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一章・六節 天文台の魔術師

 天文台には五輪駅から専用の送迎バスが出ているが、既に時刻は21時を過ぎている。当然バスなど出ていない。

 普段であれば騒々しく黒煙を吐き出すオンボロバスに揺られる道を、建人は自転車で走破していく。


 五輪市は駅前を少し外れると昭和の名残りが多く残る街で、天文台への道中は民家より田畑が多く、開けた景色が多い。

 そういった昔ながらの環境故に、天文台が建てられたのだろう。

 市街地から離れた光害のない立地の良さに加えて、車や工場などの排気ガスによる空気汚染も少ない。


 これといって魅力の無い五輪市が大々的に宣伝している商業施設なだけあって、設備も上々である。大型光学天体望遠鏡は勿論のこと小規模ながら電波望遠鏡も備えている本格的な施設だ。


 一時間ほど掛けて建人は目的地に着いた。

 小山の頂上を切り開いて建てられた天文台の敷地面積は思いのほか広い。元々は五輪市が大学を建てようと進めたプロジェクトが頓挫し、地主の意向で現在に落ち着いたのだ。

 施設は中々立派なもので、プラネタリウムが設置されるお馴染みのドーム形の施設を中心に商業施設が建ち並んでいる。流星群のシーズンが近づくと地元の小学生を招いて市民講座や観測会を開催し、中々の賑わいを見せるものだ。


 一般客であればバスから降りてすぐの建物へ入るのだが、建人は此処から更に二百メートルほど離れた先の研究棟へ向かう。

 研究棟といってもここに勤務している人物はただ一人であり、一般職員からは不気味がられ滅多に近づかない。お蔭で建人も普段は不快気な視線を向けられるわけだが、既に人気は殆どない。


 ガラス扉をくぐると吹き抜け構造のロビーになっており、右手にエレベーターが設置されている。もっとも常に【調整中】の張り紙があり、稼働しているところを建人は見たことがない。

 観葉植物一つない殺風景なロビーを抜けると上階と地下へ通じる階段があり、上階側は鎖で塞がれている。つまるところ、この建物の2階より上は実質飾なのだ。


 地下一階に降りると床材がリノリウムに変わり、地下特有の薄ら寒さと相まって夜の病院を想起させる。

 いつ来てもこの感覚には慣れない。

 アウトドア派の建人にしてみれば、一年の殆どをこの地下で過すここの主の気が知れない。建人であれば三日でギブアップである。


「まあ。いかにも“魔術師”の住処って感じだけどな」


 地下で唯一明かりの灯る研究室の前に辿り着くと、そんな感想を呟いた。

 増設されたインターホンを押す。ピンポーンという電子音が扉の向こう側から漏れてくる。

 間もなくして「どちら様で」としわがれた声がスピーカーから聞こえてくる。


「俺です。砂純です、博士」

「…………入れ」


 解錠音が鳴ると扉がひとりでに動く。

 よく見ると遠隔操作式の自動扉ではなく、真っ黒い棒人間のようなものが取っ手を引いているではないか。


 何度見ても、信じられない。

 ──これが”魔術”で動く、使い魔と呼ばれる人造生物なのだと。

 顔もない、眼もない、鼻も耳も髪も皮膚さえも。ただ最低限の人形を模した影が確かに実態としてそこにいる。はじめてこれを見たとき感じたのは、好奇心でも求知心でもなく、脳内の奥底を引っ掻き回すような恐怖心だった。


「どうした。はやく入れ」

「あっ、はい」


 言われて敷居を跨ぐと棒人間が背後で扉を閉める音が聞こえる。

 研究室は最低限の照明しか灯っておらず、薬品やら専門書を収納した棚が所狭しと屹立しており、さながら迷路のような空間だ。部屋に入ってすぐに応接用のテーブルとソファーが用意されているものの、大量の大手通販サイトの段ボール箱に埋もれている。開封されているものの中にはインスタント食品や衣類、生活用品、科学実験用の道具などなど。

 中には札束がギッシリ詰まった財布が無造作に放置されていたが、魔が差す前に部屋の主を探すことにした。


「博士―。どこにいんだ?」

「こっちだ。今手が離せん」


 声の方へ進む。

 棚と棚の間は人一人がギリギリ通れる程度の幅しかないため、薬品が並べられている場所は特に慎重に進む。途中ホルマリン漬けにされたカエルと眼が合いギョッとするも、その横に置かれる【オオ○ンショウウオ】のラベルから勢いよく眼を背ける。


