三章・十三節 在りし栄華の魔眼部隊
──【魔眼部隊】。第二次世界大戦の最中、国を問わず莫大な報酬と引き換えに猛威を振るった少数精鋭の傭兵部隊。
主に陸上戦でその威力を発揮し、重戦車に匹敵する火力を持続的に発揮する“魔眼”は戦場で比類なき戦果を上げ続けた。歩兵故の機動性、隠密性は言わずもがな。数人がかりで操縦、砲撃を熟す戦車とはその戦略性が根本から異なる。
補助術式を用いたことで、遥か上空の爆撃機すら撃墜したという記録さえあるほどだ。
術師が歴史の裏で戦争に起用されていた事自体は、当時ではそう珍しい事ではない。旧日本軍にさえ陸軍に陰陽師団という術師で構成された部隊が存在していた。当然秘密裏ではあったが。
しかしどの国を見ても【魔眼部隊】を凌駕する術師部隊は存在しなかった。かの部隊の存在一つで戦況が大きく傾くほどの、絶大な戦力を各国が欲したのは語るべくもない。
だが、彼等は“傭兵部隊”。戦争が激しさを増すにつれ、金次第でどの国にも寝返る【魔眼部隊】に果たしてどれだけの信用が置かれた事だろう。
一瞬の判断が幾百の命を生かすか殺すかが決まる戦場で、彼等に背中を預ける事がどれだけ危険な事か。各国が気付くのも時間の問題であった。
ある時期を境に、魔の視線は戦場から姿を消した。
事実は定かではないが戦争終結後、軍事作戦とは無縁の島から激しい拷問を受けた形跡が見られる、両目を失った遺体が──
──そこまで読んで、涼はファイリング資料を閉じた。これ以上は知りたくもない。
アストレア本部から取り寄せたシズの一族に関する資料は、どれも似たような内容ばかりだ。第二次世界大戦に際して起用された【魔眼部隊】とその末路。
幾万の屍の山を築き上げた彼らが戦争の最中に、忽然と姿を消した理由が粛々と綴られ、現在まで続く魔眼の脅威をありありと涼に突きつけて来る。
魔族ある吸血鬼でさえ欲し求める魔眼の力は競売という形に変えて莫大な金を動かし、時に甚大な被害と共に過去の災禍を顕現させる。
墓地でのアルベルトとの一戦でその一端を垣間見た涼にしても、魔眼の脅威判定は至極真っ当な評価と結論付けざる負えない。
もし完璧でならずとも管理することが出来なのなら、どれほどの脅威が減るだろう。
アストレアにとって魔眼蒐集家のヴラドはいわば理想の抑止力だったのだ。吸血鬼故に少なからず血の贄が彼に捧げられる事になったが、大戦を生き抜いた重鎮たちはやむなしと目をつぶった。
『──もう一度、我らは我々の存在意義を知らしめる。かつての栄華を現代に蘇らせる』
もしアルベルトの言う“栄華”がかつての【魔眼部隊】と同義であったのなら、それは絶対に阻止しなくてはならない。地獄の再演となんら変わらず、今度こそシズの一族は根絶やしにされかねない。
少なくとも、涼は躊躇なく彼等の頭に鉛弾を叩き込む覚悟だ。シャノンには申し訳ないが、アルベルトと思想を共にする同士がいれば、その者たちも根絶やしに。
だが涼がこの結論に辿り着く事など、アルベルトとしても折り込み済みのはずだ。むしろあれだけ大平に監視官と事を構えて、組織に一族ごと磨り潰される懸念を抱いていないのか。
(いや。そもそも例の問題がある限り、遅かれ早かれアルベルトのような奴は必ず現れるか……)
二週間に及ぶ研究の副産物として、涼はある結論に達しようとしていた。仮説を立証するべく資料を取り寄せた結果、涼の見立てに狂いはなかった。
五輪高校で知り合った百瀬智巳に調査を依頼し、過去の魔眼犯罪を検分すればいよいよ仮説は真実味を濃くする。
軍隊をも翻弄した力が、いまとなってはどうだ。智巳から送付されてきたPDFファイル──ここ数年の犠牲者の推移は雄弁に事実を語っていた。
アルベルトの野心は亡いもの強請りと断じても過言ではない。
再びシズの名を轟かせるには、真っ当な手段では到底届かない。ヴラドを完膚なきまでに打ち倒し、蒐集された魔眼を手中に収めたとしてもだ。半世紀を超える時間はゆっくりと、シズの牙を犯し始めていた。
かつて。そうまさしく過去だ。
過去は重戦車の以上の威力を宿し、現在では金と欲の鎌に刈り取られる獲物。奪う側から、奪われる側へ。
シャノンが強引に攫われた理由も検討が付きやすいというもの。
