三章・十四節 競売迷宮『オークション・ラヴュリンス』
「今を生きるシズの一族に、以前の力は宿っていない。魔眼の素質は先細りするばかりで、いずれ潰える運命だ」
そう聞かされた瞬間こそ雀は動揺したものの、彼女は直ぐに自分が関わるべき問題ではないと割り切っていた。
薄情と言われればそれまでかも知れないが、少なくとも彼女の能力を超えているのも、また事実。涼のように義眼を用意出来るわけでも、ましては力を復活させる方法も手段も持ち合わせがない。
事情が詳らかになろうと、彼女自身が矛を向ける理由は最初から変わらない。アストレアとシズに因果関係があろうとそれは同じ。あくまでも雀は個人として火種を消し飛ばしに来ただけで、小難しい事情に首をつっこむ気は端からなかった。
少なからず交友を深めたシャノンには肩入れはしようが、アルベルトに関しては同情の余地はない。
叩き潰す相手が変わらない以上、雀はありのままである。
夕方からの競売まで涼は休むといってベッドに転がり込んでしまったので、雀は船内を探索することにした。本当はもう少し泳ぎたかったのだが、例によって涼は一切着崩さない完全防備。自分だけ水着姿を披露するのは不公平感があってやめてしまった。
ホロウを案内役に雀は広大な船内を気ままに練り歩くが、流石は豪華客船といったところか。プールや高級レストランなどは序の口。地元の映画館より立派なシアターや図書館を備え、フロアを跨げばカジノや劇場といった外国の様相を見せる。数十万円は下らないだろうブランド服やバッグがコンビニ感覚で売られる光景は流石に苦学生にとってはただの異世界である。
もっともこのあたりのフロアはまだ大人しい部類だろう。とあるフロアに差し掛かろうとしたあたりで、それまで案内役に徹していたホロウが遠回しに警告してきた。
余計な口を挟んでこなかっただけに、雀は素直に彼の忠告に従いその場で踵を返した。後になって知った事だが、あそこはいわゆる成人男性御用達のエリア。間違っても雀が利用する理由はなく、利用される側になるような事があれば舌を噛み切って死んだ方がマシである。
「せっかくだから競売品の展示スペースを覗いてみるといい。第三階位なら比較的大人しいものが多いぞ」
眠りにつく前に涼がその様な事を言っていた事を思い出し、雀はホロウに展示スペースにまで案内させた。
魔眼、つまり眼球が売りさばかれておいて何処が大人しいのかと訝しんだものの、いざ脚を踏み入れれば煌びやかな品々が陳列しており、不覚にも雀は気圧された。
「うっそ……キルケーの魔杖の欠片!? なんでこんなもんが売り飛ばされてんのよ。え、いや冗談でしょ、『イーリアス』の原典っ……! これが本物なら、聖王協会が力ずくで奪いに来る聖遺物でしょ。」
ガラスの向こう側に整然と並ぶ歴史的遺産の数々に、雀は幾度となく立ちくらみに襲われる。何百という術師が生涯を犠牲に探し求めているであろう学術的品々の数々、それが高額とはいえ金銭で取引される暴挙。
雀の研究分野は過去の遺産にはあまり触れていない為にまだ衝撃は小さい方だが、もし生粋の学者肌である照が眼にした日には怒り狂い千の罵詈雑言を浴びせるだけでは飽き足らず、最悪競売そのものを破壊しかねない。
「……これは大ぴらに開催出来ない筈ね。聖王協会が黙ってないもの」
「左様です。ですが今年は多少眼を引く品が少ないようですね」
ウソでしょ……。
開いた口が塞がらないとはこの事か。
寿命が縮まりかねない品々を前にして魅力に欠けると宣うこの透明人間の神経を本気で疑う。もういっそ自分の手でこの船を沈めたい気分ですらある。
「第三階位でこれなら、いったい第二からはどんな希少品がならんでるのよ……」
「過去の取引では第二階位では秦の始皇帝の不老不死薬、古代イスラエル王・ソロモンの指輪、いまだ生きながらえる平将門の首、などがありました。あとは──」
「……もういいわ。目眩で死にそう」