 迷路を抜けるとようやく見知った白衣の男性を発見した。

 長らく太陽に曝していないであろう肌は青白く、無精ひげが伸びた顔はしかし不思議と理知的だ。眼鏡の奥に宿る爛々とした知的好奇心が眼前の作業に注がれている。


 国枝忠隆博士。この研究棟の主にして、有澤那月の元父親だ。

 表向きは天文台の最高責任者だが、実態は――本人はこう呼ばれることを嫌うが――魔術師。目眩を覚えることに冗談ではなく、本物の。


 手が離せないと言っていた通り、実験机の上では何やら仰々しい作業が進められている。

 机の中央には僅かに発光する青色の液体に満たされたガラス玉。それを中心に三重の円環がガラス玉と浮遊し、各々別方向に回転している。机には何語か判読できない文字で幾何学模様がびっしりと綴られており、中には星座と思われる図形も見て取れる。


 国枝がガラス玉に手を翳すと、室内の空気の僅かに震える。肌に浸透し骨を軋ませ、五感と不協和音を奏でる異物感。魔力の波動だ。

 それは決して錯覚の類ではなく、それを裏付ける様に変化は顕著だった。

 ガラス玉の発光が強まる。徐々に光度を増していくガラス玉から心臓の鼓動に似た音が発生すると、光の波紋が走り後を追うように波を受けた机の文字が光を放つ。


 円環が激しく回転する。

 ガラス玉の中心に気泡が発生するのを建人は捉えた。


 いや、それは気泡ではない。建人がそれは直感的に“骨”だと理解すると、瞬く間に人の形を形成し始めた。まず頭蓋骨が形成され、そこから背骨、骨盤、四肢と続く。

 骨の成長は止まらない。遂には完全な人骨が完成すると驚いたことに腕がもう一対形成されていくではないか。


(違う。腕じゃない)


 今度は建人の直感が答えを導き出すより早く変化が訪れる。

 肩甲骨の辺りから伸びた腕は緩やかな曲線を描いた櫛のように細かい骨を伸ばしていく。一対の骨は他のどの部位よりも優れた造形美を放ち、強く建人を魅了した。まるで身体全てがその骨を支える土台にすら見える。


 それは翼だ。

 人類が遥か昔、進化の過程で選択肢から除外した飛翔能力。空の象徴。


 変化は加速する。

 有翼の人骨は筋肉に覆われ、神経を張り巡らせ、内臓を形成し、肌に覆われていく。翼は今や純金の羽毛に覆われ、揺蕩う金髪の髪と触れ合っている。


 ガラス玉に生れ堕ちた、天使。

 睫毛が震え、閉じられて瞼がゆっくりと持ち上がる。


「おおっ」


 感嘆の声は建人か国枝か。

 どちらにせよ、すぐに落胆へと成り変わる。

 バシュッ!という燃焼音が聞こえたかと思うと、実験机に綴られた文字が一斉に蒸発した。比喩はなく、意味を介さない焦げ跡は即ち術式の短絡を示し、つまり手遅れだ。


「しまった……!」


 国枝の焦燥感に満ちた声。

 慌ててチョークを手に取り、術式を書き換えるが無駄な足掻き。天使の身体が電撃に撃たれたように痙攣する。苦しんでいる、そう思う間もなく天使は五体を崩し、跡形もなく溶けていった。

 浮力を失ったガラス玉の破砕音が響き、生まれかけた命の“死”を告げた。


「くそ。ダメか」


 ぐったりと椅子に身体を預ける国枝博士。

 黒縁眼鏡を取って眼を揉み解す。皺の多い手が白煙と共に嫌な臭いを放っているが、当人は無視を決め込んでいる。


「博士。今のは……魔術ですか」


 たった今起きた現象を処理しきれず建人は呆然としていた。脳みそが痺れているようだ。


「馬鹿言うな。こんなのは魔術の形すらなしちゃいない。大甘に評価して錬金術の真似事がせいぜいだ」


 的外れだと建人の見識を切り捨てた国枝は棒人間に机の後始末を指示する。

 決して機敏とは言えない動作で棒人間が割れたガラスやら培養液を片付けていく。どういう仕組みなのか、腕で軽く机を撫でただけで後には塵一つ残っておらず、焦げ目も消えている。


 これの何処が魔術ではないのだと考えずにはいられない。

 棒人間は冷蔵庫から瓶のジンジャーエールを建人に提供し、国枝には緑茶を淹れはじめる。


「肉体の構成まで問題ないはずだ。たが固着化にやはり課題残るな。血液の模倣宮力含有量も足りないが、やはり問題は星座との経路が圧倒的に足りないことか。これじゃ本格的に雨取の小娘に頭を下げかねん……」


 実験結果の分析だろうか。国枝は専門用語を交えながらノートにペンを走らせる。白紙のページにペンが休まず踊り、瞬く間に文字と図形の黒に埋まっていく。使い込まれたノートは付箋だらけで、同じものが研究室の隅に地層の如く積み重なっている。


