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三章・十六節 衰退か復権か

 十四年前。


 シズの一族はある運命に直面し、二つの選択肢を迫られていた。


 即ち『衰退』か『復権』か。


「かつての【魔眼部隊】の猛威は私達には既に遠いものです。ですが当時の一族の長は【魔眼部隊】の非道を嘆き、二度と同じ過ちが繰り返されないように、今日に至る一族をも縛る呪詛をかけたのです」

「力の衰退、か」

「そうです。大戦時と現代の魔眼に力に開きがあるのは、呪詛のおかげです」


 最後の部分はどこかほっとしている様な声音だった。


 涼の治療を受けながらシャノンは語る。ずっと胸の内に仕舞っていた真実を。


「呪詛は一息に力を奪うことはせずに、世代を経るごとに徐々に削ぎ落とす仕組みでした。次の世代では更に衰弱し、やがては僅かな痕跡を残すのみで魔眼の素質は消えるはずでした。ですが──」

「それを良しとしない奴らがいた。……アルベルト達のように」

「はい……」


 魔眼の力は極少ない北欧の巨人の末裔を除けばシズの一族特有のものだ。大戦以降人体蒐集家の脅威にさらされ続けた一族にとっては、眼は身を守るこれ以上ない武器でもあった。特に森奥深くで暮らしていたシャノン達とは別に、社会に溶け込んでいた一族ではその脅威は計り知れない。


 奪うか奪われるかを常に迫られるならば、圧倒的な力で主導権を握ろうと考えるのは当然の帰結であろう。


 しかし、彼等の力は例外なく衰え先細りしていくばかり。彼等が文明の灯を享受するにはあまりに社会は不条理に過ぎ、障害が多すぎた。


 人体蒐集家らにもやがてシズの衰退は知れ渡り、状態のよい時代のうちにと狩りはエスカレートするばかりであった。


 無残にも眼を奪われた彼等が【魔眼部隊】の影を追う結果となったのは、必然だったといえよう。


「仮に私達を『穏健派』。アルベルト達を『革新派』とします。革新派は全盛期の力を復活させるために『穏健派』である当主に掛け合い、決裂しました」


 元々社会に身を置いた革新派の一族は、森での生活から脱却し文明社会と生きる道を選んだ者たちだった。魔眼部隊の隊員もまた、同じく革新派の血族。思想が根本から異なった。


 話が少し見え始めてきた。


「力の衰退と復権。どちらも根本は同じ“権能の魔眼”か」

 瞑目したシャノンが小さく頷く。


「旦那様は私達の眼は特殊なネットワークで繋がっている事を突き止めておられましたね。権能の魔眼の能力の一つに、そのネットワークを介して一族の力を調律(コントロール)することができるのです」

「……まさに権能だな。支配者の振るう権威の具現だ」


 術師が口にする『権能』とは術理ではなく、ルールそのものを差す。


 例えば照の編纂魔術は術師である彼女の理解が及ぶ術理であれば、悉くを意思一つで解体する魔術だ。理解→解体と手順を具現化しているだけであり、独自のルールを制定しているわけではない。


 対して権能はその逆。権能の魔眼は衰退という機能(ルール)をシズの一族に問答無用に押し付け、その支配下に置いているのだ。逃れる術などない。


「衰退の呪詛を解除するには同じく権能の魔眼の力を要する。根本から思想が違えば辿る末路はいつだって闘争だ。……まさかとは思うが、革新派は吸血鬼と結託して君らの故郷を襲ったのか?」

「……残念ながら、その通りです」

「浅はかなっ」


 権能の魔眼を穏健派が押さえている以上、革新派は俎板の鯉と同じだ。能力が眼にに限定されると楽観視することは危険極まりなく、結果として革新派は一族の支配下から抜ける手段が必要だった。