想像以上に出鱈目なラインナップに本格的な体調不良を覚える。ホロウが列挙したものは全て伝説級の遺産そのものであり、使い方次第では国さえ傾く事さえあり得る。ここに照がいなくて本当に良かった。
気を取り直しつつ展示スペースを見回っていると、リストで見た“隻影の魔眼”を見付けた。添えられている備考を見れば、十一年前程に成人男性の眼から加工されたものと記載されている。涼が言うところの“現代の魔眼”。
一通りスペースを見回り展示フロアの出口が見えかけた頃、雀はとある作品の前で脚を止めた。
人形だ。
涼が製作するものと同じく細部に至るまで精緻に作り込まれた、それこそ動きだせば人間となんら遜色がない精巧な人形。作風の差異こそ散見されるものの、贔屓なしにしても雀の眼には涼のそれと完成度は何ら変わらない様に思える。
「これと涼ので、第一と第三の開きがあるものって何よ」
確か涼本人は稀少性だか唯一性と言っていた気がする。あの場では何となく納得しかけたものの、こうして他の作品と比較すれば、ケチを付けるわけではないがその理由はさっぱりである。
「おや。知らないのかい」
難しい顔で雀が人形を凝視していると、不意に雀の隣に誰かが並んだ。
細い身体つきながら不思議と頼りなさは感じない佇まいは、幾度の戦いに身を置いた戦士のそれ。飾り気のないタイトなズボンに、やたらと袖が余っているドレスシャツ。前髪を切り揃えたショートカットでありながら、床にまで届く長いスカーフを巻いている。
ちぐはぐな印象を与える上に、性別もどちらか判然としない。
雀の懐疑的な視線を受け、おどけた様に彼ないし彼女は名乗り出す。
「おっと、失敬。ボクも貴女と同じで招待客の付き人ですよ。ひとまずスーとお呼び頂ければ幸いです」
明らかな偽名を堂々と名乗るあたりいい胆力をしている。術師において偽名を持つことは何ら不自然ではないが、自分から明らかにするような真似は普通しない。不用意に警戒心を与えるだけだからだ。
「ご丁寧にどうも。それで、さっきのはどういう意味?」
あまり真面目に取り合う気はないので、雀は名乗りもせずに質問だけ投げる。スーは気にも留めずに男か女か判然としない声音で説明を始めた。
「宵波氏の作品の事だよ。初めて参加する人は第一階位の取引額に眼が行きがちではあるけれど、真に驚嘆すべきは一代限りの御業さ。その人形みたいに外側だけを真似るだけなら単なる秀才止まり。けれど宵波氏のそれは明らかに逸脱した完成度に過ぎる」
「何? あんた涼のファンか何か?」
「大きく間違ってはいないね。何しろ前回彼が出品した人形を競り落としたのはボクだしね。あれ以降何度か出資の申し出をしているけれど、悉く断られてしまった」
参った参ったと空笑いし一人で盛り上がるスー。競売場ではあまり人と関わるなと涼から忠告は受けていたが、それは正しかったようだ。どうあしらって退散しようかと雀が姦計を巡らせている時だった。
「──まあもし“魂の再現”の噂が本当だったなら是が非でもお近づきになりたいけれどね」
「何ですって?」
半分以上離れかけていたスーへの関心が引き戻される。
否応なしに注視する事になったスーの顔には薄い笑みが張り付いている。してやられたと、遅ればせながらに雀は臍を噛む。
「魂の再現、って言ったのさ。いまだ実在や実証すら定かじゃない魂を、東洋の、それもまだ成人もしていない霊能力者が再現したという噂が一時期流れてね。ボクも実物を見るまでは眉唾物と流してはいたけれど、案外本当かもしれないってのが実直な感想さ」
「実在も実証も定かじゃないものをどうやって再現したって言うのよ。悪魔の証明となにも変わらないわ」
雀が反例に持ち出したのは有名な思考実験。証明そのものが極めて困難な事象を悪魔に準えたものだ。
同じ様にして魂もまた概念としては広く周知されているが、これを実際に証明ないし実証した例は古今東西一例としてない。魂と混同されがちな概念に“霊基”という言葉があるが、これは霊力・魔力のDNAのようなもので、かなり早い時期に立証がなされている。
