこの場を空と定義し、その中心に立つあのアルベルトという男に月、即ち権能の魔眼を降ろすためのもの。仮にこれを“月天の儀”とでも呼称しよう」
「ええ。起点が無いのはそもそも二重構造なのでしょう。此処より地下に霊脈から力を供給する“地母の儀”とでもいう術式が……まずい!」
横目に見るアルベルトの口角が釣り上がった気がした。
次の瞬間、ずうん、という空間そのものを揺るがす様な莫大な霊力の津波が駆け上がってきた。
遅かった。術式が二重構造であるならば、涼たちの手が届かない場所に“地母の儀”が敷設されている事は必然。オークション・ラヴュリンスというこの迷宮にはうってつけだ。
術式が完全に起動し、月が落ちてきたような凄まじい光が全てを白で塗り潰す。
漂白された世界で、涼は見た。
幾何学文字で形勢された三環の中心で、人獣の眼球から剥がれた神経網がアルベルトの左眼へと集約されていくその光景を。
──そして、権能の魔眼はあっさりとオークション会場の人間を刈り取った。