 シャノンとの同調でみた、あの赤と碧の両異色(オッドアイ)の人影。もしやと危惧はしていたが、涼の見立ては当たっていた。


「──吸血鬼化して一族の楔から逃れたのかっ!?」

「そう言うことです。私達は内部分裂の果てに、吸血鬼を故郷に招き入れてしまい、多くの同族が眼を奪われました」


 滑稽でしょう、と力なく笑うシャノンに、涼は何も言葉を返せなかった。


 何もかもが擦れ違い、辿り着いた先が自滅まがいの分裂だ。家族は亡くなり、故郷を追われ、同族は散り散りになった。当時たった五歳だったシャノンにはあまりに苛酷な運命だ。


 攻め込んできた純血の吸血鬼は実のところそれほど多くは無かった。シャノン達の故郷を襲撃したのは袂を別った同族に他ならない。


 眼の力が互角であれば、後は純粋な生物としての規格(スペック)で勝敗が喫する。どちらに天秤が傾くかなど、最早語るべくもない。


 ただ一点、涼にはどうにも腑に落ちない点があった。


「十四年前まえならアストレアのEU支部がまだ健在だったはずだ。それだけの吸血種が動いていたのなら彼等が絶対に気付かない筈がない。その頃は俺の義父だって向うに滞在していたはずだ」


 いまでこそEU圏でアストレアは影響力を弱めてしまったが、当時は聖王協会やGHCに勝るとも劣らない勢力を維持していたのだ。涼は資料で知るのみだが、支部でありながら東京の本部に継ぐ規模と優秀な構成員を何人も抱えていた。


 特にヨーロッパは吸血鬼の活動が活発な地域だ。アストレアのみならず、聖王協会やGHCとて吸血鬼の動向には常に警戒を払い、網を張っている筈だ。


 だが実際に悲劇は起きてしまい、それほど大規模な吸血鬼との戦争があった事など聞いた事すらない。


「……いえ。アストレアは事前に革新派の動きを掴んでいました。というより、革新派に潜伏していた私の叔父がアストレアに告発したのです。当主はアストレアEU支部に協力を仰いで、事の対策に当たっていた筈です」

「なら何故……」

「私も詳しい事は存じ上げません。私は早々に森から逃がされてしまったので……。ですが動きを気取られない様に先んじて故郷に常駐していた少なくないアストレアがいた事は確かです。ですがEU圏でアストレアが急速に力を失った時期も、同じく十四年前頃だったはずです。憶測になってしましますが、恐らく当時の御義父様方は……」

「──シズの故郷と同じく襲撃を受けたという事かっ」


 これが本当であれば、涼が知る記録と真実はまったく異なる。


 EU支部は聖王協会と保有する霊地の利権争いに敗れたことを契機に政治面で遅れを取ってしまった。さらに追い打ちをかける様に三年後のリーマンショックの影響で経営難に陥り、規模を縮小せざる負えなかったというのが表向きの顛末だ。


 吸血鬼との大規模抗争の片鱗すら資料には介在していなかった。


 いや、あるいはそれがヒントだったのだろう。


 吸血鬼の庭であるEU圏であれば、経済面より奴らとの衝突をまず疑うべきだったのだ。


 涼は己の判断の甘さを改めて呪う。第一種指定魔族が関わる案件の底深き闇を宵波涼は計り間違えた。


 客観的にみればそもれ致し方ないことではある。彼が三等監視官として任命されたのはほんの二年前程。三等の地位に立つ平均年齢を大きく下回る現実を顧れば、涼の経験値はいかにも乏しい。


 それでも、涼は自己嫌悪の念をその場で切って捨てた。いま考えるべきは「ああすれば良かった」というIFではなく、今何を成すべきかである。


 メッセージカードを涼に残した主は、アストレアの識別コードの件からを鑑みてヴラドとみて間違いない。ヴラドに関する記録に関しては一通り頭に入れているが、十四年前以前は偽装とみて判断していいはずだ。