アルベルトは確かに口にしていた。“権能の魔眼”の再臨を、と。まず間違いなく、シャノンと権能の魔眼とやらが関係しているのだろう。
少なくとも重傷まで負わせてまで、拉致紛いに攫う程度には。
「“権能の魔眼”、ね。随分恐れ知らずの名前よね」
「そうだな。真っ当な術師なら“権能”なんて口にすらしない。何しろ既存の術式を有象無象と扱うのと何も変わらない」
「で、そのブローチが権能ってやつなの? 古い術式が刻印されてるのは分かるけど、それだけに見えるけど」
「もしくは権能に比肩する何か、だな。じゃなきゃ咄嗟に俺に託す理由もないだろ」
「随分信頼されてるのねぇ。あの子も私と同じで食事の時間以外は殆ど安芸にイジメられてたのに。いつの間に篭絡したのよ」
「変な勘くぐりは止せ神崎。ある意味では君達と同じでビジネスパートナーみたいなものだ。というか君、よく泳げるな。寒くないのか?」
「あんたも照もホントにやわよね。こんな遮るものの無い空の下で泳がない方がおかしいわよ。気温だって適温よ。それに稽古でついたアザがいい感じに冷えて気持ちいのよ」
すいーっと、仰向けに横切っていく雀を見送ると涼は空を仰ぐ。
雲一つない紺碧の空は何処までも高く、燦然と輝く太陽が我が物顔で中天に陣取っている。
見晴らしがいいのは空だけにあらず。首を巡らせれば見渡す限りが青一色。気紛れに吹く風には塩気。絶間なく耳に届くのは波を割る水飛沫の快音。
「ん~、それにしても。O・Lの会場が豪華客船だなんてね。流石に想像しなかったわね」
──そう、此処は海上。遠く日本を離れ、海と空が一続きとなる太平洋のど真ん中。どこの国も存在せず、またどの国にも属さない原初の地球の生まれ姿。
涼と雀は城と見紛う豪華客船に乗り込み、岩場一つない大海にまでやってきていた。
この船こそが如何なる法の権威さえ届かない競売会場であり、人命さえ金で動く魔境、O・Lそのものだ。
その会場となった客船の甲板に設けられた屋外プールにて、二人は寛いでいる次第だ。ビキニ姿の雀は悠々と泳ぎ、涼はプールサイドでドリンクと資料を片手に雀と会話に興じている。
「迷宮っていうぐらいだから、てっきり地下とかで開くと思ってたわ」
「会場は毎回違う。俺が初めて参加した時は廃棄された軍港だった。大戦時代の物騒な忘れ物のおかげで生きた心地しなかったが」
「ふ~ん。あまり掘り下げはしない方がいいみたいね。この船はどうなの?」
「当船は数人の資産家様による共同拠出金によって、正式に偽装された客船になります。書類上は某国の所属になっておりますが、実態は運営組織の所有物。故に国や治安組織の権力は一切介入を許されず、一部の例外を除き乗船者も招待状を持つ方に限られております」
雀の質問に答えたのは涼ではない。
声の方向に眼を向ければ、涼達からやや離れた位置にて直立不動で待機する執事服のスタッフの姿。乗船時に涼に宛がわれた今回の専属スタッフであり、オークションの開催期間中は彼が見回りの世話をする事になっている。涼が手にしているドリンクも、スタッフが気を利かせて提供したものだ。
ただし、流石は迷宮の名を冠する競売というべきか。スタッフ一人にしても、初参加の雀のド肝を大いに抜いてみせた。
何しろこのスタッフ。頭がない。いいやそれどころか身体すらなく、単に執事服の中身は伽藍洞。風船人形のように不自然に服が膨らみ、しかし一挙手一投足は人のそれそのもの。
いかなる術式か透明人間というわけでもなく、触れれば容易く手の中で握り潰れる。
ホロウ。スタッフはそう名乗った。
「ま、横浜港から堂々と乗船したあたりから、そんなオチとは思ってけどね。少なくとも非合法取引が露呈して魚雷撃ち込まれて撃沈! なんてタイタニックの追体験はなさそうで安心したわ」
「あの船は事故での沈没だ。この海域じゃ氷山に出くわすこともないが」
「本船は高硬度防壁術式と斥力術式を備えております。例え船底へ魚雷を撃ち込まれようとも早々に沈没は致しません。ご安心を下さい」
「ふ~ん。霊脈の上を航行してるのはその辺りのエネルギーを賄うためなのね」
納得、とホロウの説明に雀は頷く。
防衛機構に関しては涼も初耳だった。そもそも《タウロス・ケラヴ》は電波遮断機構を備えているためにレーダーには反応しないステルス・シップ。探し出そうにも海上では肉眼での視認に頼るしかない船だ。そういった意味でも沈めるのは困難だろう。