確かに涼の人形や式神は優れている。日々彼の使役する淑艶の恩恵に預かっている雀にしても、時たま人間と錯覚するほどだ。しかし魂の再現とまでは評価するまでには至らないというのが正直な感想なのも事実。
「悪魔の証明か。いいえて妙だね。だが逆を言えば、我々が魂を立証できない様に、彼の偉業を否定することも出来ないとは思わないかい?」
「それは……」
「だろう? それに僕だって何の根拠もなくこんな不確かな噂話を持ち出している訳じゃない。常磐津という式神は宵波涼の女性としてのスペアでもあるそうじゃないか。完璧な自分ならいざ知らず、異性としての自分を創造するだけでなく、同化までこなす。自分という別の中身を用意でもしなければ不可能だよ」
雀は照から伝え聞いただけで直接眼にした訳ではないが、シャノンとアルベルト達の戦闘で涼は自らを式神化することで致命傷から逃れたという。確かに改めて考えれば精巧な肉体程度を用意したところで式神化など不可能だ。
立証とまではいかないが、魂の再現に真実味を匂わせるには十分かも知れない。
そしてもし本当に魂を一から創造可能だとすれば、それは死者さえ呼び起こす禁忌そのものだ。
ならば、雀が長年探し求めていたものは宵波涼なのかもしれない。もっとも──
「今までは技術の片鱗を垣間見せるに留めていたようだけれど、第一階位へと昇格したことでいよいよ真実味を増してきたね。シズの一族をモデルにしたのなら、【魔眼部隊】の再演さえ不可能じゃ……」
「──あー、はいはい。分かったわかった。アイツの凄さは私も知るところよ。で、そろそろ本当の要件を教えてくれないかしら?」
ぞんざいに話を断ち切った雀は、一転してキっとスーを睨み付ける。指先には装填した魔弾をこれ見よがしに突き付け、無駄なお喋りをこれ以上許さない。
「……意外だね。君ならもっとこの話に喰いつくと踏んでいたのに。魂の再現だよ?」
「嘘でも本当でも、直接あいつに問いただせば済む話だもの。憶測とか推測で誰かを量るのは嫌いなのよね。当然、そうさせる相手も。第一、そんな大層な技術があるなら、あいつの腕は機械仕掛けなんかになってないし」
最後は確証に満ちた言葉だった。
そう。仮に身体ごと取り換える程の技術があったのなら、いまも宵波涼は五体満足だっただろう。
先月、強制的に肉体を魔術師のそれに侵食させる烙蛹魔術に侵された紫涅和泉監視官を治療する過程で、涼は両腕を全損してしまった。
仮に噂が全て事実だとすれば、もう少しマシな結果になったはずなのだ。
無条件で涼を疑わないわけではない。だが一年半に及ぶ付き合いで、隠し事はあっても誠実である事は十二分に理解している。故に余人から唆された程度で涼への信頼は揺るがない。
「もう一度だけ聞いてあげる。とっとと本題に入って頂戴。この船なんか見た目以上に広いもんだからもう脚がクタクタなのよ。これ以上の立話はごめん」
腹の読み合いや駆け引きは雀の好むところではない。常にシンプルに。悩み迷うのは己自身の問題だけでよいとは神崎雀の持論である。
魔術師らしからぬ彼女の真っ向勝負の精神にスーは少々面を喰らう。一方で本人に聞けばいい、という実直過ぎる理由でスーを撥ね退けようとする雀の在り方は、いっそ清々しく神崎雀によく似合っているとも思えた。
思わず説いた風にスーの口から苦笑が零れる。
「ふふふっ……。思い切りのいい子だ。ボクも君ぐらい強引に接した方が良かったのかな」
その様子に雀は眉根を寄せる。
これはただの勘であるが、スーの独白は“今”ではなく“過去”を差している様に思えた。一年や二年ではなく、もっと以前。根拠はないが、何故か涼にこのスーを会わせると良くない事が起きそうな確信に近い予感があった。