 会場を見れば第二階位では異例の額で落札価格を釣り上げ続ける、魔眼公・ヴラドの首。


 魔眼への抑止力であり続けた彼の死を祝福するかのように、蒐集家たちが持ちうる財産をもって魔眼公の最後を彩ろうとする。


「貴方は十四年前から闘い続けてきたのか……?」


 第一種指定魔族。討伐不可と判断され、略奪を黙認された魔族。汚名を一身に受け魔眼を狩り続けたのは、果たせなかった約束を守るため。


「その通りだ」

「!?」


 いつの間にか帰還していた式神栗鼠から耳に馴染んだ声が発せられる。眼前の栗鼠は知らぬ間に細工が施されていたらしく、それが今発動したのだろう。


 声は涼の義父・宵波直嗣のもの。


「義父さんかっ」

「そうとも、パパだぞ~……なんて普段ならお茶らけたいけど、これは自動音声プログラムなんだ。涼ちゃんがヴラドの正体に辿り着いた時に真実を語る様勝手に機能を差し込ませてもらったんだ。簡単な受け答えは出来るけど、基本的には一方的な会話になるよ」

「旦那様の、御義父様」

「君がシャノンちゃんだね。せっかく家に来てくれたのに結局顔も見せられなくて申し訳なく思ってる。……大きく、綺麗になったね」

「──あの時、故郷の村にいた……」

「そう。あれ僕だ。接触は必要最低限になっていたから、お互い遠目にみるだけだったはずだけど。人間意外と覚えているもんだね」


 ほんの少し湿り気を帯びて直嗣は静かにシャノンの無事を喜んだ。それも瞬きほどのことで、次にはもう感傷の気配すら失せていた。


「時間が無いようだから手短に語るとしようか。察しの通り、ヴラドは元アストレアの監視官だ。加えて言うならアイツはEUでの僕の相棒でもあった」

「やっぱり義父さんもシズの一件に関わっていたのか?」

「まあね。GHCとの接触があった時点でフラン様から許しがあるまで口止めされてた。ゴメンね、大変な時に力になれなくて」

「申し訳ありません」

「いや、非常事態だ。仕方ない」


 直嗣だけでなくシャノンまで目を伏せ謝るも、涼には咎める理由もない。


 シャノンの大きな傷を塞ぎきり、ボロボロの衣服の代用でシャノンにコートを羽織らせる。


「シズの一族当主の救援要請を受けてEU支部はまず僕とヴラドと数名を常駐させて、君達の言う革新派と接触した吸血鬼の足取りの調査に取り掛かった。時間こそ多少要したけど、革新派の決起日を突き止めていたんだ。それまでにシャノンちゃんたち穏健派を別の場所に避難させようと御当主を説得したけれど、一族が代々受け継いだ土地を離れるわけにはいかないって、あの地を動かなかった」

「あの土地は一族の開祖が“権能の魔眼”を降ろした聖地でもありました。そう簡単には離れるわけには……」

「ああ、ゴメン。責めてるわけじゃないんだ。どう転んでも結果は大きく変わらなかった公算が高かった」

「……二重監視か」

「そう。僕らの計画は筒抜けだった。革新派が動き出す前に奇襲をかけようとEU支部は準備を進めていたけれど、相手は遠視の魔眼、俗に言う『千里眼』の保有者を秘匿していた。あれを見抜けなかった時点で僕らはほぼ詰んでた」


 直嗣は軽い言葉使いで淡々と語っているが、ことはそう軽くはない。


 『千里眼』はラヴュリンスでも第一階位で取引される超一級品の魔眼だ。千里眼は大気の霊子に自身の霊媒を投射し、遠方に視覚を飛ばすことが出来る幽体離脱に類似した能力だ。


 感覚は視覚に限定されるが式神や使い魔を介さない為に逆探知が非常に難しく、大気中の霊子を利用する為に視え方は音響反射やレーダーに近い。


 対応策は極限られた手段に限られる厄介な能力。この能力を発現した記録は、現在までたったの四例。内一つが魔眼部隊であり、魔眼部隊を最強足らしめた理由の一つだ。


 EU支部が見抜けなかったのも無理はない。涼が革新派の人間であっても如何なる手段を通しても秘匿するだろう。


「EU支部は決起日の半日前に吸血鬼の奇襲に見舞われたんだ。恐ろしく強い個体に統率されていたらしくて、EU支部は半壊。アストレアの戦力は僕とヴラドたち常駐側数名。革新派は大部分は無傷で、シャノンちゃんたちの故郷へ進行を始めてしまった」