法の番人たるアストレアの監視官であれば即刻沈めるべきなのだが、大海原のど真ん中では船を沈めても涼も海の藻屑だ。大人しく出品者に甘んじるのが賢明だ。
「それでホロウさん、もう一度聞くけど」
プールから上がった雀は涼からドリンクを受け取りながらそう切り出す。無貌の世話役に投げ掛けられる視線は穏やかなものの、その声音にはやや険が混じっている。
乗船から幾度か繰り返された光景だ。
「アルベルト・ブリアード、もしくはシャノン・コーデリオンって奴らはこの船に乗っているのかしら?」
「申し訳ありません。乗船者様を明かすことは堅く禁じられております」
これも再三告げられた謝罪。腰を折って無い頭を下げるホロウに、雀は小さく舌打ちする。
アルベルトの涼への宣戦布告は雀も聞き及んでいた。
『必ずオークションへ来い』と告げたからには、彼も乗船しているはずなのだが、出港してから二日が経過したいまも姿を見せていない。
オークションは日没と共に開催される運びとなっているので、仕掛けるならその辺りだろうと涼達は睨んではいるが、この静けさは些か不気味ではある。
GHCからのヴラド捕縛の協力要請に関しては事実上瓦解しているが、一族の宿敵そのものをアルベルトが放置するとも考えにくい。ヴラドの戦闘能力を量りあぐねているいま、下手にあれを刺激すれば先の船の沈没も冗談では済まされない。
早い段階でアルベルト達を補足したい気持ちは涼も同じであった。その上で涼は雀を宥める。
「神崎、アルベルトはまず間違いなく今晩の競売まで姿を見せない。いまは探し回るだけ無駄だ」
「それさっきも言ってたけど、何の根拠があるっての?」
全権代理者の涼を好き放題振り回され、間接的に管理霊地を脅かされている雀は待ちの姿勢に対しては不満を隠そうともしない。一刻も早くぶちのめしたいと顔に書いてある雀を宥める度に、涼の胃はキリキリと痛む。
水着姿でずいっと睨み上げてくる雀だが、涼からすれば何とは言わないがやや目のやり場に困る構図だ。
それでもポーカーフェイスを装いながら、涼は自らの見解を共有する。
「いいか。此処じゃ認められさえすればあらゆるものが“商品”になる。もし君がシズの一族だったら、好色家の前にノコノコと顔を出す様な真似をするか?」
「今回の競売品には魔眼も幾つか出品されてんのよ。お仲間意識が強い彼が、お行儀よく競売に参加するとも思えない。むしろ競売が始まる前に強奪するか、自分も商品として潜り込むぐらい企んでるかも知れないじゃない」
「此処はそんな軟なセキュリティをしていない。魔眼の持ち主だろうと警備兵にアッサリ止められるのがオチだ。それにだ、今回出品されているのは“戦時下の魔眼”だ。いいか、神崎。“現代の魔眼”が“戦時下の魔眼”と同位階に扱われることは絶対にない」
「……それどういう意味? まるであいつの魔眼が大したことないみたいに聞こえるけど」
「語弊はあるが、大筋は間違ってない」
雀は涼の言わんとしている事を掴みきれず眉を潜めていると、涼はホロウに競売品リストを要求する。
英語表記のリストを受け取った涼は、もう少し掘り下げて競売について説明をする。
「先に説明しなかった俺が悪いが、乗船者全員に配られるこのリストは階位によって異なるんだ。今回君に渡されたのはゲストも参加できる第三階位。さっき君が言っていたのは、この“隻影の魔眼”じゃないか?」
「確かにそれだけど……競売にも上下があるって言いたいの?」
「左様で御座います」
雀の見立てを肯定したのはホロウだ。より正確に競売のシステムを補足する為に中身の無い手袋で三本指を立てる。
「僭越ながらご説明致しますと、当オークションは第三階位、第二階位、第一階位と三階層に区分されております。数字が小さくなるほど取引されます商品の希少性、品質、歴史的価値、そして価格の桁も跳ね上がっていきます。宵波涼様は今回出品されました『人形』の査定結果により、第一階位での出品者としてご参加頂きます。ご参考までにこちらは前回の各階位での最高落札価格および平均落札価格です。ご参照ください」
ホロウから手渡されたタブレット端末に表示された金額を眼にした雀は、そのあまりに馬鹿げた0の羅列に叫び出しそうになった。