 放置されている建人は口を挟まない。いま声を発したところで国枝には届かないからだ。

 作業が終わればあちらから本題を切り出してくる。

 大人しく出されたジンジャーエールに口を付ける。ここに置いてあるものは外国産のものでかなり辛い。慣れればクセになるもので、いまでは建人も愛飲している。


 十分ほどでペンの音は止まり、冷めきった緑茶を一息に煽った国枝が椅子を回転させて建人と向き合う。その所作はさながら医者の様だ。


「待たせたな。いつものことだが、急な呼び出しですまんな」

「さっきのをみたら、そんなことはどうでもいい感じだよ」

「人造天使は良くて使い魔は受け付けんか。やっぱお前さん、壊れてるよ」

「人聞きが悪いぜ。俺の何処が壊れてんだ」

「魔術の一端に触れておいて忌避感を抱かないことだよ。人間てのは自身の理解を越えたものを恐れ、遠ざけようとする自己防衛本能が備わっている。ところがお前さんはそれがちぐはぐだ。ぶっ壊れてんだよ。人間としての大事な部分が」


 む……、と難しい顔をして建人は黙り込む。那月に続き、国枝にもここまで正面から人格否定紛いな言葉を浴びせられようやく落ち着きつつあった建人の心がささくれ立つ。何かしらの反撃を加えなくては気が済まない。


 巧みな言葉遊びなど赤点常連組の建人には苦手分野中の苦手分野。いくら頭を捻ろうとも、無いものねだりに等しい。

 しかし、今日の建人は冴えていた。唇を三日月に歪め、反撃の狼煙を上げる。


「じゃあ、魔術の研究をしている博士はどうなんですか。さっきの言い分じゃ、博士だって壊れていることになる」


 どうだ!と顔に書いた建人の反論を、


「壊れてんじゃない。思考が魔術に属してんのさ。生まれ育った国の環境や文化によって様々な倫理観・価値観が形成されるように、魔術師には物事の判断基準の中心に魔術が据えられている。これが原因で社会との軋轢が生じやすくなり、どこの魔術結社にも所属しないで社会との折り合いが着けられん奴は、俺みたいになんのさ」


 論理的かつ客観的に素人にも理解しやすく、最後には具体例を持ち出し真向からねじ伏せた。無謀な戦いとはこのこと。


「じゃあ、俺も魔術師の思考ってやつが多少なりともあるんじゃ」

「素質はあるだろうが、思考が伴っていない。さっき話した防衛本能が魔術に対して動作不良を起こしているようだしな。あれに過剰反応しているのがいい例だ」

「…………」


 国枝が指差す方向に眼を向ける。

 棒人間が緩慢な動作で段ボールから取り出した食料品を冷蔵庫に詰めている。太巻きのような腕で健気に命令をこなす姿は愛らしいとも思う。

 害はないが、国枝の指摘通り建人は自分が思っている以上にあれを酷く嫌っているらしい。


 不意に、視界にノイズが奔った。

 白黒テレビのように色が失せ、頭痛と不快な耳鳴りを伴って幾筋の線が視界を奪っていく。


「………ッ」


 視線を棒人間から外す。

 瞼をキツく閉じ、頭痛と耳鳴りが収まるのを待ってから、ゆっくりと眼を開く。

 ノイズは鳴りを潜め、普段通りの視界に僅かにほっとする。


 これで何度目だろうか。

 あの棒人間をじっと見つめると、今のように視界にノイズが奔る。視線を外せば異常は収まるが、気持ちのいいものではない。


「ふむ」


 一連の様子を観察していた国枝は顎に手を添え唸る。

 研究所に建人が訪れるようになって二年半経つ。今日のように何度か実験に立ち会わせる機会もあったが、著しい変調をきたしたことは一度もない。


 ただ一点。使い魔にだけ過剰な拒否反応を示す。

 国枝は弟子の一人もいないフリーの魔術師で培った技術もほぼ我流であるが、建人の反応が異常であることは容易に判断できる。何らかの欠陥を抱えている事は明らかだった。


「ま、いい。とっとと要件を済ませちまおう」

「他人事かよ!」

「他人事だ。魔術師って奴はな、基本的に人格破綻者なのさ。妻と子供を放ってこんな穴倉に閉じこもるぐらいにはな……那月は元気にやってるか?」

「……ええ、まあ」


 ついさっき喧嘩別れしました、とは口が裂けても言えない。

 ただ魔術師故か、それとも父親のカンというやつか。

 建人の様子をつぶさに観察していた国枝の眼光に剣呑なものが混じりだす。


「おめえ、あの子に何かしたか?」

「っ……! 全然、何も、一切」

「手ぇ出すなよ。指一本触れてみろ、実験サンプル用に刻んでくれる」


 そこは父親面かよ、とツッコミたい衝動に駆られたが、寸での所で飲み込んだ。

 離婚して尚、国枝の形相はやはり父親だったからだ。

 有史以前、それこそ神話の時代から父親というのは恋愛における最大試練として君臨し続けてきた。いかに普段はひ弱な父親と罵られようとも、こと娘の色恋沙汰に関しては一騎当千にして万夫不当、堅城鉄壁の修羅となる。


 関係を持つどころか確執を作ったばかりの若造には、首を縦に振るのが精一杯だった。


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