 不幸中の幸いにも常駐組の一人が早々に異変を察知したことで、完璧な進行だけは免れた。


 それでも鬼化した革新派に加え、EU支部を襲撃した統率者と同格の強力な個体が混じったことで、直嗣たちの防衛線は突破されてしまった。


 あとに起きた惨劇は広く知られている通り。


 シズの一族は眼を奪われ、抵抗するものは首を刎ねられ、ある者は吸血鬼の餌食となった。


 アストレアEU支部は穏健派の救援を果たすこと叶わず、半分以上の一族が残酷な末路を辿った。


 シャノンのように逃げ延びた一族は蒐集家に眼から逃れるために、身分を隠し何処かの組織に身を潜めるほかなかった。


「アイツが……ヴラドが吸血鬼にされちまったのは戦いの最中だった。半死半生の状態になるまで剣を取ったアイツを気に入ったのか、シュリダンと名乗った吸血鬼がヴラドに血を分けた。でもあの馬鹿はその場で腹を裂いて自決しようとしたんだ」

「だが死ねなかった。人間を超越した再生能力が人としての死を取り上げた、か」

「旦那様っ。失礼ですが御言葉が過ぎます……」

「いや。いいんだシャノンちゃん。切腹は何も不発に終わったわけじゃなった。僕らは可能な限り穏健派を逃がしてから、何とかあの場を脱出して緊急避難場所の天然洞窟に隠れて救援を待った。夜戦病院みたいな有様で、戦いの傷で仲間はバタバタ死んでいったけど、吸血鬼に変貌しかけてたアイツは七日七晩生き続けて、ヴラド・オルギアは不完全な吸血鬼として命を繋いだんだ」

「不完全……?」

「生と死の狭間を彷徨ったことで、鬼化の変貌プロセスに異常が生じたのでしょうか?」


 シャノンの推測に、直嗣栗鼠は頷いてみせる。


 通常、吸血鬼に血を分け与えられた者は、与えた者の眷族となり従属を余儀なくされる。


 だがヴラドの場合、変貌中であったヴラドの身体は再生と破壊の坩堝と化し、結果として多大な力のみを残し彼は血の従属から解き放たれたのだ。


 これが何を齎し、ヴラド本人が何を求めたか。既に答えは出ていた。


 人間でも吸血鬼でもない、成りそこないの魔族。どちらに属することもない実に半端な立ち位置を得て、彼は過去を切り捨て己の正義に尽くすことを選択した。


 アストレアもまた、彼の覚悟を汲み取り尊重した。


「アストレアはヴラドの出生記録、学歴、戸籍──あらゆる痕跡を抹消し、アイツに無期限の任務を課した。魔眼部隊の再演を望む全てのシズの一族の抹殺、そして悪逆の徒に渡った魔眼の回収・破壊。これが第一種指定魔族へ制定の真の理由だよ」


 たった一人で背負うにはあまりにも重い、使命と汚名だった。


 それは魔眼に連なる畏れを悉く自身へ集約させる事に他ならず、過剰な全ての魔眼が消えない限り永遠に覚めない悪夢。


 魔眼公の名は畏れへと昇華させ、抑止力として君臨する。一体どれだけの犠牲を払えばいいのか。


 それでもヴラドはやった。


 作り上げられた空想の戦歴と畏怖を本物にするために、狩り続けた。


 首を差し出し、商品として辱められようとも。


「すまない、義父さん。いまの俺では落札することも力ずくであの人を取り返すことも叶いそうにない」


 ヴラドの首は間もなく落札されようとしていた。


 涼の人形が売れようとも、とてもではないが手の届かない額だ。


「いや、いいんだ。いま告白したのは何処の記録にも残っちゃいない。本来知られる事さえアイツは望んじゃいない筈だ。アイツだってシャノンちゃんを守れたんだったら本望だろ。それに今弔うのは早すぎるんじゃないかい?」