第三階位の再興取引額だけなら雀でも霊地の利権を幾らか売却すれば何とかなりそうな額ではある。それこそ魔眼とて落札出来るかもしれない。
だが第二階位からは桁が二つ、三つ跳ね上がり、第一階位に至っては平気で億単位。別次元である。
涼の製作する式神が高い評価を受けている事は雀も知るところだったが、こうして具体的な数字で示されると畏怖さえ覚える。研究資金が常の課題となる錬金術師の照ともスポンサー契約を結べる理由に、今更ながら雀は得心がいった。
「ん? ちょっと待って。なら涼の式神はこの“隻影の魔眼”ってのより高い評価が付けられたってことなの?」
「審査基準は公表されていないから一概には言えんが、俺の様な職人が手掛けた品は“稀少性”に加えて“唯一無二の何か”に重点が置かれている印象だ」
「ならアルベルトの魔眼も十二分に第一階位で取り扱われるポテンシャルがあるはずでしょう。現に涼だって再現できなかったわけだし」
「言っただろ。“現代”と“戦時下”で生まれた魔眼は決して同列にはならない」
無論、第一階位と評価された魔眼も存在する。だがそれは悉く“戦時下”、もしくはそれ以前の代物であり、“現代”──特に1980年代以降に加工された魔眼が第一位階で競売にかけられた事はただの一例たりともない。
これは魔眼と対峙した事のある者ではないと理解が難しい事柄でもある。涼も知識としては知っていたが、実際にアルベルトの魔眼と相対し、さらに研究で得た仮説を改めてアストレアの記録と照らし合わせてようやく得心がいったのだから。
第一階位と第三階位。“戦時下”と“現代”の隔てりが示すものこそ、アルベルトが抱く一族再興の計画が隠れている。
その原因こそ不明であるが、アルベルトが何を取り戻し、再興を計るかは想像に難くない。
「もしアルベルトの魔眼が“戦時下”……つまり全盛期の性能を有していたと仮定すれば、俺はいま死んでる公算が非常に高いんだ。この意味が解るか?」
「──! それってまさか……」
ここにきて雀も涼の言わんとする事に察しがつく。
仮にアルベルトの魔眼が【魔眼部隊】のそれと同等だったと仮定した場合、遮蔽物が真面に存在しない墓地で重戦車級の火力を内包した視線から生き延びられるだろうか。まず不可能と断じて間違いない。
だが涼はこうして生き延び、それ以前にそれほどの火力を有していれば誤ってシャノンを殺していた可能性すら十二分にあった。
決定的なのがシズの一族が吸血鬼に故郷を襲撃され、追われたことだ。
魔眼の製作技術は当然ながらシズの一族から流出されたもの。ならば彼等はいつでもその眼を兵器へ転じさせることも容易だ。単純な総合火力であれば軍隊ですら退ける。
逆に言えばシズの一族は魔眼を有して尚、吸血鬼に破れたことになる。
吸血鬼の力があまりに強大だったから? いいや、違う、その逆である。敗因はシズの方にあった。
「アストレアでも明文化されている訳ではないが、周知の事実だ。実のところ甚大な被害を出した魔導犯罪者が所有した魔眼は悉く“戦時下”に限られる。戦後以降のものは厄介ではあるが脅威とまではいかない」
ヴラドを第一級指定魔族に制定した背景には歯止めがきかない“戦時下の魔眼”による被害を抑える為でもあった。何しろ魔眼は兵器であって、アストレアが発揮できる火力は武器の範疇を越えない。
裏を返せばアストレアが危険視したのはあくまで過去の魔眼のみ。
アルベルトは口にした。かつての栄華を取り戻すと。ならば彼等はその力を失った事と同義。
即ち──能力の衰退。
「今を生きるシズの一族に、以前の力は宿っていない。魔眼の素質は先細りするばかりで、いずれ潰える運命だ」
故にシズの一族は眼を摘み取られる。まだ状態の良い間に希少な素材を手に入れようと。
アルベルトが真に抗うのは蒐集家らではなく、迫りくる滅びへのカウントダウン。
であれば涼にはアルベルトの一族再興への計略を止める資格は無い。
──シズの一族の間である運命を賭け生じた衝突さえなければ。
シャノンが攫われる直前、彼女は主従契約の回線を通じて涼に自身の記憶を見せていた。以前の同調と同じく、落日の日を。
森が火炎に包まれる中、彼女は色濃く二つの色を脳に刻み込んでいた。
深緑より尚深き碧い眼と対を成す、血の様な真赤な眼光を。