「じゃあそろそろ君の言うところの本題に入ろうか。まあ、実を言えば“魂の再現”の件は導入に過ぎなくてね。彼の技術はいわばイカロスの罰。その成れの果てさ。鏡海に未来を奪われた君達にとっても因縁深い話だとは思うだろう?」
「──なんですってッ」
雀の語気と視線に鋭さが増す。
いままのであしらう空気が一気に取り払われ、魔弾に込められる魔力量が跳ね上がる。
つぎの言葉次第では雀はスーを撃ち抜かなければならない。
鏡海の存在を知るまでなら、まだいい。だがこのひょうきん者はあろうことか、太陽に近づきすぎた故に失墜したイカロスに涼を準え、あまつさえ雀を同類と揶揄した。
何故知っている。
涼にも打ち明けておらず、身内でも極僅かな者しか知らない十年前の事故を。
「いまさらだけどアンタ何者? 聖王協会からの回し者かしら」
「ハハハッ。違う違う。ボクはそうだね……言ってしまえば正しく死ねずに因果の輪から外れてしまった存在裂傷とでもいうものさ。この世界が傷物を蔑ろにすることは君達も知るところだろう?」
「仲良しごっこがしたいなら別をあたって頂戴。正しく死ねない? ならいま此処でど頭ぶち抜いてあげようか」
「いいね。でもあまりお勧めはしないかな」
そう言うとごく自然な調子でスーは後腰から刃渡り15cm程のナイフを取り出した。
雀は金属の光が見えた時点で身構えたものの、直後、我が目を疑った。
何の躊躇いもなしに、スーは髪にでも触れるような気軽さでナイフをこめかみに突き立て、そのまま振り抜いたのだ。
根元まで刀身が完全に頭部に埋没し、反対側から切先が飛び出ている。眼球が痙攣し口の端から泡が浮かんでいる。磨き込まれた大理石の床に顎から滴った朱が小さな湖畔を作っていた。
糸が切れた様にスーの身体が倒れるまで、雀は何が起きたか理解出来なかった。
「……っ……」
胃の奥からせり上がって来るムカつきを堪えるまもなく、倒れた身体がピクリと震えたかと思えば次の瞬間にはスーは何事も無かった様に起き上がった。頭にはナイフを突き立てたまま。
堪らず雀は距離を取った。
「とまあ、ご覧の通りでね。普通に死ねる規則からつま弾きにされてしまってこの様さ。君が真に鏡海の魔術師たり得たなら僕を殺すことも可能だろうさ。でもボクの処刑人は神崎雀じゃあないのさ」
「……ならそれが涼だっての?」
「君も含めて候補の一人ではあるかも知れないけどいまは違う。ほら、君達も彼等を追いかけて来たんだろう? 彼等が呼び起こそうとしている“権能の魔眼”に期待したいね」
「まさか、アルベルトっ……!?」
つい先程の涼との会話が過る。
雀は誇大妄想と一笑に付しさえした代物を、このスーという輩は大真面目に望んでいる。裏を返せばアルベルトの支持者とも解釈できる言動。
まずい、判断を間違えた。
涼の“魂の再現”や“鏡海”に触れられた時点で雀は問答無用で魔弾を叩き込むか、ここから離れるべきだったのだ。
しかしその判断は如何にも遅すぎた。
攻勢か撤退か。どちらを取るべきか雀が一瞬迷った隙に、スーは難なく距離を詰めていた。
口と両腕を取られ壁に叩きつけられる。衝撃に呻いたその拍子に何かを無理矢理口に放り込まれ、途端意識が朦朧とし始めた。
防護術式を起動しようと試みるも、意思に反して視界がどんどん暗くなり、身体から力が抜けていく。
堕ちつつある雀の耳元で、スーが怪しく囁く。
「知っているかい? この船のどこかに大量のシズの一族が運び込まれているらしいよ。個体数に限りがある彼等一族は、一体どこから来たんだろうね」
「──……っ。まさ、か……」
雀の懸命の抵抗もそこまでだった。
完全に意識を失った雀を両手に抱え直したスーは、何事も無かった様にその場を去っていく。
「さあ、お手並み拝見だよ。御若い監視官さん」
薄く笑みを浮かべるスーの足元が液状になり、階段を降りる様にスーと雀の身体が消えていくと、床は元の大理石の硬さを取り戻した。
此処はオークション・ラビュリンス。あらゆるものが金で動く魔境。
競売開始まで、あと二時間と数分。