「そうだな。まだ終わってない」


 アルベルトが革新派の思想を引き継いでいる以上、この事件は十四年前から未解決。


 過去はどうあれ、涼が討つべき相手は依然変わっていない。


「今更の確認だが、権能の魔眼はまだアルベルトらに渡っていないという認識で構わないかのか?」

「……申し訳ありません、旦那様。確かに無事のはずなのですが、状況が変わってしまい、そうも言えないかもしれません」

「どういうことだ? 俺はこのブローチがその権能の魔眼で、君がその継承者だと踏んでいたのだが?」

「それ自体は間違いではありません。実際にそのブローチをもって戦後に一族は衰退の呪詛を受けました。ですが──もう壊れかけなのです。強力な魔導具である事には変わり在りませんが、もう一度一族の眼に干渉できるかどうかは……」

「待て。それでは前提が何もかも瓦解するぞ。ならアルベルト達は何をもって力を取り戻そうとしている?」

「お忘れでしょうか? アルベルトはブローチではなく、私自身に固執していたはずです」

「……!」


 確かにシャノンの指摘通りアルベルトは特別ブローチ自体には執着していなかった。「シャノン様」と彼女を仰ぎ、慕って事からも嘘ではないだろう。


「これは私自身もつい二年前まで知り得なかった事なのですが、私には権能を継承する為の血が流れている様なのです。両親からもこのような話をされたことは無かったのですが……」

「もしかしたら当主は十四年前の悲劇を予測していたのかも知れないね。権能が血筋に依存するなら、身分を偽ることはとても有効だ」

「だとしたら君は誰からそのことを聞いた、アルベルトか?」

「いえ。アルベルトは三年程前にとある組織に捕まっているところを私のチームが助けたことで知り合いました。血の秘密はある時突然現れた『スー』と名乗る人物に教えられたのです」

「スーだと!?」

「ご存知でしたか?」

「確か……去年俺が出品した人形を競り落とした奴がそんなふざけた名前だったはずだ」


 あれ以降何度かスポンサー契約の申し出のメールや葉書がしつこく入り、あまりに鬱陶しいので仲間に依頼して送り主だった老齢の資本家を叩き潰していた。


 殺してはいないが、涼への接触を禁ずる旨の誓約書を書かせ、さらに数年間金運を著しく下げる呪いをかけた上で彼の持ち株を全て没収した。


 シャノン達に接触した『スー』と同一人物かどうかは疑問である。失敗に終わった革新派の計画の歯車を動かす程だ。奴も今回の件に噛んでいると見積もって間違いないだろう。


「アルベルトが変わり始めたのも、丁度その頃です。十四年前の悲願達成を掲げ、一族の再興を謳い、各地に散ったかつての革新派の一派を集めました。奇しくもヴラドの存在が結束を強める結果となって……。彼は私を旗頭に、再興の象徴に仕立て上げるつもりだったのでしょう」


 シャノンの話を聞き、涼は大きく舌打ちを鳴らした。どうりで涼の“赤服”の呪詛を無理矢理に剥いだわけだ。


 シャノンの身体は経絡系を中心にまるで内部から焼き切られた様な裂傷が多数みられた。


 これは術師には馴染みのある傷、『過剰活性(オーバーヒート)』と呼ばれる経絡系の摩耗現象だ。


 原理は運動などで筋肉が疲労・損傷する事と同じ。霊力や魔力の使用で酷使された経絡系が摩耗し、場合によっては漏れ出た霊力・魔力によって付近の組織が傷つく。


 その原理上、通常は体表まで身体が裂けるわけがないのだ。人間はそんな傷を負いながら体機能を酷使する事など出来ない。


 あれほどの深手を負わせるには、電気椅子まがいの手法に限られる。即ち、外部から異常なまでの力を流され、身体が内から破壊されたのだ。


 首の裂傷が特に酷かった事から、無理矢理にでも呪詛を取り払いシャノンの眼球を手に入れる必要があったのだろう。


 権能の血筋というシャノンの話とも、反吐が出ることに矛盾しない。


 何故シャノンが今こうして解放されたか不明であったが、もし“あの術式”をアルベルトが知っているとすれば、それにも説明がつく。


 忌々しい記憶が蘇り、義手の付け根が痛む。


 一刻も早くあの男を止めねばならない。


 だがその前に──


「……一つ、確認しておくことがある」


 シャノンの傍で膝を付き、涼は視線を合わせる。


 場の流れでそうだろうと勝手に解釈していたが、涼はいまだハッキリと彼女の口から聞いていない。


「シャノン。俺はアルベルト質の悲願をアストレアとして阻止するつもりだ。だが君自身は一族の今をどう思っている? この先どう生きたい?」


 行き着く先こそ厄災が待ち受けているが、革新派の動機は至極人間的だ。欲望に命と尊厳を踏みにじられ平然としていられるわけがない。


 持って生まれた能力を誇りに思うか、あるいは呪いと嘆くか。


 遠くない未来に潰える一族の呪いに抗うか、それとも亡き(ともがら)の願いを汲み取り運命を受け入れるか。


 涼は問う。


 亡き故郷の想い衰退を選ぶか、簒奪された同胞に報いるべく再び魔眼の一族への復権を望むか。


 シャノン・コーデリオンはどちらの道を選ぶ。


 痛む身体を押して起こしシャノンは涼と正対する。


 遺された右眼には憂いや悲壮の感情が揺らめいている。


「正直、アルベルト達の憤りも私は理解できるのです。この十四年間少なくない同族の死を見てきました。こうして片目を奪われても、私は心の底から彼を恨めないでいる。けれど──」


 止血体で作った粗末な眼帯に手をやり、シャノンはそう告解する。


 少なからず彼女に触れてきた涼にしても、半ば予想できた答えではあった。


 シャノンは優しい。苛酷な運命に放り込まれながらも、腐らず、逃げず、現実を直視してきた。涼のとの主従関係に大した不満も見せず、粛々とこなしたのも彼女の素直な性格故だ.


 もしシャノンがアルベルト達の願いを尊重したいというのであれば、それも仕方がないだろう。心苦しくはあるが、もう一度彼女と矛を交える事になる可能性は常に頭にはあった。


 彼等は馴れ合いではない。味方でも、仲間でもない。


 敵か、無関係か。0かマイナスかのどちらかにしか成り得ない立場だ。


 だからこそ、宵波涼はシャノン・コーデリオンに問うた。


 今に何を見る? 君は何を成したい?


 様々な感情が綯い交ぜになるシャノンには、それでも迷いだけは介在していない。


「──けれど、同族の死を理由に復讐を正当化することも私は絶対に許容できません。どれだけ凄惨な過去があったとしても、同じ過ちを繰り返せば亡くなった同族の決意が無為になる」


 矛盾ではない。


 魔眼への欲求がこの世にある限り、どうあっても悲劇は免れない。


 アルベルトの怒りは至極当然のものであるが、シャノンの決意もまた尊重されるべきものだ。


 善悪に区別できるものではなく、答えなどそもそも存在しないのかも知れない。


 それでも、答えを探すチャンスそのものを潰す様な所業だけは絶対に避けないとならないだろう。


「旦那様、遅ればせながらどうかアルベルトの計画の阻止にご協力下さい」

「元からそのつもり──しっ!」

「んっ……!?」


 不意に涼の言葉が途切れ、厳しい表情でシャノンの口を塞ぐ。


 手すりに駆け寄り会場に視線を走らせる。


 涼の不可解な涼の挙動に困惑を覚えたシャノンだったが、次の瞬間身体に低く響く振動が届いた。


 他の参加者たちも気付いたらしく、一様に顔を見合わせ微かにざわつく。


「いまのは……雀、ですか?」

「ああ。だが俺が感じたのは……」


 揺れは此処より更に地下からのものに感じた。会場より更に地下へ空間が広がっている事に驚きはしないが、雀がこの船に震わせるだけの魔力を行使したという事実に涼は微かに焦りを覚える。


「おい、何だあれは!?」


 誰かの叫びを受け、涼達は反射的に顔を上げた。


 最初、それは月かと錯覚した。


 しかしそれが膨張した白い肉塊(・・・・・・・)だと認識した瞬間、涼は全力で叫んだ。


「逃げろおおおおおおッ!!」


 殆ど滑空するようにシャノンを抱えて廊下に飛び出た直後、白い肉塊──複数体の人獣(・・)の塊が内包する呪詛を炸裂させた。


 オークション会場に吹き荒れる爆風と呪詛の嵐。


 壁を安々と破き、瓦礫が散弾のように涼達に殺到する。


 だが爆風が到達するより早く、涼は術式の展開を終えていた。


 ばら撒いていた数枚の火行符に霊力を通し、手印を結び速攻で術式を組み立てる。


「暁紅の威をもって、我らを厄災から護りたまえ! オン・アニチマ・マリシエイ・ソワカ」


 火行符が淡い光を発し、涼達を強力な結界が覆う。仏教の守護神・天武の一柱である摩利支天の真言。陽炎を神格化されたこの女神の加護の元、涼たちを疑似的に存在隔離し、厄災を払いのける。


 再びドドドっ──と轟音と共に火柱が上がった。


 激震と爆風、結界ごと涼達を襲う衝撃。永遠とも思える破壊の渦中に曝され、先に床が限界を迎えた。


 浮遊感を意識する間もなく、涼は壁にナイフを突き立て落下から免れた。が──

「ぐうっ……!」

「いけません。旦那様っ」


 義手で自分を含め二人分の体重を支えるのは無理がある。既にナイフを握る義手の付け根からは血が滲み、接続部位の肉が引き千切られようとしていた。


「私を……」

「黙っていろッ」


 悲鳴混じりのシャノンに涼はそれ以上言わせない。馬鹿な考えを拒絶するように強く彼女を抱き寄せ離さない。


 だがこれは奇襲だ。そうである以上邪魔者を排除する次の一手は既に仕掛けられ、涼達に容赦なく襲いかかった。


 それに涼が気付けたのは自分ならいまこの瞬間に畳み掛けると無意識下で共感していたのと、単なる偶然。


 肌に爪を立てられた様な独特な霊力の迸りを感知するや、脇腹に鋭い痛みが走った。


 咄嗟に身を捻ったものの一瞬遅く、見えない刃に斬り裂かれた涼の表情が苦痛に歪む。


 さらにその痛みで腕から力が抜けてしまい、シャノンが奈落へと堕ちていく。


「しまっ──」

「私は大丈夫です。それよりも気を付けてッ!」


 瓦礫と共に重力の手に引き摺り落とされる金と碧の輝き。それでも存外にしっかりとした声に、涼は乱れかけた平静を保つことが出来た。


「──義父さん!」

「うん!」


 直嗣の疑似人格を搭載した式神栗鼠とブローチを涼はシャノン目掛けて投げ飛ばした。


 やや狙いが逸れてしまったが、涼の意図を組んだシャノンが咄嗟に広げたコートでキャッチしたことを、涼は確かに見た。


 彼女とてGHCの祓魔師。この程度の修羅場は潜っているだろう。ならば意識を傾倒すべき相手は他にいる。


 爆風と轟音が収まると、驚いた事に会場は時を巻き戻したように復元し始めた。


 床は火柱にほど近い部分だけが崩落したのみで、もっとも損傷が激しい天井を残して既に原型を取り戻しつつある。


 白い肉塊にとって代わる様に、天井の大穴から月が姿を現し、中央の舞台に月光を注いでいた。


 そこに立つ人影。


 まるで月の寵愛を一身に受ける様に悠々と佇む男を視界に捉え、涼の思考がガチリと入れ替わる。


 怨敵必滅。


 半分の煙草をすべて霊力に変換し、涼は己が敵の名を叫ぶ。


「アアアァルベルトオオオオッ」


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